最終章 青春破綻者たちの事件簿

スキャンダル

 青春破綻者の研究と称してあたしは色々とやっているけれど、元も子もないことを言ってしまうと、そんなことに意味がないことはとっくに理解していた。

 自分を偽ると青春破綻者に落ちかねない。だから奴らを観察するという話だった。奴らの発生原因は以前話した二パターンが考えられている。偽っていた自分が青春という強烈な環境下に耐えきれずに発露してしまったという説と、青春に侵されてパーソナリティを歪められてしまったという説。

 あたしが警戒すべきは前者という話だったけれど、こんなものどちらのパターンなのかは人によって異なるに決まっている。あたしの場合は前者でしか青春破綻者になり得ないという、ただそれだけのことなのだ。

 答えが出ているならとっとと自分を偽ればいいだけの話なのに、あたしは相変わらず足踏みをしている。……ずっと昔から、そんなこと気づいていたはずだ。何度も出した結論だった。ありのままの桂川美濃を許容してくれる人間なんていない、と。

 でも……だからこそ、あたしはいつまでもこの生物部に留まっているのだろう。


       ◇◆◇


『ご覧の通り、二年C組の柘植狛人は最低な男である。

 美術部に所属する彼は同じクラスの園芸部員、夏目香薇と交際していたにも関わらず、二年A組の演劇部兼図書委員の蕨野結華にも手を出して二股をかけたのだ。

 哀れ、彼は青春という毒に侵されてしまった青春破綻者である!』


 コピー用紙に簡素なフォントで文章が羅列されている。私がこの紙を見つけたのは下駄箱前の廊下だった。階段脇にある謎のスペースに落ちていたのだ。普段ならばこんなもの読まずに素通りするのだけれど、文章と一緒に知り合いっぽい人の写真が掲載されていたので、遅刻しそうだというのに拾い上げてしまっていた。

 写真は二枚載っていて、一つは公園のベンチで狛人くんが夏目さんに膝枕してもらっているところ。もう一つは狛人くんと蕨野さんが恋人繋ぎをして歩いているところだ。

 いやあ、スキャンダラスですな。私は知っていたけども。この件に関しては狛人くんに同情することはできないね。

 それにしても……と、私は文章の一角に目を落とす。……青春破綻者ですって。ミノさん、ついにやっちゃった?

 なんてことを本人に言ったら脛を蹴られそうだ。ミノならこんな紙をばら撒くより──ばら撒かれてるかは知らないけどたぶんばら撒かれてるでしょ──自分の口で言いふらしていくような気がする。こんなことをするメリットも特にないしね。それに……と、心の中でさらにミノを擁護してあげようとしたところでチャイムが鳴った。

 いっけない、遅刻遅刻〜!

 私はこの謎の怪文書をもともと落ちていた床に置くと急いで階段を駆けていくのだった。


      ◇◆◇


「ったく。誰だか知らないけど、やってくれたわよねぇ」

 放課後。私が生物部の部室へ入るなり、脚を組んで頬杖を着いて、不遜な態度でいつもの席に座っていたミノが不機嫌そうに呟いた。まあ彼女は常に不機嫌そうではあるのだけど、今回は一段とまた不機嫌なようだった。鋭い私にはその理由がすぐにわかった。

「流石に違うだろうなと思いつつも一応訊いておくけどさ、あれはミノの仕業じゃないんだよね?」

 あの告発書はどうやら大量にばら撒かれていたらしいのだ。美化委員が回収して処分していたのを見た。

 ミノはうんざりした調子で肩をすくめる。

「当然でしょう。こっちも一応訊いておくわ。あれはあんたの仕業?」

「そんなわけないじゃん」

 私は定位置に座りながら机に突っ伏した。それから顔をミノの方に向け、

「そうなると、一体誰の仕業ってことになるの? 青春破綻者なんて変な単語をこの世でミノ以外にも思いつける人間がいた……ということ?」

「いるなら会ってみたいけど、違うでしょうね。が、勝手に使ったのよ。著作権料と特許料を支払ってほしいものだわ」

 またむちゃくちゃ言ってるよこの子……。それはそれとしてミノの態度にやや違和感を抱く。

「いつもなら、勝手に人の造った言葉を使いおってからに許せん犯人見つけたるわー、ってなりそうなものだけど、なんかおとなしいね」

「そういう感情もなくはないわ。けど、それやると柘植を助けてるみたいな感じにもなって、モチベーション上がらないのよ」

 ああ、なるほど。犯人が明らかになって一番得しそうなの、狛人くんだしね。彼には黙っておけばいいという気もするけれど、どうしても脳裏にチラついちゃって鬱陶しいかも。

「あの紙っていつからあったの?」

「七時過ぎにはあったらしいわよ。掲示板や廊下、各教室に雑にばら撒かれていたみたい。犯人は昨日の放課後遅くか、校舎が開放されてすぐにでもやったんでしょうね」

 暇な人がいたものだなあ。

 それにしても、私たち経由で青春破綻者という単語を知った人たち、か。誰がいたっけ? ……暑い。まだ部室が暑いせいで思考する気力も湧かないね。図書室で起こった殺人事件から二週間くらいしか経っていないのだから涼しくなんてなるわけもないし、何ならもっと暑くなっている。

