第31話 守れなかったもの

 襲撃から一夜が明けて。


 ケラミーの言葉通り、〈海魔〉から逃れ西へと移動していたノアは進路を北西に取り、一路渓谷地帯へ進んでいく。


 昼頃には【局】からのアナウンスでノア機関部の損傷についてと、修繕に伴い数日間の停泊をする旨が都市中に伝えられ、勧告通り入り組んだ広い渓谷の一角でノアは移動を停止した。


「はい、これ。哨戒部隊のメンバーが付ける腕章よ」


 ケラミーからの連絡がデュークの下まで来たのは、既に陽も沈もうという時分だった。


 支部の開拓者用ロビーの端に設けられた談話スペースで、向かい側のソファに座ったケラミーが銀地に赤や黄色の刺繍が入った腕章を手渡してくる。


 デュークがそれを受け取るなり、ケラミーが自慢の銀髪をかき上げては得意げに胸に手を当てた。


「喜びなさい、デューク。ご希望通り、あなたをノアの外に出す為のお膳立ては全て済ませておいたわ」

「……本当に1日でできたんだね」

「大変だったのよ? 今日は朝から一日中支部を走り回って、方々に打診して、支部長にも何とか許可を貰って。それでついさっきようやく、私が隊長を務める哨戒部隊を一つ増設できることになったわ」


 正直な話、やはりダメなんじゃないかという不安は無いでもなかったが。


 まじまじと手元の腕章を見下ろしながら、デュークは改めてこの少女職員の辣腕ぶりに舌を巻いた。


「……なによ、その意外そうな顔は。もしかして、私のことを信じてなかったのかしら?」

「信じてたよ。八割くらいは」


 デュークが素直にそう答えるや否や、ケラミーが不気味なくらいに満面の笑みを浮かべて距離を詰めてくる。


「私は優しいから、一度だけ発言の訂正を許してあげる。━━?」

「……全幅の信頼をおいてた」

「あらそう? 嬉しいことを言ってくれるわね。そういう素直な所、好きよ。デューク」


 誘導尋問にも程がある、とは口が裂けても言わないようにして、デュークは預かった腕章をウエストポーチにしまった。


「哨戒部隊は明日の朝から、ノア周辺数キロ圏内の巡回を始める手筈になっているわ。私たちの担当区域は北。あなたの言っていた、例の凹み穴地帯に該当する場所ね」

「それは、運がいいな」

「冗談! 私が無理言ってそうさせて貰ったのよ。これに関しては本当に苦労したわ。編成を組む上官の弱みを……じゃなくて、根気よくをしてね?」

「……なる、ほど」

「そうよ。まったく、昇進が控えるこの時期に、あんまり強引なことはしたくなかったのに。デュークあなた、本当に感謝しなさいよね」


 何やら黒い裏事情が垣間見えなくもなかったが、デュークはひとまず黙って頷いておいた。


「ただ、いかんせん急ごしらえの隊だし、哨戒という名目で遺跡の捜索をするわけだから、メンバーは事情がわかる最小限の人数になってしまうわね。私とデュークと、あとは……」

「よう、お二人さん! 職場で堂々とイチャつくたぁ、見せつけてくれるじゃねぇの」


 いつの間に近くにいたのか、談話スペースの仕切りの向こうからヒョイッ、とダルダノが顔を出す。


 悩まし気に頭を抱えて、ケラミーがソファの背もたれに身を沈ませた。


「断腸の思いでこいつよ。一応【局】の技術部からも一目置かれてるようだし、民間の協力者ってことで私のチームに入れることができたの。いないよりはマシだと思ってね」

「ひでぇなぁ、これから一緒に頑張るチームメイトじゃねぇか」


 談話スペースの仕切りに膝を掛け、ダルダノが腕章を見せびらかした。


「聞いたぜ、デューク! 古代遺跡の探索に行くんだって? そんな面白そうな話を聞いたら、そりゃ行くしかあるめぇよ。なぁ?」


 相変わらずのおどけた態度を、けれどそこでダルダノは少しだけ引っ込めて。


「まぁ……ていうのはさすがに冗談でよ。お前、ピュラちゃん治す方法を探す為に行くんだろ? だったら、オレにも手伝わせてくれ。一番の得意先なマブダチと、将来有望な弟子の一大事だ。ここで知らん顔してちゃ男が廃るってもんだぜ」


