第4話 届かない手

「君は──奴隷、なんだね」


 複雑な心境でデュークがそう呟くと、少女は再び可哀想なくらい身を震わせながら、長い赤髪が振り乱れるのも構わずなおも懇願した。


「お願いします、お願イ! しばらくの間でいいんです! ほとぼりが冷めるまで、どうか私を保護してくれませんかっ?」

「……逃げて来たのか。主人か、奴隷商から」

「何でもします! お金も何も、持っていませんけど。そ、それでもお洗濯とか、お料理とかお掃除とか、私に出来ル事なら何でも! だからっ、だからお願い、助けてっ!」


 なりふり構っていられないとばかりに、死に物狂いで少女はデュークに抱き付いた。


 ただでさえボロボロな線の細い体に鞭を打ち、精一杯に助けを求める少女。


 この過酷な未開拓地で生きていくには、あまりにもか弱い女の子。


 このまま放っておいてしまえば、きっとすぐにでも野垂れ死んでしまうに違いない。


 そんな彼女の、その小さすぎる背丈を前にして。


「――ごめん。できない」


 デュークの、いっそ冷徹にも聞こえる静かな声が、狭い路地裏にこだました。


「ど、どうして……!?」

「君も、知ってるはず」

「知りません!」


 その先は聞きたくない、という風にイヤイヤと首を振る少女を引き離そうと、デュークはゆっくりと彼女の体を押し返す。


 それでも、少女は頑としてデュークから離れようとしない。


「たとえ、だったとしても……お兄さん、【局】で働いている正規の開拓者さんなんでしょう? それなら、どうにかできるンじゃないんですか?【局】の偉い人に事情を説明すれば、私みたいな奴隷一人の保護くらい、どうにか――」

