第30話 パートナー

「こんな時間にどこに行くつもりかしら?」


 診療所を出て、静まり返る深夜の街へと歩き出すデュークの背中に声が掛かる。


「……家に帰るだけだよ」

「嘘。これから帰るって人は、そんな死地に赴く兵士みたいに怖い顔はしないものよ」


 暗がりから街灯の光の下に歩み出てきたケラミーが、つかつかとデュークの方に近付く。


「ピュラちゃんの具合はどうなの?」

「……今は落ち着いてる」


 診療所の窓から漏れる薄明かりを尻目に、デュークは冷えた夜の空気の所為にして、ズズッ、と鼻をすする。


「でも……お見舞いならまた明日に」

「ええ、そうするわ。もう遅いし、それに今日は……まだ、ショックも大きいでしょうから」

「うん。……それじゃあ」


 言って、そそくさと歩き出そうとしたデュークの腕を、ケラミーの華奢な腕が掴む。


「待って。質問の答えがまだよ。デューク、どこに行くの?」

「だから、家に」


 振り返ったデュークは、けれど射すくめるようなケラミーの視線に言い淀む。


 答えるまではこの手を離さないと、銀髪の少女は言外にそう語っていた。


 数分に及ぶ無言の口論の末、デュークは小さな溜息とともに告白した。


「ピュラを助ける」

「どうやって?」

「〈旧文明遺産〉だ」


 手を放すケラミーに言いつつ、デュークはデバイスを操作して未開拓地の暫定全図を宙に展開した。例の如く、マップには古文書のデータも表示されている。


 荒毒は未開拓地の風土病である。かつてこの荒野に暮らしていた旧文明の人々とて、その長い歴史の中でこの奇病の恐怖と全くの無縁だったということは考え辛い。


 であれば、帝国よりも遥かに高度な文明を誇っていた彼らのことだ。その治療方法や特効薬についても、きっと何らかの答えを見つけている筈だ。


「未開拓地の〈旧文明遺産〉になら、その答えがあるかも知れない」

「その旧文明時代の遺跡が、この凹み穴地帯のどこかにある、と?」


 眉をひそめるケラミーに、デュークは頷いた。


「言いたいことは分かったわ。つまりあなたは、その遺跡の調査に向かいたいのね」

「今すぐにでも行かないと。メグ姉の見立てだと、もう、ピュラはあと数日後には……」

「無理よ」


 デュークの言葉を遮り、ケラミーがきっぱりと言い放つ。


「あなたも知っているでしょ? 今日の内に【局】から通達されている筈よ。昼の超大型〈鎧獣〉──支部では便宜上〈海魔クラーケン〉と呼称することになったけれど、その再来に備えて現在ノアは戒厳令下に置かれています。市民は勿論、開拓者も一時的に【局】の指令の下、一切の都市外活動を禁止されているのよ」

「それでも俺は行くよ」


 展開させていたマップを閉じ、今度こそ立ち去ろうと踵を返したデュークの前にケラミーが回り込む。


「デューク、これは命令なのよ? 違反すれば相応の罰則は免れないわ。ライセンスの剥奪だってあるかも知れない」

「…………」

「それでなくとも【局】や他の開拓者は『やっぱり〈考古学者〉は無法者なんだ』と、そういう評価を下すかも知れない。それは、今まであなたが一番避けようとしてきたことでしょう? らしくないじゃない、いつもの呆れるほどの冷静さはどうしたのよ?」

「ケラミー、頼む。どいてくれ」

「いいえ、行かせないわ。もし、それでも押し通ると言うのなら」


 ピンッとにわかに張り詰めた空気を身に纏い、ケラミーが腰の細剣に手を掛ける。


「担当局員としてじゃない。ノアの秩序を守る者の一人として、今ここで、私はあなたを処断します!」


 眼光鋭くデュークを睨みつけ、抜刀の体勢を取るケラミー。


 あと一歩でも前へ進めば、支部の中でも一、二を争うあの卓越した剣筋が、たちどころにデュークの首を跳ね飛ばすだろう。


 それほどまでに、彼女の放つ威圧感にはすさまじいものがあった。


 しかし。


「――――私、だって」


 ぽつりと、ケラミーの口から声が漏れる。


「馬鹿なあなたのことだから、『ピュラがあんなことになったのは自分の所為だ。あの時、無理にでもノアに残すべきだった』なんて、どうせそんなことを考えているんでしょう?」