 それに、とダルダノが不意に真剣な顔つきになる。


「お前らを助ける為に漢を見せたあのヘレンワン公の踏ん張りを、無駄にする訳にもいかねぇしな」


 固い意志を秘めたその言葉に、デュークも大きく頷いてみせた。


「頼もしいよ。よろしく、ダルダノ」

「ガハハ、任せとけ! 古代遺跡の十や二十、オレがあっという間に見つけてやらぁ」

「出発は今夜、日の入りと同時にノアを出るわ。舞台には車両が一台貸し出されるから、今夜はそこで野営よ。一通りの装備は支給されるけど、各自での準備も万全にしておきなさい。夜が明け次第、遺跡の探索を始めます」


 チームリーダーの立案した段取りに、デュークもダルダノも賛同の意を示した。


「よろしい。それじゃあ――チーム『ピュラちゃんを助け隊』、作戦開始よ!」

「……おいデュークよ。なんか勝手に変なチーム名が付いてるぞ、いいのか?」


 ひそひそと告げてくるダルダノに、デュークはそっと苦笑した。


 ※ ※ ※


「あいつは、よく笑うようになったよ」


 夕焼け色に染まる診察室のデスクチェアーにもたれかかり、窓の外の住宅街をまばらに歩く人々を目で追いながら、ミグロッサはしみじみとそう言った。


 背後でシーツの擦れる音がして、ガサついた少女の声が背中にかかる。


「……デュークさんが、デスか?」

「そうさ。ここ最近のデュークときたら、うん、まるっきり昔に戻ったみたいだった。元々大人しい奴ではあったけどね、それでも私と一緒に本国の下町を走り回ってたような時期は、この頃みたいによく笑ってたよ。あいつ、笑うと案外可愛い顔してるんだ」


 しししっ、とミグロッサは茶化すように笑った。


「ソウ……だったンですか? 普段かラ、結構ワラッテ、いた気がシマすけド」

「そりゃ、ピュラちゃんにはそう見えるだろうさ。なんたってデュークがまた昔みたいに笑うようになったのは、ピュラちゃん。君と生活するようになってからだからね」


 ミグロッサが振り返った先で、ピュラはちょっと驚いたように目を丸くして、それから口元に微かな笑みを浮かべる。


「ソレは、光栄、トいうか……トテモ、嬉しいことでス、ね」

「うん。あいつはきっと、楽しかったんだ。誰かと……ううん、ピュラちゃんと一緒の暮らしがさ。ノアには私もいるし、あの世話焼きな女房役やオタク仲間な悪友もいるけど、それでもやっぱり、デュークはこの広すぎる荒野の中では、いつも独りだったから」

「それは……〈考古学者〉、ダッタから?」

「まぁ、それもあるだろうね」


 未開拓地の探索は、ただでさえ無数の危険が付きまとう。


 少しでもリスクを減らしたいのに、ともすれば野蛮なテロリストかも知れないデュークを仲間にしよう、なんて物好きな開拓者はまずいなかった。


 そもそも、「未開拓地の〈旧文明遺産〉」などという実在するかどうかも怪しい物を探し続けているデュークたちの学派自体、同業者たちからも変人扱いされていたほどだった。


「その上、あの不愛想ぶりだからな」


 苦笑しつつ、ミグロッサはデスクチェアーから立ち上がる。ベッドの上に腰を下ろし、横になるピュラの硬い頬を包み込むようにして手を添える。


「だからあいつは……多分、怖いんだと思う。今のこの、君との生活が無くなってしまうのが。無くなって、また独りぼっちの荒野に戻るのが。昨日、ピュラちゃんを運び込んできたデュークの顔を見て、私は胸が詰まりそうだったよ。あいつのあんなに怯え切った顔を見たのは後にも先にも……うん、ライネさんが死んだとき以来だなぁ」

