その男、臆病につき

「ねえ、そういえば」

 ひしゃげたシュークリームを頬張りながら言った。個包装の中にぶちまけられたカスタードクリームをプラスチックスプーンでこそぎとった後だったから、皮の食感が重厚で、口の中がぱさついて仕方ない。

 カレはペットボトルのお茶を差し出す、けど、カノは遠慮がちに遠慮した。というのはシュークリームの潰れた原因が、まさにいま差し出されたペットボトルにあったためではなくて(いやそれはそれとして)、単にスイーツに日本茶が合わないと感じたからだ。

 そもそもシュークリームを咀嚼する合間に水分を補給することは、愚行と違うのか? 液体に触れてしまった皮が、散り散りに分離してゆくあの感じ。味蕾の上でふやけてゆく、あの感じ。せっかくのスイーツタイムになぜ嫌悪感を覚えなければならないか。

「コーヒーでも淹れようか?」

 なのでそれにも、んーん、と首を振る。

「ねえ、だから、それよりさ」カノは言う。

「なんでしょうカノンさん」とカレは少し下手に出る。

 それでカノは、はあ、とため息をつく。

「いつまでいじけてるの」

「いじけてないよ。そうじゃなくて、君の楽しみを奪ったから」

「反省も度が過ぎると角が立つ。百円のスイーツに、そこまで求めてないよ」

「160円だよ、また物価が上がったからね」

「カレンくん、それはもう、百円ってことでいいからさ」

「そうですか」とカレはぼんやり頷く。「ところで、なにを言おうとしたの?」

「や、幽霊で思い出したんだけどね」

「うん」

「ほら、私、たまに取材の手伝い、するじゃない。それでこの前もゴースト・ライターのインタビューに呼び出されて、付き合わされたんだけど……あれ、この話、前にしたっけ?」

「聞いてないと思う。というか、ゴースト・ライターって、そんなに堂々と正体晒していいんだ?」

「まあ、晒すもなにも、ただのオカルトサイトの寄稿者だし」

「へえ。そんな世界にも代筆業とか、あるんだね」

「ないよ。いや、しらんけど。じゃなくって心霊の記事を書く人のこと」

「うん?」と彼は言う。言ったあとでちょっと頭を巡らせた。というよりもだいぶ頭を巡らせた。「え、じゃあ、なに。カノンのアタマここじゃOPECの番記者はオイル・ライターなの?」

「お。上手いこと言ったつもりだね」とカノは笑う。「そうするとウェブ・ライターはおしなべて電子ライターでもあるわけだ」

「そして在籍してるかどうか不明な記者もゴースト・ライターだ?」

「いいね。機嫌、直ってきたね」

「他に何ライターまで用意してたわけ」

「血液型占い専門のタイプ・ライターと、月謝で働くムーン・ライター、くらいかな。タイプ・ライターでいうと、アメリカの禁酒法時代を研究するシカゴ・タイプ・ライターなんてのも思いついたけど、これはちょっとツーシームが効きすぎてるね」

「それでこの話のオチは、幽霊だけに、そんな記者は存在しませんでした?」

「いるいる」とカノは根っから愉快そうに笑ってみせた。「ただのマクラだって。前口上、前口上」 

「本題は」

 さて本題。

 第一に、カノは時おり知人の手伝いで取材の助手を務めることがある。厳密にいうと知人とはカノの学生時代の先輩のことを指す。現在フリーランスのライターとして活躍するこの先輩からすると、カノは可愛い後輩兼都合のいい荷物持ちのような存在だ。ので、カノには、対談だけに留まらず、ルポや突撃取材のようなことにも誘いをかける。カノの方でも一切の責任を負わずにいろんな体験を増やせられる機会なので、声をかけられれば尻尾を振ってついて行く。

 それでくだんのゴースト・ライターは、彼はペンネームをコワダと名乗る中年男性で、(さっきカノは寄稿者と呼んだけど)とあるオカルト雑誌のインターネット部局と契約しているフリーの専属ライターだ。

 コワダ氏の記事は、心霊スポットへの肉弾ロケというエモーショナルな内容や、体系化されたレポートの読みやすさや、それからロケ中の様子を収めた動画まで添えられて、読者からも編集サイドからも毎回好感触を得ている。

 また彼の記事の優れてるのは、心霊現象にまつわるなにか因縁や噂を取材先で耳にした場合、必ずその噂の根拠を示すような姿勢からも、表出されてた。地元の図書館や寺社仏閣や、場合によっては元豪族とか庄屋とかいった素封家にも協力を仰いで、徹底的に噂の「出どころ」を調査する。公文書。起請文。家系図。参考資料は様々だ。

