第1章 崩壊する世界

第3話 腰は大事

──


「だい──」


「だいじょう……ぶ?」

 遠くから女性の声が、かすかに聞こえる……。

 頭はぼんやりしており、酷い頭痛がし、上なのか下なのか良く分かっていない状況の中なんとか重い頭をあげた。


 そして、目をこすりながらゆっくりと目を開けると、まぶたの隙間から白い光が差し込む……。


「くっ。うっ……。おっおお!? 目がァ! 目があァァァァァ!」


 真っ白にハレーションしたような世界。

 強すぎる光は全ての対象物を霞ませた。ぼんやりと人影のようなものが見える。

 そんなまぶしさの余り声を挙げながらのたうち回る自分に、女性が声を掛けた。

「下手に動くと危ないよ! メニューからコントラストやブライトネスを下げないと」


 目を両手で押さえ横たわりながらを声の人物に訊いた。

「ちょ、ちょっとまってくれ。メニューを出すってどうやって……」


 再び女性の声が聞こえる。

「メニューはね。かかとを付け、つま先を90°に開いた状態で、腰を落として、両手を伸ばして頭の上で○を作ったら、その姿勢のまま、腰から45°くらいまでお辞儀するようにすると出るよ!」


 よくわからない説明に慌てて聞き返した。

「な。なんだって……すまない、もう少しゆっくり言ってくれ……」


 女性は深く息を吸い込むと、ゆっくりと説明しだした。

「落ち着いて聞いてね。まず、立ち上がったら、かかとを付けてつま先を90°くらいに開くの。それでその状態のまま、膝を曲げて中腰になるくらいまで腰を落とすでしょ。そうしたら、両手でバンザイして、真っすぐ伸ばすの。そこまでできたら、頭の上でまるを作って、その姿勢のまま、腰から45°くらいまでお辞儀するんだよ。頑張って!」