「できないんだ」


 まくしたてる少女を、デュークはわずかに語気を強めて制する。


 次には片膝を付いて目線の高さを合わせると、諭すようにして彼女の両肩に手をかけた。


「わかって、欲しい」


 不意に真剣な眼差しで見つめられてキョトンとしていた少女は、けれどやがてはその顔をくしゃくしゃに歪めて、再び悲痛な泣き声を漏らしてしまう。


「そん、な……そンなのって、ないっ……ひどい、ひどいですっ」

「ごめん」

「謝る……くらいなら……」

「それも、ごめん」

「こんなに……こんなに、お願い、してるのに……っ」


 泣きじゃくる少女にどんな言葉をかければ良いのかわからず、デュークは彼女の肩に手を置いたまま、ただやるせない思いで目を伏せることしかできずにいた。


 その刹那。デュークは背後から何者かが飛び掛かって来る気配を感じ取った。


 肩に置いた両手で赤髪の少女を伏せさせると、自らも少女を庇うようにして身をかがめる。


「きゃっ⁉」


 少女が叫び、一拍おいて何やら白い、大人一人ほどの大きさの影が頭上を飛び越える。


 白い影は地面に転がったゴミをまき散らしながら華麗な身のこなしで着地すると、「グルルルッ」と低い声で唸りながらデュークたちと対峙した。


 現れたのは、フサフサした白毛が特徴的な大きな野犬。

 何か食い物でも奪おうというのか、鋭い牙をむき出しにしてしきりにデュークを威嚇してくる。


「下がって」


 少女を背中に隠し、デュークはすかさずブレードに手を伸ばす。


 むやみに殺すつもりは毛頭ないが、しかし、無傷で追い払えるように加減できるほど簡単な相手でもなさそうだった。


「ガウッ!」


 柄に手を置いたものの、どうしたものかと考え込んで動かないデュークを隙と見たのか。白い野犬が大口を開けて飛び掛かかってくる。


 仕方なく身構え、ひとまず応戦するべくデュークもブレードを引き抜いて。


「だめ! ヘレン、止まって!」


 しかし、デュークの背後から飛び出した少女が、すんでの所で双方の間に割って入った。


「ヘレン、落ち着いて。大丈夫……この人は私を襲っていたわけじゃないから、ね?」


 少女がそう口にするや、あれほど獰猛だった白い野犬はすぐさま飛びのくと、一転して従順な忠犬の姿を見せて彼女の傍らに座り込んだ。


「ありがとう。いい子ね、ヘレン」


 フサフサの毛を撫でながら、少女ははじめてその顔に微かな笑みを浮かべる。


 ヘレンと呼ばれた白い犬の方も安心したように「ヴォフ」と鼻を鳴らした。


「……知り合い、なのか?」


 ひとまず矛を収めてデュークが尋ねると、しばらくの間ヘレンと戯れていた少女はハッとして向き直り、今さらながらにおずおずと名乗りはじめた。


「そ、そういえば私、まだ自分の名前すら……ごめんなさい、デュークさん。あのあの、私の名前は、ピュラっていいます。こっちはヘレン。私の一番の友達で、家族、です」

「家族?」

「私が奴隷商人に捕まったとき、この子も一緒に捕まってしまっていたんです。『体も大きいし毛並みも良いから、サーカスにでも売り飛ばせば金になる』って」


 言われて、デュークも改めてヘレンに目を向けた。


 たしかに普通の犬よりは大きいし、今は汚れて茶色くくすんでしまっているが、それでもその白い毛並みは触り心地も良さそうだった。


 何より、犬のくせに下手な人間よりも精悍せいかんで賢そうな顔付きをしている。素人目にも、なかなかの名犬であることは窺えた。


「つい昨日、ヘレンは隙を見て脱走したみたいで。そのときちょうど檻の外で作業をしていた私を乗せて、奴隷商の人たちから逃げ出したんです……でも」


 ヘレンを撫でる赤髪の少女、ピュラの顔から微笑みが消える。


「なんとか上層に行く螺旋階段の一つに辿り着いたときには、すでに商会の見張りの人がいて。どうにかして上層に行く別の方法を探している内に、街のあちこちにも追手が現れて……もう、限界なんです。このままじゃ、いつか捕マっちゃう」


 心配そうに主人を見上げるヘレンを横目に、ピュラは祈るように両手を組んだ。


「……無茶なお願いなのは、わかっています。身勝手なのも、図々しいのも、ご迷惑なのもわかっています。でも、でも、もうあなたに頼るしかないんです!」


 押し黙るデュークに、ピュラは続ける。


「お願いします、デュークさん! 私たチを、どうか!」

「……いや。やっぱり、それは」


 そこまで言い掛けて眉間に指をあてがった拍子に。

 ピュラを庇ったときに乱れたデュークのロングコートの内側から、独特な六角形をしたレンズのゴーグルがはみ出した。


 瞬間、ピュラの表情がぴしりと固まる。


「……その、六角レンズのゴーグル」


 伏し目がちにそう呟いて、次に彼女が面を上げたとき、そこには今までの彼女が見せたことのない、強い感情が張り付いていた。


 悲嘆でもなく、恐怖でもなく、期待でも切望でもない。


「――もう、いいです」


 それは、明確な嫌悪だった。


「行こう、ヘレン。このままここにいても、危ないから」


 人が変わったように冷めた声で、ピュラは戸惑うデュークとは目も合わせず、踵を返して歩き出す。


 傍らのヘレンもその後を追い、一人と一匹は袋小路の入り口へと向かっていった。


「ピュラ、一体」


 どうしたんだ、とデュークが言葉にするよりも早く。


「気安く呼ばないで下さい! この!」


 ぴしゃりと遮るように声を荒げ、振り返ったピュラはデュークを睨みつける。


 澄んだ空色の瞳には、嫌悪を超えて怒りの火すら灯っているようだった。


「やっぱり、あなたなんかには頼りません。あなたみたいな――私の家族をめちゃくちゃにした、あナたたちみたいな〈考古学者〉なんかにはっ!」


 最後にそれだけ言い残すと、赤髪の少女と白毛の犬はデュークが二の句を告げるのも待たず、そのまま裏路地のよどんだ暗闇へと消えていってしまった。


 あとに残されたのは、なんとも後味の悪い、重苦しい空気。


 より一層に陰鬱さを増したように感じるゴミだらけの袋小路の中で、デュークはただ一人、去り際の少女の背中に伸ばした自分の手を見つめながら、呆然と佇むばかりだった。

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