「どうして、そう思う」


 内心の動揺を悟らせまいと、デュークは努めて平坦な声で訊き返す。


「何年、あなたの担当局員をしてると思ってるの。わかるわよ、そのくらい」


 とうとう得物を抜くことなくケラミーはふっと体の緊張を解き、けれど自らを抱き締めるように、左の二の腕辺りを自分の右手で抑え込む。


「でも、それは私だって同じ。本当にピュラちゃんの為を思っていたら、彼女の意志を捻じ曲げてでも、たとえ彼女に疎ましく思われることになっても。あの時は、無理にでも止めるのが本当だった。すぐ目の前に、いたんだから。だから、私にだって責任はあるのよ」


 もはや先刻までの殺気にも似た威圧感はすっかり鳴りを潜め、代わりにデュークの前に弱々しく佇んでいたのは、どこにでもいる普通の少女だった。


「こんな風に、偉そうにあなたを責める資格なんて。止める資格なんて、本当は無い。私には」


 でも、と。


 気丈に振る舞いつつも、寒さに凍えるように身を震わせて、少女は言う。


「今、無茶をして荒野に出て、それであなたにまで何かあったらと思うと、私、私……」


 あぁ、そうか。


 ケラミーの言葉に、デュークは己の身勝手を反省する。


 いくら冷淡な態度に見えようと、いくら嫌われ役を演じていようと。


 人一倍他人にも自分にも厳しくて、そして人一倍心優しいこの少女が、責任を感じない筈がなかった。後悔しない筈がなかった。


 親しい誰かが、けして手の届かない場所に行ってしまうかも知れない。そんな恐怖に焦り、怯えない筈がなかったのだ。


「ごめん、ケラミー」


 ならばこそその責任を、後悔を、焦燥を、自分だけのものにしていい道理はない。


 震えるケラミーの肩に手を置いて、デュークは謝罪を口にする。


「たしかに、少し焦ってた」

「……うん」

「自分のことばっかりだった」

「……そうよ」

「ちゃんと考えるよ。俺一人じゃない。皆で、一緒に」

「そうして」


 身を預けるようにして、ケラミーはデュークの胸元に顔を埋めた。


 見下ろすデュークの視線から熱いものを隠し、気持ちを整えるように二度、三度と深呼吸をして。


「一日だけ、待って」


 顔を上げないまま、ケラミーが乞う。


「一日くれれば、あなたが堂々と遺跡の調査に行けるように、私がなんとかしてみせる」

「できるの?」


 デュークの問いに、ケラミーは力強く頷いた。


「昼の〈海魔〉の襲撃で、ノアの機関部の一部が損傷したの。その修繕の為に明日から数日間、ノアを一時的に停泊させることが、さっき支部の会議で決まったわ」

「停泊……大丈夫かな」

「勿論、〈海魔〉の再来は充分に考えられる。だからなるべく周囲から身を隠せる場所に停まるのよ。ここから少し北西に進んだ所に、比較的はばの広い渓谷があるから」

「それで?」

「渓谷の中にノアを停泊させたら、〈海魔〉の襲来を迅速に支部に伝える為に、周辺に幾つかの哨戒部隊が派遣されるわ。当然、戒厳令が敷かれているから開拓者の参加は無理なんだけど」


 目元を袖で拭い、ケラミーはいつもの凛とした顔でデュークを見上げた。


「その哨戒部隊に、どうにかあなたを捻じ込んでみせる。二等局員として私が使えるだけの、全ての権限をフル活用してね。だからお願い。一日だけ、私に時間を頂戴。デューク」


 既に腹は括っていると言わんばかりのケラミーの気迫に、デュークはしばし圧されて押し黙る。


 それから不意に口元を緩め、見上げるケラミーの瞳を真っ直ぐに受け止めながら。


「ケラミーが担当局員パートナーで、俺はノアの開拓者いち、恵まれてるね」

「! ふ、ふんっ? 当然でしょ。今更気付いたのかしら、まったく……」


 今度は赤くなった頬を隠すように、ケラミーは再びデュークの胸元に顔を押し付けた。


「…………褒めるのが遅いのよ、馬鹿」


【局】きってのエリート少女の、この夜は少しだけ小さく見えるその双肩を優しく支えながら。


 デュークは夜空に光る満月に顔を向けて、誓うように頷いた。

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