「くっ。なんだよこの設定、誰だよ設定したのは……」

 思わず愚痴がこぼれた。


 俺は、片手で目を押さえながら膝に手を掛けゆっくりと立ち上がった。

 見えないながらもなんとか謎の動きを試行していく――


「こうか! こうなのか!?」

 ふんっ! ふんっと、何度も試すが一向に状況は変わらなかった。


 声の主が言う。

「これじゃ、45°くらいだから、もうちょっと開かないと……」


 そう言うと、声の主は俺の足に手をやると、かかとを押さえながら足先を開こうとする。


「くっ、いたたたた……!」

 痛さの余り思わず、顔をしかめ声を漏らす。

 そもそも俺自身体が硬いのだ。


 手伝ってもらいながら、なんとかその姿勢を維持し、ようやくの思いで腰からお辞儀をする。


 すると――ポコンという気の抜けた音と共に、目の前にそれらしき画面が出た。


 声の主は声を弾ませ喜んでいるようであった。

「やったね。設定画面が出たよ!」


 真っ白の空間の前に灰色で設定画面が表示されている。

 目を凝らして、項目を探すとブライトネスとコントラストのスライダーが最大値になっていた。


 それぞれの項目のスライダーを人差し指でなぞり、適正値に戻していく……。

 ようやく、まぶしい光から解放され、本来のあるべき姿が見えるようになった。


「こ……、これが仮想世界……」

 思わず声を漏らした。


 背筋を伸ばし大きく息を吸うと、あたかも現実世界にいるような感覚を覚えた。

 あたたかな太陽の光、光が照り付ける部位には熱が感じられ、草木が風で揺らめき、その風を肌で感でる事さえできた。

 耳には小鳥……のようなもののさえずりと、風によって奏でる草木の音も聞こえる。


 周りを見渡すと、延々と広がる草原と山々、真っ青な空には様々な形に変化していく雲があった。


 足下には5×5mくらいの中心に文様の描かれた真っ白な床が周囲にも幾つかある。

 そして、心配そうにこちらを見つめる同僚の高橋さんと、転がりのたうち回る社員たちがいた。


「た、助かったよ高橋さん、なんとか見えるようになったよ……」

 腰をさすりながらお礼を言った。


 彼女は高橋たかはし ゆう、同僚の女性、高校時代はテニスをやっていたらしい。

 ちょっと太めの丸い大きな眼鏡を掛け、髪を左右で束ね前に持ってきている。俗に言うおさげというやつである。

 服装はというと、膝上まであるワインレッドのキュロットスカート、それにフリルの付いた白のシャツ、金装飾のペンダントとそのの中心には、赤い宝石がきらりと光っている。

 社内では比較的地味な服装をしているが、やはり女の子、こういった世界では着飾りたいのであろう。わかるよその気持ち。俺も時間があればそうしていた。

 とまぁ、そんな彼女は結構世話好きで、男女垣根無く色々な人とよく喋る。ただし、部長だけは苦手らしい。まぁ部長はいい加減すぎるので、その気持ちも解らなくも無いが。


 ふと高橋さんを見ると、両手を腰に当て頬をぷぅと膨らませこちらを見ている。

「ちゃんとマニュアル読んでおかないとまた痛い目見るよ

 それとせっかくこういう体験ができるってのに、藤井くん服装適当すぎ!」


 黒いフード付きジャケット、黒いTシャツ、黒いカーゴパンツ。黒いスニーカー。全身黒ずくめになっている。

 まぁ、汁物が飛んでも汚れが目立たないし、コーディネートを考えるのが面倒くさいので、大体同じ服が数着ずつある。もちろんアバターも。


 そんな説教してくる高橋さんに少しだるそうに答えた。

「だって、面倒じゃん……というか考えてる時間すら無かったんだよ。仕様書すら目を通す時間無かったし。高橋さんは良いよ。凄く似合ってるし可愛いしなんかもうこっちの住人じゃん、て感じで」


「そ、それに素材が良いんだから藤井はもっとオシャレした方がいいよ!」

 高橋さんは少し耳を赤くしながら少し照れくさそうに言い放った。


 そして、高橋さんの方を見ながら2、3歩歩いて訊いた。

「そういや、高橋さんは大丈ぶ、ブベらッ!」

 突然殺虫用電気ラケットを間違って触ったときのようなビリッとした痛覚が走る。

 視線を下にやると、白い床のフチを踏んでいたように見え、そのフチには1cmくらいの赤いペンキを塗られた角材のようなものがあり、僅かに光を放っていた。

 その赤く光る物体は床の中心位置からは決して見えず床の側面にあり、フチに近づき下を注意深く観察するとようやく見えるレベルである。


 このとき、手と足、体の感覚は麻酔を打たれたときのように感覚が鈍くなっていき、それが全身に広がっていくような不思議な感覚に襲われた。

 目が開かないのか周囲を転がり回る社員もそれに触れるなり体が崩壊しては床の中心位置から青い粒子と共に再生、リスポーン*していた。もちろん俺も今現在そういう状態だという事が認識できた。

*リスポーン:キャラクターが何らかの理由で消滅した後、再び同様の世界に再出現すること


「くっ。うっ。今一体何が……」

 崩れゆく自身の体を眼前に捉えながら、片手で頭を抑え立ち上がる。


 それを見ていた高橋さんが声を掛けた。

「この赤い線に触ったからリスポーンしたんじゃないかな……」


「な、なるほど……。この下にあるのがスポーン地点って訳か……。こんなイタズラするのは部長くらいだろ……クソったれが……」

 今頃モニターを監視しながらほくそ笑んでいるのであろう、と思うと無性に苛立った。


 突然、高橋さんが声を挙げた。

「た、大変! あの人スポーン位置がズレてて赤い線の上でスポーンしてデスポーンして行ってる。早く助けないと!」


 そう言って救出しようとする高橋さんを手伝い、消滅と再生を繰り返している職員を救出していく。

 そうして、次々とのたうち回る職員に声をかけ、救出してくこと数十分。


「ハァハァ……。やっとこの悪夢から解放された……」

 小柄で短髪ちょっと小太りな男が言った。彼はスポーンと消滅を延々と繰り返していた不運な男だ。


 彼の名は黒田くろだ 隆之たかゆき、ゲームが好きで小さい頃自分でゲームを作ったことがある。

 ウノならぬクロとかいう訳の解らぬカードゲームを作りだしては、友達に勝負を仕掛け、いつも惨敗しては罰ゲームとして、地元で有名な激マズ餃子を食わされたりといろいろダメなヤツである。