 そしてもし調査に一定の成果が見られなければ、そのことは記事にはしない。彼がこの手の記事を供出するとき、そこには必ず『結果』と『手応え』がある。つまり「これだけ調査したのだから」という『努力賞』のような態度をコワダ氏は良しとしない。だからいつでも彼の記事は美しく完成されている。そういうこともあってサブカル界隈で彼のペンネームはそれなりに名が通ってた。

 ただしカノの先輩はもっと一般層向けに活躍するライターであって、普段はコワダ氏となんの接点も持ってない。今回が初対面だし、コワダ氏の名前も存在も、それどころか専属するサイトの名前さえ、依頼を請けた際に初めて知った。取材対象としてのコワダ氏も、彼が名指しで指名されたというよりも、文字以外の媒体にメインストリームが移行する昨今のインターネット空間において、活字に可能性を見出す「次代の担い手」の一人として(やや無作為に)選ばれたにすぎなかったし、それも彼女の意思ではなく編集部の意向に従ってのことだった。

 先輩にとっては気の乗らない仕事だった。記者が記者にインタビューするというのもなんだかごわごわする(彼女はちょっとプライドが高い)し、元々サブカルチャー全般を世間の一段下に見ている人でもあった。『なにかやらかしてしまいそうな気がする』。それで、いわば緩衝材の目的で、急遽カノが呼びつけられたというわけだ。

「取材自体は『インターネット空間における文字媒体の役割とは』とか『AIの躍進に対する所感、またはどのように向き合うべきか』とか、ま、かなり普遍的なとこを突くのに終始したし、ほんと、まったく面白みなく終わったのよ。だからそこんとこは全然スルーしちゃってよくて」

「じゃ、君のしたい本題は?」

「の前に。ねえカレンくん。君はコワダさんをどんな人だと思う?」とカノは言う。「や、つまりね、私は取材に臨む前に彼の記事や動画に目を通したんだけど、そこから受ける印象として、きっとこの作者はブッ飛んだ人なんだろなと、期待してたのよ」

「というからには予想は裏切られたわけだ」

「そそ。取材中はほんと真面目の塊だった。あんまり真面目すぎて面白みがないんだよ。『ほんとにこんなんで記事にできるんかな』って不安になったくらい。まあ私の知ったこっちゃないけどさ。

 ……で。取材の最中にね、なんかの拍子に◯◯(先輩の愛称)が機材トラブル起こしちゃったみたいでさ、急にブラックアウトしてんのよ。通話画面に私とコワダさんだけ取り残されて。そんなのって気まずいじゃん。なんで世間話でもと思ったら、まあ、なんか、思いのほか話が弾んじゃいまして。

 一応、守秘義務があるから詳しくは控えとくけど、そりゃ真面目なはずだよね、本業は銀行マンなんだって、コワダさん」

「銀行マン」と彼は言葉をなぞる。「それがオカルトサイトのライターを? なんだか対極みたいな位置に副業を選んだね」

「でしょ。でしょ。でもサイトにレポートを寄稿する以前から、コワダさんは心霊スポットに赴いては、そこで車中泊するようなことを続けてたんだ。廃村のど真ん中とか廃病院の駐車場とか、そういう場所に車を停めて、エンジンまで切っちゃって、真っ暗な時間をじっと過ごす。空が白んできてからやっと少し仮眠をとる。それが毎週末の彼のルーチン、だった」

 地元の地方銀行に勤め、扶養者のいない独身貴族の彼は、経済的な面では副業に手を出す動機を持たなかった。ギャンブルもしない、これといった趣味もほかにない、または厄介な知人友人親族の類もない、から、金銭トラブルともまったく縁がない。ライター業に手を伸ばしたのは、本人の言を借りれば『なんだかもったいない気がしたから』とのことで、まんじりともせずに過ごす無意義の夜を、ふっと有意義に転換させられるように感じたためだった。

「彼はね、退屈だったの。とにかく退屈で仕方なかったの。銀行マンといえば聞こえは良いけれど、熱情があったのは若いうちだけで、出世に興味がなくなると残されたのは書類を処理するだけのマニュファクチュア仕事。私生活も無味乾燥としてる、だって趣味だけじゃなく、タバコも吸わないしお酒も飲まない、残念ながら交際相手もいない、し、その歳になると(コワダさんはアラフォーくらいだった)気軽に遊べる友人もいない、周りはみんな結婚しちゃってる。そして夢とか特技と呼べるようなものもない。だから心霊スポット巡り以前は、実になにをしてプライベートな時間を過ごしてたかわかんない。気づけば一週間が終わり、一ヶ月が過ぎ、一年が循環した。時間が勝手に前へ前へ進んでゆく感覚を、ずっと味わわされていた。コワダさんはね、そういうことにずっと恐れを抱き続けてたんだ」

