第4話

 そんな生活が二か月も続いたある夜。眠りに就く兼勿を七三分けの男が揺すり起こした。鳥田だ。

 鳥田は満面の笑顔で、深々と頭を下げた。


「完済、おめでとうございます! いやあ、エクストリームで完済された方は久しぶりでして、この鳥田、兼勿様の担当として、また、営業職に就く者として感謝と感銘を……」

「そういうの結構ですんで」

「あ、ハイ」


 満面笑顔のまま顔を上げた鳥田が、ブリーフケースからタブレットを取り出し、兼勿に差し出した。


「返済完了のご署名をお願い致します」


 兼勿は落ち着き払った表情で頷く。この二か月の間、降りかかる不運を間一髪で躱し続けた経験は、兼勿にこれまでとは違う自信を与えていた。

 鳥田は悠然とした態度でサインする兼勿を眩し気に見詰め、切り出した。


「これで幸運と不運が相殺になったので、現在ご利用中の幸運の一部と利息分、元々兼勿様がお持ちの運がお手元に残ります。但し、兼勿様への融資はこれで打ち切りとなりますので、その点は注意して生活なさって下さい」

「そうですか。一つだけ聞いていいかな?」

「何でしょう?」

「犬のう〇こを踏みかけた時、鳥田さんを見掛けた気がするんですけど、あれもエクストリーム返済の一環だったんですか?」

「……やはり、緩急があった方が良いかと思いまして」


 頷く鳥田に、兼勿は苦笑した。


「その分、他にしわ寄せがいくじゃん……まあ、いいけどね」


 以前の自分だったら、もっと腹を立てただろうと兼勿は思う。だが、今の自分からすればそんなのは些細な事で、それよりも、今後の身の振り方の方がよっぽど重要だった。

 幸運を融資して貰えなければ、生き馬の目を抜く金融業界で、自分の様な平凡な人間がやっていくのはきっと難しい。ここが潮時なのだろう。そして今の自分は、多少の困難があっても、自分の身を護る位は可能なのだと知っている。裸一貫、他の業界に転向するくらい、どうという事もないじゃないか。

 一種の悟りを得、仏像の様に穏やかに微笑む兼勿に、鳥田が切り出した。


「兼勿様、ここは一つ、新たに契約をされては如何でしょう」

「んえ?」

「いえ、ここ二か月程兼勿様を拝見していて、この方を逃すのは惜しい……そう思う様になりました。ええ、ぶっちゃけて申しますと、大口客に化ける予感がするんです。兼勿様には既に完済実績もありますし、融資額を広げることも可能でしょう」


 暫し鳥田の言葉を反芻し、兼勿が口を開いた。


「……俺が契約方法を選べるの?」


 鳥田の目が輝く。


「ええ、ええ、勿論です! 融資額も、返済期限や方法も、ある程度御相談に乗れるかと存じます! 如何でしょう、弊社を、いえ、この鳥田を信じて頂くことは」

「契約します」

「え、やったあ」


 思わず素になった鳥田に、兼勿が尋ねる。


「融資額は、そうだな、急激な変化はついていけないかもしれないから、まずは現在の1.1倍で、返済期限は融資開始から一年、どう?」


 タブレットの電卓機能で素早く計算し、鳥田が頷く。


「可能です。それで、返済方法ですが……」

「エクストリーム返済でお願いします」


 鳥田の動きが止まる。やがて、タブレットからゆっくりと顔を上げ、その目が兼勿を捉えた。

 僅かな間の後、鳥田はタブレットを操作し、兼勿に差し出した。口の端を、にやりと持ち上げて。


「……承りました。それでは、こちらにご署名を」


 兼勿はゆっくりと頷き、タブレットを受け取った。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

危機一髪過ぎる男 遠部右喬 @SnowChildA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