 しかしそういったチャレンジ精神だけは旺盛で、ありとあらゆるゲームはプレイしては数日のウチに挫折している。

 服装は白の半袖シャツで、中心には「the cake is a lie」と黒で描いてある、ズボンはブルーのジーンズで、靴はどこにでもあるような白と黒のスニーカー、ベルトが沢山付いた黒のロングコートを羽織っている。


「なんでこんな動きしなきゃメニューが出ないのよ! 絶対部長のせいでしょ!」

 髪はショートボブ、ライトグリーンのフレームの眼鏡を掛けている女性が怒りをあらわにし声を挙げている。


 彼女の名は佐藤さとう 未奈みな ちょっと口調はきつめで怒りっぽい。

 主に職場では地味な格好している。高橋さんとは同期らしく食堂でいつも一緒に食事をしている。仲が良いのだろう。

 しかし、ここでの服装は、普段の職場からは想像も付かないタイトなヘソ出しTシャツでピンクで『LOVE ME』と描いてあり、茶色のハーフパンツと黒のショートブーツであるヒールは3~5cm程度だろうか。冒険するのに大丈夫なのかと問いたい。

 両手には左手には金銀ピンクのブレスレットを付けており、足首まであるモスグリーンのロングコートを着用している。

 若干短期なのかアクションは苦手、時間制限のない選択式シミュレーションゲームが得意である。

 なんと高校時代は野球をやっていたそうだ。


「そりゃあアレだ。よくあるVRアニメじゃないけど簡単に設定メニュー出されたら、何か動作する度にメニューが出ちまうだろ?」

 髪はソフトモヒカン、体格の良い筋肉質の男が立ち上がりながら言った。


 彼の名は、日野ひの 勝良かつよし 車好きだが乗り物にのると不運が降りかかるのが玉にきず。

 体格の割にゲームが好きである。その中でもレースゲームはめっぽう強く、とある36時間耐久レースを一人で一睡もせずオムツを履いてリアルでこなしたバカである。

 愛車もけっこう弄ってあって、この時代には珍しいマニュアル車、フルエアロにカーボン製のボンネットとGTウイングが付いており、もちろん車高調も入っている。

 ある日彼女に振られた腹いせにと紅葉の始まった峠に走りに行ったところ、濡れた落ち葉を踏み180度スピンしたのち、そのままガードレールに突き刺さったことがある。

 無事修理が終わったとおもったらその日のうちに、二車線道路で前の車トラック追い越したとき、家畜の飼料が落ちていたがブレーキが間に合わず、そのまま突っ込みインタークーラーのフィンがへにょへにょに曲がるなど、運転中の彼は不運に見舞われることが多い。

 ただしいずれの事故も命に別状はなく、運が良いのか悪いのか解らない。その反動なのか解らないが彼のくじ運はめっぽう強く、クジを当てては車へつぎ込み、パーツやら修理代やらに消えていくのである。

 そんな彼の服装は、黒のタンクトップに、市街地仕様の迷彩カーゴパンツ、それと黒のゴツいショートブーツである。


 佐藤さんが疲れながらに言葉を返した。

「そ、それはそうなんだけど、あのクソ部長もう少し社員の事を考えてほしいわ……」


 そうして、近くに居た自分を含む社員5人、高橋さん、黒田、佐藤さん、日野を連れ最初期のクエストというテストを受けに行こうとしている。


 高橋さんが

「とりあえず、リーダーを決めようよ」

 と言うと、


 何故か皆が一斉にこちらを見てきた。

「俺はどちらかというと後ろで糸引く参謀タイプがいいんだが……」


 日野が俺の肩を叩きながら頼んできた。

「いちおう最年長なんだから、よろしくたのむよ!」


 ちっ。しゃーないなぁ……。と思いながら


「よーし。野郎ども行くぞぉ……」

 右手を挙げ疲れたような声で、腰をさすりながら第一歩を踏み出した。


 そしてまたフチに触れ突然崩れる体と、出現する体を再び拝みながら、街へ向かって歩き始めた。


――

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