「それで巡り巡って心霊スポットで車中泊を?」

「そう」

「よくわからないな」とカレは言う。「気を紛らせる方法なら他にいくらでもあったように思うけど」

「お。たとえば?」

「犬でも猫でも、アイドルの推し活でも、なんでも」

「ああね。かもしれないね。まあ、少なくとも心霊スポットで車中泊なんてのは、とんだ変人の類だよね」

「なぜそこに行き着いたのかが気になるね」

「だけどこの場合、結果より道のりのが大事だよ」とカノは言った。「まかり違ったら私たちだってコワダさんのようになりかねなかった。二人でお芝居ごっこをしてみたり、腕を手錠で繋いでみたり、あったかもしれない。まあ、でも、私たちの場合はそれでも平和だよ。私にはカレンくんがいるし、カレンくんにも、ね。相手がいれば退屈しのぎの閑話も成り立つ。成り立たないコワダさんの退屈はいかばかりであったろか。もちろんペットを飼えばそういうのが少しは紛れたかもしれない。けど事実としてコワダさんはそうはならなかった。そういう、なにがどうなるかの結果は、人それぞれだもんね。でもみんな退屈の曲がり道を通り抜けて、それぞれの場に行き着いてしまう。退屈がそうさせる。だから、なんとなくコワダさんに同情しちゃったよ。ありがたくも現在のところほんのちょっぴり恵まれている私の立場から」

 カレは肩をすくめた。「恐怖より何より、退屈が人を狂わすわけだ」

「まあ、狂ってるは言い過ぎかもしれんけどね」

「でも塞翁が馬じゃない、結局はその変人的趣味が高じてゴースト・ライターとして人気を博してるわけだから」

「ま、ね。コワダさんがそれで幸せならね」

「地銀の行員とサブカル方面に地盤を固めたライターと。ささやかにも2つの成功を収めた人でも、カノンの視点じゃ幸せとは限らない?」

「私には苦しんでるように見えたなあ」、カノはちょっと遠くに視線をやった。まるでそこにコワダ氏の生霊が浮かんでるかのように。「っていうのはさ」とカノはぼんやり続ける。「コワダさん、ほんとはそういうの、大の苦手なんだって」

「苦手。そういうの?」

「心霊スポット巡りとか。怖いとかビックリとか、そういうこと。大の苦手だし人一倍臆病なんだ」

「まさか」とカレは笑う。「それは君、話を盛られたんだよ」

「かもね。ただ、ペンネームのコワダは英語のCoward[意気地なし]から来てるんだよ。私、それまで、名字(小和田とか強田とか)かなと勘ぐってたんだけど、本業の名刺見せてもらったら、全然名前違ってんの。『ノミの心臓だからそのまま活動名にしちゃいました』だってさ」

 カレはそれでも疑う、というよりかは、まだちょっと信じがたいといった様子で眉をひそめた。「え、じゃあ、ほんとに怖がりで心霊ルポなんて書いてるの?」

「らしいよ。本人いわく」

「ますますワケがわかんないな」

「体験取材のあいだもさ、怖くてたまんないんだって。私だって夜中の廃ホテルを一人で探索、なんて、ちびっちゃいそうなのに。だけどカメラを回してるあいだはそんなのおくびにも出さないようにしてる。だから読者はコワダさんが臆病者だなんて、たぶん、夢にも思ってない」

「そうすることに、なにか意味はあるの?」

「臆病者だからこそ、怖いことに首を突っ込むのが、生きてる心地がするんだよ。きっとね」

「きっと。というと、そこまでは聞かなかった」

「なんだか悪い気がして」

 それに制限時間もイッパイだった。端末とアプリケーションを再起動した先輩が画面上に戻ってきて、そこからは滞りなくインタビューが進められた。

 カレは日本茶を一口、口にする。

「肩書だけ見れば順風満帆そうなのに。どんな人でも何かしら抱えてるものだね」

 カノは小さく首を振る。

「退屈を避けたくて『何かしら』を抱えるんだよ。娯楽でも、趣味でも、仕事でも、不安でも、問題でも。逆にいって、ちょっとくらい人生に問題がある方が、自然に人間らしくいられる」

「君は人間が過ぎるけどね」

「言うじゃん」

 指についたクリームを舐め取る。照れくさそうに、にっと笑った。

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