「ライネ、さん?」


 遠い昔を思い出しながら、ミグロッサは「ああ」と頷く。


「ライネ・リオン――デュークが九つの時に死んだ、あいつの母親だ」


 ミグロッサの手の中で、ピュラのガサついた肌がピクッと震える。


 濡れ羽色の長い髪が印象的な、美しい人だった。


 気立てが良くて、誰に対しても平等に優しくて、ちょっと気が強い所もあって。いつもニコニコと穏やかに笑っていた。


「『女神さまみたいな人だなぁ』と、私も子どもながらに思ったものだよ。私も私の父も、彼女には本当に助けられたんだ」


 ミグロッサがまだ父の手伝いも覚束ないほど小さかった頃。


 診察していた患者絡みで裏組織同士の抗争に巻き込まれ、父娘で当てもなく下町を彷徨っていたところを、通りかかったライネに拾われたのだ。


『ちょうどよかった。主人も学派の皆さんも生傷が絶えなくて。うちに専属のお医者様がいれば、私も安心なのだけれど』


 そう言って、ミグロッサたち父娘をデュークの父親が率いる考古学者グループ「リオン学派」のアジトで、住み込みの医者として雇ってくれたのだ。


「デュークともそのときに出会ってね。有り体に言えば、まぁ、幼馴染みたいなものかな」


 充実した日々だった。


 きちんとした足場に乗ったお陰で、ミグロッサも本格的に医学を学ぶことができた。


 デュークの父でリーダーのプロメットをはじめ、学派の皆は反〈考古学者〉主義の連中との小競り合いで毎日のように傷だらけになっては、診察室に押しかけて来た。


 以前の放浪生活より遥かに忙しかったが、それでも学派の皆に混ざって賑やかな食卓を囲んだり、仕事が暇なときはデュークと一緒に町に繰り出したり、毎日が楽しかった。


 そして、その楽しい日々の傍らにはいつでも、あの女神のような微笑みがあった。


「でも……ある日、学派のアジトが襲撃された」


 襲ってきたのは、敵対していた中でも特に警戒されていたグループの一つだった。


 おそらくは見計らってのことだろう。プロメットを含め学派の主要メンバーはちょうど出払っていて、アジトには戦える者がほとんど残っていないタイミングだった。


「それでも皆、必死に抵抗したよ。でも一番奮闘していたのはデュークだったな。まだほんの子どものくせに、学派の皆から学んで鍛えた腕で大の大人相手に一歩も引かなかった。ただそれは、同時に最悪の結末を引き起こす事にもなってしまった」


 仲間を次々と退けていく末恐ろしい少年を危険視したのか、襲撃者たちは攻撃の対象をデュークに絞り、数発の銃弾がデュークの体を貫かんと撃ち放された。


 そして、学派の誰もが息を呑んで動けずにいた中で、ただ一人。


 デュークの前に庇うようにして、濡れ羽色の影が飛び出したのだ。


 直後に戻って来たプロメットたちによって襲撃者が掃討されたときには、呆然とした顔で座り込むデュークの腕の中で、床一面に赤い色を広げながら、それでも。


 息子を護れたことへの安堵からか、いつものように安らかな笑みを浮かべたまま、ライネは静かにこと切れていた。


「それからだ……デュークが笑わなくなったのは。あいつの父親は妻を失った悲しみを振り払うように研究に没頭し、デュークもひたすらにそれを手伝った。それ以外のことは何もしなかった。四年前、あいつがノアに乗り込んでからも、ずっとそうだった」


