第3話 路地裏の邂逅

 デバイスの時計を確認すると、時刻はちょうど午後三時になろうという頃だった。


 ぼちぼち夕暮れ時にさしかかるノア中層の下町は、そこら中にクモの巣のように張り巡らされた無骨なパイプや、錆び付いてボロボロに朽ち果てた看板などの激しい主張により、どこか打ち捨てられた廃工場のような雰囲気も醸し出している。


 通りには酒場や食い物の屋台やガジェットショップなどが雑多に立ち並び、何かの肉が焼けるいい匂いと、安い機械油の鼻につく悪臭がないまぜになって漂っていた。


 パイプから漏れ出る蒸気が立ち込めて視界の悪い、せまく入り組んだその下町の路地を、デュークは自分の家の庭でも散歩するように縫っていく。


 道行く人や清掃用の自動人形オートマタの間をすり抜けて少し開けた場所に出ると、そこには中央にぽっかりと穴を空けた円形の広場があった。


「下層第九区行き」の文字が流れる掲示板の横を通り過ぎて、デュークはその穴の中でとぐろを巻く螺旋階段を下っていく。


 蒸気がだんだんと濃くなり、漂う空気も一段と悪くなったところで階段は終わり、再び開けた場所に辿り着いた。


 下層。移動都市の動力炉などがある機関部階層を除けば、ノアの最下部にあたるエリアだ。


 陽の光もほとんど差し込まない、錆びの赤褐色と汚れた鉄管の黒ずんだ銀色に支配されたその下層のスラム街を、デュークは足早にさらに奥へと歩いていく。


「くそったれ! あのガキどこへ行きやがった!」


 突如、横道から飛び出してきた二、三人の男がデュークの眼前を通り過ぎる。


 あわや正面衝突しそうになったデュークには目もくれず、男たちは何やら焦燥に駆られた様子で走り去っていった。


「まだそう遠くへは行ってねぇはずだ、探せ探せ! オークションまでもう時間がねぇぞ!」


 喚き散らしながら遠ざかっていく男たちに小さく肩を竦めて、デュークはたった今彼らが飛び出して来た横道へと入っていく。


 壊れた鉄柵をくぐり抜け、十段も無い小階段を何度か上っては下り、薄暗い裏路地を奥へ奥へと進んでいき。


 ――カタン。


 注意していなければ聞こえないほどの小さな音を、過酷な荒野での探索によって常より研ぎ澄まされているデュークの耳が捕らえる。


 音の聞こえてきた方向に意識を傾け、デュークは息をひそめて立ち止まった。


「…………ウゥ、グスッ……」


 やがて、裏路地の一角、鉄くずやゴミの山に占領されている袋小路から、今度は何者かのすすり泣くような声が聞こえてくる。


 右手をブレードの柄に重ね、少しの間迷ってから、デュークは慎重に声のもとへと歩いていった。


 一歩、また一歩と歩を進め、袋小路の入り口に辿り着く。


「……なんで、グスッ……こんなことに……」


 泣き声が近くなる。

 気配を殺して、デュークは袋小路を覗きこんだ。


(……女の子?)


 薄暗い袋小路。そこには、シワと汚れだらけのボロ布一枚きりを身にまとい、崩れかけた木箱の上で膝を抱えて座り込む、一人の少女の姿があった。


 ただの迷子にしては、格好があまりにみすぼらしい。となると、元々この辺りに住んでいるスラムの子どもなのか。


(罠?)


