第3話 救世主

 赤い大地が広がっていた。空には真っ青な塗装が施されている。太陽は銀色。


 意識を取り戻した優奈は、足元の赤い大地が動いていると感じた。それは沢山の焼けた砂で出来ていて、風に流されているのだ。


 断崖から落ちたのに、生きてる? ラッキー!


「危機一髪だったわ」


 自分の強運に感謝した。


 ところで……「ここはどこ?」


 見渡すかぎりの砂、人の影も家も木立もない。おまけにスマホもない。ピンクの髑髏どくろのケースが気に入っていたのに!


「落ちつけ」自分に言い聞かせる。ここは谷底のはずだ。


 再び世界を見渡してみる。赤い砂漠と青い空、銀色の太陽。これが現実……。


 瞬間移動、タイムスリップ、ミステリートライアングル、四次元ポケット、異次元転生……。沢山の言葉が浮かんだけれど、どれも納得がいかない。


 脳は力尽き、身体は感覚を失う。……脱水症状だ。


「このまま干からびて死んでいくんだ」


 絶体絶命から危機一髪、そして五里霧中、いや、再び絶体絶命!


 のどが渇くのに、眼から涙があふれた。……あぁ、もったいない。


 コンビニの棚に並んだミネラルウオーターを思い出しながらうずくまった。


 ダンゴ虫のように丸くなって途方に暮れていると意識が遠のく。その時だ。大きな影に覆われた。


「女、何をしている」


 影の持ち主が言った。


 見上げると、声の持ち主はラクダにまたがった男だった。


 危機一髪、助かった。影の主が救世主に見えた。


 ラクダは12頭いて、その内の5頭にテレビで見たことのあるアラブの衣装を身に着けた髭面のアラブ人が乗り、7頭には山のような荷物が積まれていた。


 砂漠にラクダは自然だと思う。ラクダにアラブ人が乗っているのも自然だ。でも、その男が日本語で話すのはおかしい。おかしいとは思うけれど、水も食料もない場所に現れた男は救世主に違いない。救世主だから日本語だって分かるのだろう。そう納得した。


「迷子になりました」


「異端者だな?」


 男は優奈の返事を無視して自分が言いたいことを言い、聞きたいことを問う。


 どう答えていいのかわからない。異端も何も、宗教を信じていない。


 黙っていると、男はラクダを座らせた。優奈を頑丈な腕で抱き上げ、ラクダの背に乗せる。その後ろに彼が乗った。


 ラクダが歩き出す。


「お前は、インド人か?」


 背後で救世主が訊いた。


「日本人です」


「日本人?……知らないな」


 救世主は無知で無口だった。


 谷に落ちたはずの自分が、どうやって砂漠に飛ばされたのだろう。ラクダの背に揺られ、考える余裕が生まれた。


 やはり死んだと考えるべきなのか。ならば、ここは天国、いや、地獄かもしれない。


 考えるより、訊く方が早く簡単だ。


「ここはどこですか?」


 救世主に声をかける。


「知る必要はない」


 救世主は冷たかった。不安が魂を侵食する。




 砂漠は果てしない海のようだった。ラクダがどんなに大股で歩んでも景色が変わらない。オアシスという言葉は知っているけれど、それらしき緑は見えてこない。


 男たちは定期的にラクダを止め、地面に座り込むと大地を舐めるようにして神に祈りをささげた。水もなく緑もなく、時には砂嵐で進路を見失う砂漠の航海。彼らの命と生活は、神によって支配されていた。


 やがて銀色の太陽がオレンジ色に姿を変えて傾き、気温が下がる。


 ラクダの隊列は止まり、男たちは砂山の陰にテントを張った。荷物から薪と食料と水を取出して夕食を作る。


「食え」


 救世主は焼いたパンの様なものを差し出した。カレー専門店で食べたナンのような味がした。カレーが欲しいと思った。


「今晩は楽しめるぞ」


 男たちが食事をしながら語り合う。


 、と昭和のアイドルが歌っていた。私たちはそれをカラオケで歌う。今まで実感はなかったけれど、現実味を帯びて迫っている。


 救世主が悪魔に変わる。その晩、優奈は5人のアラブの男の欲望を受け入れなければならなかった。


 もちろん最初は断った。すると「男に逆らうな」とほほを殴られた。平手だったけれど、救世主の皮膚はラクダの皮のように厚く、頬はとても痛かった。


「日本では、男と女は平等なのよ」


「それは可笑しな国だ」


 男たちが笑った。


 優奈は泣く泣くペルシャ絨毯じゅうたんの上で男たちにもてあそばれた。彼らは容赦がない。精を大地にこぼすと神が怒ると言って、中出しされた。


 避妊具を買ったのに、肝心の時にないなんて……。男の肩越しに、濃紺の空を渡る三日月を眺めて避妊具を呪った。


 翌日も同じことが続いた。まるで性欲処理のコンビニだ。


 拘束されているわけではなかった。だから逃げるチャンスはいくらでもあったけれど、逃げる行先が見当たらなかった。ブラック企業で働くということは、こういうことだろうと思った。


 3日目の夜。3人目の男を相手にしている時に気づいた。私はセックスが好きだったはずだ。泣いても笑っても犯されるのなら、楽しめばいいじゃない。


 それから優奈は男たちを積極的に受け入れた。「もっと、もっと、私を気持ちよくさせなさい」自ら望むと、夜が快適になった。


「おまえは美しい」


 肌を重ねると男たちが言う。逆らわなければ、彼らは紳士だ。ここでは肌の黒さはハンディキャップではない。


「よく言われるわ」


 自分の信念に基づいて答えた。


 優奈は、そうやって男たちと戦いながら砂漠の旅を続けた。生きるために。

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