 一気に喋りすぎたな、とミグロッサは喉の渇きに腰を浮かせ、デスクの上の魔法瓶から二人分のマグカップに紅茶を注ぐ。


 ほんのり湯気の立つマグカップの一つを差し出すと、ピュラは左手で慎重にそれを受け取り、カップの底をゴツゴツとした右手でぎこちなく支えた。


 ミグロッサの話を複雑な面持ちで聞いていたピュラは、琥珀色の水面に映る自分の顔を消そうとするように、おもむろにマグカップに口を付ける。


 温かいお茶を飲んでほんの少し気分が落ち着いたのか、「ふぅ」と一息吐いてからピュラは言った。


「……トテも、お辛カッタでしょうネ」

「うん。あれはもう、確実にトラウマになっているだろうね。だからこそ、またあの時みたいに大切な人を目の前で失ってしまわないようにって、デュークは今、必死に動き回っているだろう。どうにかして、ピュラちゃんを助けようと。襲撃者相手に死に物狂いで奮戦した、あのときみたいに」


 ミグロッサが言うと、ピュラは何やら嬉しそうに微笑んだ。


「━━ナンだか、チョッぴり安心しましタ」

「ああ。あいつなら、きっとすぐにピュラちゃんを助ける方法を」

「いえ、ソウジャなくて……安心シタのは、デュークさん自身のコトデス」


 ミグロッサが言い掛けたところで、ピュラはやんわりと首を左右に振った。


「デューク自身のこと?」

「ハイ。私は、デュークさんをズット、一人でも生きてイケる、強イ人なんダと……思っテマシタ。凄い人だナって」

「……ああ、そうだね。あいつは強い奴だ」

「はい。デモ……その強サが逆に、どこか壁ノようなモノを感ジサセテもいて」

「それは……」


 しばらく言葉を探して、けれどミグロッサは黙って頷いた。自分自身、時々そう感じることが確かにあったからだ。


「デも、先生のお話ヲ聞いて……少しだけデスガ、やっとデュークさんヲ身近に感じラレマシタ。アノ人はキッと、私が思っテいたホド強い人ジャない。デュークさん、本当に優シイ人ダカラ。お母様の死にだって、本当は誰ヨリも心を痛めてイルと思ウンです」


 ピュラは俯いていた顔を上げ、不安げな声を漏らす。


「ソレをズット、〈旧文明遺産〉の探求ニ打ち込むコトで、ギリギリの所デ踏み止マッテいたんだト思いまス。ナノに、ココで私までイナクなってシマエば、デュークさんは今度コソ……」


 だから、と。


 ギシギシと軋む口元に、それでもピュラは精一杯の笑みをたたえて言った。


「だから━━私はケシテ、死んデシマウわけにはいきマせんネ」

「…………ははっ。やっぱりいいコンビだよ。君たちは」


 ミグロッサが肩をすくめると、まだハリのある肌色の部分を朱に染めながら、ピュラもどこか得意げに胸を張った。


「ソ、ソウでスよ? デュークさんと私は、ノアの開拓者一ノ名コンビ、なんデス」

「なら、君たちが早いとこコンビ復活できるように、私も出来る限りの事はさせて貰うよ。そしたらいつか、診療所の入り口にこう書くのさ。『ノア一の開拓者タッグ御用達!』」


 おどけた口調でミグロッサが言うと、ピュラもクスクスと笑いを零した。


「ハイ。期待してイマスね、先生」

「任せてくれたまえ。今頃はデュークとも頑張っているだろうし、私も久しぶりに本腰をいれてかかるとするかな。そうだね、差し当たっては」


 言って、ミグロッサはマグカップの紅茶を一息にあおった。


「ピュラちゃん。君の元所有者オーナーについて、もう少し詳しく聞かせて貰ってもいいかな?」

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