 すぐに声を掛けるようなことはせず、デュークは油断なく身構える。


 ノア下層の治安は、お世辞にも良いとは言えない。


 よっぽどの物好きでもない限り、ここに住み着くような人間は大抵がならず者か日陰者で、それは子どもでも例外ではない。


 彼女のように泣いている子どもに良心から声を掛けた通行人が、背後から現れた仲間の子どもにその良心を踏みつけにされる。そんな話もザラにあるのだ。


 引き返した方がいい、と。

 そう、頭の中では考えている一方で。


「どうして……どうして、私ばかり……」


 デュークの足は、無意識にその場から遠ざかるのをためらった。


 肩を震わせ、絞り出すように言葉を漏らす少女の姿には、しかしどうにも特有の嘘臭さが感じられないように思えたからだ。


「──どうしたの?」


 警戒こそ緩めないものの、気付けばデュークはそう問いかけていた。


 デュークの言葉の終わらないうちに、少女が勢いよく顔を上げてあとずさる。


「こ、来ないで……来なイでっ!」


 薄暗闇に隠れていた少女の素顔が、どこからか差し込む裸電球の淡い光に晒された。


 まだあどけなさが残るものの端整な顔立ち。良くできた人形のように長いまつ毛と、腰辺りまで伸びる綺麗なスカーレットの髪が印象的な少女だった。


 本来であればまず間違いなく美人の部類に入るであろうその容姿は、しかし今は、傷だらけの手足や痩せこけた頬、痛ましいほどに泣き腫らした瞳のせいで、その美しさも全て霞んでしまっている。


「あの」

「いやッ!」


 気が動転している様子の少女を落ち着かせようとデュークが声を掛けるも、それを拒むようにして彼女は弱々しく叫ぶ。


 突然現れた見知らぬ少年をひどく警戒しているようで、少女の方も薄明かりに照らされたデュークの姿を怯えた目で眺めていた。


 と、おそるおそるこちらを見つめていた少女の視線が、腰に携えたブレードの柄に置かれたままのデュークの手に注がれ、さらに彼女の表情を強張らせる。


「あ……」


 彼女の言わんとしていることを察し、デュークは慌てて柄から手を離す。


「これは、違う。で」

「え?」

「ごめん。君を、追い剥ぎかと思ったから」

「追い、剥ぎ? わ、私が?」


 デュークの言葉の意味するところがよく理解できなかったのか、赤髪の少女は困惑気味に眉をひそめる。


 それからしばらくの逡巡のあと、何事か意を決したように口を開いた。


「わ、私を捕まえに来たんじゃ、ないんですか?」

「……誰かに追われてるの?」

「え? あ、えっと、その」


 ますます困惑したのか、少女は所在なく頭を掻くデュークを改めて眺め回してくる。


「あ、あの……私を捕まえにきたわけではないなら、あなたは、一体?」

「ああ、うん。俺は」


 言い掛けて、口で説明するよりもはやいだろうと、デュークは懐からカード状の物を取り出して少女の前に押し出した。


「第二級開拓者、『デューク・リオン』さん、ですか? 所属は【帝立未開拓地探査研究局ノア支部】……えっ!?」


 デュークが見せたのは、【局】から発行されている身分証だった。


 一つ一つ確かめるようにその身分証の文言を読み上げていた少女が、唐突に目を丸くする。


「お、お兄さん、〈局〉所属の正規開拓者さんなんデすかっ?」


 見開かれた少女の瞼の下から、一級のガラス細工を想起させる清廉な空色の瞳が露わになる。


 ぱっと花が咲いたような少女の顔が、はじめてデュークの顔を真正面に捉えた。


「お、お願いです、開拓者さん! 私を──私を、助けて下さい!」


 鬼気迫る表情で、少女はデュークに懇願する。


「お願いします! 私、このままこんな何もない荒野の真ン中で死ぬなんて、そんなの嫌! 嫌なんです!」


 果てはデュークのロングコートにその細腕でしがみつき、胸元に顔を埋めて何度も何度も「お願いです!」と涙ながらに訴えかける少女。


 一向に話が読めず、それでもただ事ではない事情があるらしいことだけは汲み取って、デュークは少女の骨ばった双肩にゆっくりと手を置こうとした。


「……その、首の印」


 手を掛けようと視線を下げたデュークは、しかし、ふと少女の首元に何やら小さな痣のようなものを認めてわずかに眉を顰める。


「あっ……」


 弾かれたようにデュークから距離を取り、少女は隠すようにして首元の痣を左手で覆う。


「『火を奪われた松明』の焼き印。そうか、君は」


 少女の首元にあった、火傷のような痣。


 一端が末広がりになった棒を模したような形のその小さな痣は、たったそれだけで、このか弱い少女の立場を非情なまでに明示していた。


「君は──奴隷、なんだね」

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