蛇足 狡猾な贋作

第22話 フォニーと冬の街

 馬を厩舎に止め、宿を取りに入り口が面する大通りに出る。

 降る雪は細かく、冷たい。試しに掌を上に向けてみると、落ちてきた雪は黒い手袋の上からでも伝わる体温で、じんわりと溶け手袋に染み込んだ。

 白いシャツと、黒みがかった緑のベスト。その上には欠かさず身に着ける黒いケープ。

 下は黒いパンツが足全体を覆い、足元は焦げ茶色のベルトと同色の革靴で素肌を晒さない。ただ、その左足には、彼の行動を制限するかのように曇天のような色の鎖が幾重にも巻き付いていた。

 腰には鞘の無い二振りのファルシオン。まるで見せつけるかのように、手首や首元、耳に輝く金銀宝石のアクセサリー。そして、それら全てを上から包み込む漆黒のコートは、袖を通さず羽織っている。

 贋作フォニー。冬の街の姿である。


「おや?」


 ふと、大通りの喧騒に違和感を抱く。

 なんら変わらない。街を行く人々はフォニーと同じように寒さに抗い服を着込み、白い息を吐きながら歩いている。

 雪も彼らを止めるには少し役不足で、ブーツの底と馬車の車輪は薄雪の上に確かな足跡を残している。

 しかし、その風景にどこか違和感を覚えるのだ。

 否、風景と言うよりか雰囲気が、流れている空気が違うと言う方が正しいかもしれない。

 人々の表情が、目の輝きが、視線が、姿勢が、歩く速度が。吹き抜ける風が、空を覆う雲が、降り止まぬ雪が。どことなく、他の街とは異なるように感じたのだ。

 フォニーの抱いた違和感は良く当たる。それが彼の単に勘が鋭いだけか、「生きる」ということに全てのチップをベットしたお陰かは何物も知る由もないが。

 いつまでも通りを歩く人を眺めていても何も始まらない。

 宿屋のドアを開け、足早に部屋を取り荷物を置く。そして再び街に出た。

 何度も折り畳み小さくなった手配書を、フォニーは大きく広げぬように確認しながら足を進める。

 今回の標的は、名も知らぬ一人の女だ。

 手配書なのに名も知れぬとは。しかしそれには、彼女のしてきた罪に大きく関係している。

 犯罪者には大きく分けて六つの分類がある。彼女の場合、それら殆どに当て嵌まるだろう。

 まるで、美という言葉に手足が生え、生きているかのような美貌を持つというこの女は、その美貌を悪用することに目を付けた。

 数々の権力者の男を恋という泥沼に突き飛ばし、金をせしめて自分だけは這い上がる。時には婚約を仄めかせ、時には男に付き纏われるか弱い女を演じ。名を変え、狩場を変え、時には相手を殺し火を放つ。被害に遭った男の数は百を優に超すという、まるで絵に描いたかのような悪女だ。

 名前は男の度に変わる為、正式な氏名は分からない。しかし、何度も男を引っ掛ける彼女を揶揄し、巷ではこう呼ばれている。ムカデと。


「さぁて、行きますかぁ」


 既に留り木より、この町の情報屋の情報は得ている。後は向かって情報を提供してもらうのみだ。

 酒場に立ち寄り、店内を見回す。狭い店内に巨像ほどではないが大きい男。少しだけ浮いている。だが、彼にとっては慣れたものだ。

 寒い町だからか同時刻の王国の酒場よりも盛況だ。強い酒を体に入れねば、凍えてしまうのだろう。この辺りの人々は酒豪が多いとも聞く。

 ただその中で、一人甘い果実酒を飲んでいる男が一人。


「こぉんにちは! 貴方様がカクテルメーカーで?」

「知らんな。あんたは?」


 茶色い革のコートに同色の中折れ帽子。果実酒を飲む男の顔を覗き込むように、フォニーは机と水平に首を傾けた。

 ただ、男は視線を合わそうともしない。


「おぉや? キッド様から聞いてませんのでぇ?」

「誰だそれは。……知らん奴の質問に答える義理は無いな」


 会話の意思が無いと暗に告げる男に、フォニーは覗き込むのをやめると仰々しく両手を広げ、天井を仰ぎ見る。


「こぉれはこれは! まずは自己紹介から始めるべきでしたねぇえ! 私ぃ、名をフォニー。巷では贋作だぁ、五枚舌だぁ、ペテンだぁ等とぉ謂れのない綽名で呼ばれてはいますがぁあ、その生業は賞金稼ぎ。悪を懲らめぇ、弱きを救うっ。文字通りの正義の執行官にございますっ。以後ぉ、お見知り置きを」


 二人の間に沈黙が満ちる。酒場の喧騒は、未だ衰えを知らない。きっと、誰もこの二人のやり取りなど聞こうとしていないのだろう。

 男はフォニーの自己紹介に返事をするでもなく、懐から出した丸い玉を口に含むと、果実酒の入ったジョッキを口に付けた。

 何らかの菓子、または丸薬だろうか。そう思ったのも束の間机に置いた酒の水面には、彼が先程口に含んだはずの玉が浮いていた。

 それがただ下品な芸でないことを、フォニーは確信する。


「まぁ、飲めよ」

「……頂きます」


 差し出されたジョッキを呷り、浮いていた玉を口の中に含む。

 桃のリキュールを柑橘の果汁で割ったものだろう。この地域で飲む酒にしては度数はかなり低く、ジュースに限りなく近い。

 そしてジョッキを机の上に戻した後、彼は手の中にその玉を吐き出した。

 小さく纏められた紙だ。かなりしっかり作られているのか、完全に酒に浸かっていた筈も、破れずに広げることが出来る。

 やはりだった。広げた紙に書かれていた内容を確認し、フォニーは確信する。


「ぉや……この味は私の知人のものではないですねぇ。知人はただの葡萄のジュースがお好みですからぁぁ……。となるとぉ、どうやら人違いだったようですねぇえ! ん大変申し訳ない!」

「分かってくれりゃいいんだ。ただ謝るってんだ、まさか言葉だけじゃあねぇよな?」

「ぇええ! もちろん! こぉれは私の気持ちですっ」


 フォニーが何枚かの金貨を置くと、男は満足そうな顔でそれらを懐にしまった。無論ただの謝罪料ではない。情報に対する、正当な対価だ。

 情報屋コクテル。通称『紙酒呑みカクテルメーカー』は情報を渡す際に、酒に情報を書いた紙を混ぜることでその異名が付いたという。

 裏社会での知名度で言うと、キッドとトントンと言った所か。この地域では最も有名な情報屋の一人である。フォニーも相まみえた事は無かったが、噂程度には聞いていた。

 紙に書かれていたことは、彼がキッドからフォニーのことを既に聞いていたということ。そして、ムカデの狩場について。

 仕事は十分に果たしてくれた。という訳だ。

 酒場を後にし大通りに再び出る。いつの間にやら、触れたら消えてしまうような細雪は、肌に確かな冷たさを感じさせる白雪へと変わっていた。

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