 エアコンの前に移動しようと思ったところで部室の扉が勢いよく開け放たれた。佐渡原先生くるの早っ、と振り向いたけれど、そこに立っていたのは見るからに苛立たしげな様子の狛人くんだった。

 なぁんだ、と私はエアコンの正面に移動する。風をシャットアウトされたミノが不快そうだったけど気にしない。

「やってくれたな」

 扉を閉めた狛人くんが苦々しい顔で言った。私たちはぼうっと彼を見つめる。

 ノーリアクションの私たちを前に狛人くんはミノの目の前に立つと、ポケットから取り出したくしゃくしゃに丸まった紙を伸ばして机に叩きつけた。

「これ、桂川さんの仕業だろ?」

 ミノは面倒くさそうに小さくため息を吐き、

「そのくだりはさっきもやったわ。……どうしてそう思うわけ?」

「そんなの、俺の二股を知ってるのは二人だけだし、何よりこの青春破綻者とかいうふざけた単語だよ。聞き覚えがあると思ったけど、あのとき桂川さんが言っていたよな。君の造語だったはずだ」

「一緒にいたアスマの仕業とは思わないのね」

「薫子がこんなことやるわけがないからな」

 おっ、さっすが幼なじみ。熱いこと言ってくれるじゃん。

「あんな手間のかかること、例え人任せにしたって薫子はやらない。こいつの面倒くさがりは筋金入りだからな」

 なんか思ってた信じられ方じゃないや。私が素晴らしい精神性の持ち主だからそんなことはしない、みたいな話じゃないの?

 狛人くんは暗い面持ちで頭を抱えた。

「この怪文書のせいで、今日一日俺がどんな扱いをされたのか知ってるか? 女子からは蔑まれ、男子からは笑いものだ。本気で学校辞めたいと思ったのは生まれて初めてだよ」

「良い言葉を教えてあげましょうか。自業自得よ」

 このぐうの音も出ないド正論に狛人くんは顔を大きく歪ませた。ミノは呆れたように背もたれに身体を深く預け、

「だから破滅するって言ったじゃない」

「別に、破滅するのはいいんだよ。いやまあ、よくはないんだけども覚悟はあった。あのときも言ったけど、俺が選んだ青春みちだしな」

 狛人くんは椅子を引っ張ってくると、私たちの正面に腰かける。

「ただそれは、香薇や結華の手によってもたらされるものじゃなきゃいけない。部外者の手で壊されるのはちょっと違う」

 どうやら狛人くんってば、ミノ並に拗れた青春感を持っているようだ。めんどくさーい。

 狛人くんは真面目くさった表情でミノを見つめる。

「この際、俺が酷い目に合ったのはまだいいよ。不倫を週刊誌にスキャンダルされた著名人の気分が味わえてラッキーって感じだ」

 それの何がラッキーなのかはわからないけど、たぶん狛人くん自身もテキトー言ってるだけだろう。

「ただ、香薇と結華まで巻き込むのは筋違いだろ。結華とはクラスが違うからわからないけど、香薇なんて俺と顔合わせるなり登校直後だったのに帰っちまったし」

「蕨野の方はずっと居心地悪そうだったわね。クラスの連中にこそこそ噂話されて」

 そういえばミノと蕨野さんはクラスメイトだったっけ。

「俺が怒ってるのはむしろそこなんだよ。罪のない二人まで執拗以上に悲しませやがって」

「悲しませたのは狛人くんだと思うけど」

 何となくつっこんでみる。狛人くんは焦ったように手を振り、

「いやほらあれだよ、確かに悲しませたのは俺かもしれないけど、執拗以上の部分を桂川さんが担ってるんだよ」

「さっきから決めつけてきてるけど、あたしじゃないから」

「じゃあ誰の仕業だっていうんだ? 二股かけてるのは偶然知ったとかで説明できるけど、青春破綻者なんて謎の単語を偶然生み出したなんて納得できないぞ」

 狛人くんはミノを睨みながら腕を組んだ。対するミノは動じる素振りも見せずに頬杖を着いた。

「あんたのように、あたしたちの口から青春破綻者という単語を聞いた奴が何人かいるわ。犯人はその中の誰かよ」

「だったら、犯人を見つけ出してくれ。二人ならそれくらいわけないはずだろ。図書室で起こった殺人も、二人が解決したんだよな。結華から聞いたぜ。……尤も、本当に真犯人がいるなら、だけど」

 二人って……なんだか私も巻き込まれちゃってるんだけど。今回ばかりはミノも面倒くさそうに顔をしかめている。

 了承しかねているミノに狛人くんは身を乗り出し言う。

「犯人を見つけられなかったり、断ったりしたらこいつをばら撒いたのは桂川美濃だって言いふらすからな」

 うわあ……。流石の私も引いちゃうなあ。それやってもたぶん狛人くんの株が下がるだけなのに。ミノの株なんてそもそも存在しないんだから。まあ狛人くん的にはもうどうにでもなれという感じなのだろう。今の彼は失うもののない無敵状態なのだ。

 酷く顔をしかめていたミノが仕方ないとばかりに肩をすくめる。

「うっざいわね……。わかったわよ。犯人探せばいいんでしょ」

 狛人くんのためになりそうだからと調査を渋っていたミノだったけれど、結局彼のために犯人探しをやることになってしまったらしい。……ちょっと不憫だし、今回ばかりは多少協力してあげようかな。

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