第21話 親友

 首を投げ入れドアを開ける。懸賞金を受け取り、祝杯が上がった。


「かんぱぁい!!」


 夜の酒場の喧騒にも負けぬ大声で、フォニーが赤黒いワインが揺れるワイングラスを掲げた。

 向かいの机には、最早見知った面々である薔薇と巨像の二人がいる。ただ巨像はいいとして、薔薇は気が乗らない様子だ。

 皿に取った千切り葉野菜の酢漬けを食べもせず、意味もなくフォークの先で弄んでいる。


「乾杯」

「……乾杯」

「白けますねぇえ……折角の祝勝会ですよぉ? もぉっと楽しみましょうよぉ」


 薔薇はつまらなそうな表情で頬杖を突きながら、葡萄ジュースの入ったグラスを揺らす。彼女のグラスにアルコールは入っていない。本当にただのジュースだ。

 ちなみに巨像は薔薇よりも盛り上がりに欠ける。食事の方法を見られないようにするためか、腕を組む彼のテーブルの取り皿には何の料理も持っておらず、飲み物の入ったグラスすらない。


「私お酒って嫌いなのよ。匂いだけで結構、ね」

「そぉれはそれは。てぇっきり飲めないからだと思っていましたぁ」

「失礼ね、一応飲める年齢では……あるわよ」


 ジュースを呷り、彼女は溜め息と共に酢漬けを口に運んだ。


「そう言えば、結局何だったのよ。ベイオフを殺したかった理由」

「あぁーそれですかぁ」


 莫大な懸賞金、その八割を彼は本当に薔薇と巨像に譲った。

 薔薇たちとしてはありがたい限りだが、利益を重視するフォニーがただ善意で懸賞金の八割を渡したとは考えにくい。そうまでしてもお釣りが来る程の、メリットがあったと考えるのが合理的だ。

 フォニーはステーキを切り分けもせず歯で噛み切り、口全体で頬張り咀嚼する。


「ちょぉっとした手土産ですよっ。おぉ二方とは今後も関係を続けていきたいっと思っておりますのでぇえ」

「そういうのいいから」

「……んん彼の情報網が欲しかったんですよぉ。ごぉ存じのとぉり? 彼はクレセント王国の滅亡を予ぉ知したかのように離脱していますでしょぉう? そぉれをてにすればっ」

「金になるわね」


 情報は金だ。斯く言う薔薇たちでも事前の情報収集を欠かしたことは数える程しかない。そしてその結果全てが等しく、生命の危機に瀕している。情報は命にもなるという好例だ。

 国家間の情報であれば重要度はさらに跳ね上がる。

 例えば、隣国が戦争の準備をしているという情報を流せば、虐殺されるしかなかったその国の人間を大勢救うことができるだろう。

 疫病が広まっていると知らせれば、交易に莫大な損害が齎され多くの貧民層が餓死するだろう。

 情報はそれ一つで、一人の人間を動かす。一人の人間はその後、大勢の人間を動かす引き金トリガーになる。その波は徐々に広がり、やがて国を、大陸を飲み込むかもしれない。

 それを考えれば情報は、命よりも重い。そう言い換えることができるだろう。


「じゃあ今後は、私たち相手には無償で情報提供することね」

「おぉやおやとんでもない! 私がお二方を恐れていたのもぉお今は昔の話っ。情報網が私の手にあぁる今っ! お二方とは二度とお会いする機会はございませんよぉ?」

「あら、私は別にここで殺してもいいのよ」


 薔薇の睨みが効いたようだった。


「……じょぉう談ですよぉ! おぉ怖い! 是ぇ非で提供させて頂きます」

「ならいいわ」


 しばしの沈黙が満ちた。

 酒場は今も尚騒がしい。

 どこかの席が穏やかな雰囲気で語り合っている。カードゲームをやっている席もあれば、机の上で踊る乱痴気騒ぎの席もある。

 そんな様子を見て、まるで故郷を思い浮かべたかのような望郷を孕んだ薔薇の瞳と横顔を、フォニーはワインを口腔に含みながら見つめていた。


「懐かしいですか?」

「……何が?」

「いえ、当時現場はパーティーの最中だったと聞いていますので」

「まぁ、あれだけ喋ってれば嫌でもアンタの耳にも入ってるわよね」


 肯定の代わりに、フォニーは鴨肉のソテーを頬張った。


「別に。あの時私は地下にいたし……あ、この木偶と一緒にね。あの夜を私全部は見てないのよ。だから、分からなくって」

「何がです?」


 爆発による衝撃。そしてそれが収まった時更地になった城の、地下への入り口の前でメイアンは倒れていた。

 背中は赤黒く爛れる大火傷。麗しかったその顔も、すらっと伸びていたあの四肢も、全てが炎によって焼け爛れ、美しい銀髪は根元から無くなっていた。

 そんな状態で這うようにしてそこまで辿り着き、地下に行く前に死に絶えたのだろう。

 家族と共に逝くでも、水を求めて堀へ行くでもない。ただ、薔薇たちがいた地下へと向かった。その意味が、薔薇には未だに理解できてなかったのだ。


「あの時の、あの子の意図。それを知らずして、私はメイアンでいていいのかしら……って、ちょっと思ってね」

「影武者だってことは、当然普段は最も近くにいたってことですよね?」

「まぁね」

「ふぅん……だとすれば簡単ですよ」


 メイアン・ルイーズ・ピース=クレセント。クレセント王国の王女は、生まれながらにして類い稀なる才を持っていた。

 勉強に関しては学者に引けを取らず、武術を学べばすぐに会得する。チェスをすれば相手の駒は全て盤上から落ち、何に対しても臆さない強い心を持つ。人心掌握にも長け、国民のほぼ全ては彼女を親しい隣人だと思っていた筈だ。

 誰もが彼女に敬意を抱いていた。それを、彼女は求めていないとは知らずに。

 そんな時、彼女はある孤児を拾い請ける。

 自分とそっくりの銀髪。背丈も同じ、声も同じ。まるで、鏡の中から出てきたような女の子だった。

 メイアンは、彼女を友のように接した。そして彼女に、自分にもそうするようにと教えた。育った彼女はメイアンと瓜二つの容姿ながら、彼女に対して唯一友愛を向ける存在となるにまで成長する。

 共に城を抜け出した。紅茶と茶菓子を楽しんだ。庭園を走り回り侍従に叱られた。


「友達を、心配したんですよ」


 薔薇は知らない。そしてこれからも、知る機会は無い。

 メイアン・ルイーズ・ピース=クレセントにとって、薔薇はたった一人の心許せる友人だった、ということを。

 そしてそのような関係性を、親友と呼ぶという事も。

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