第2話 移動都市

「あん? なんだいアンタ、その犬っころは」


 デュークが酒場のドアを押し開けて入って来た時、テミルはちょうど一人の客を追い返しているところだった。


「ウチはペットの同伴はお断りだよ。家に置いてきて出直すか、でなきゃ他所の店をあたるんだね。ほら、わかったらさっさと帰んな!」


 不躾な物言いが気に入らなかったのか、可愛らしい子犬を抱えたその中年の男性客は不満そうな顔を浮かべる。


 が、しびれを切らしたテミルが無言で空のガラス瓶を振りかざすと、男性客は途端に顔を青ざめて逃げるように酒場を後にした。


「まったく……ん? おや、デュークじゃないか。いらっしゃい」


 ブツブツと悪態をついていたテミルは、カウンター席に座ったデュークに気付いて声を掛ける。


「今日は早いじゃないか。もう上がりかい?」

「うん」

「いつものでいいね?」

「頼むよ」


 頷くデュークの眼前に、テミルはほどなくして数切れのバゲットが添えられたパスタと、冷えたサイダーの瓶を並べてやった。


「仕事の方はどうさね? 今回の停泊からそろそろ二週間だ。まあアンタのことだから特に問題は無いんだろうが、先遣調査は順調かい?」

「まあまあ、かな」

「ふーん。踏破率は?」


 デュークがデバイスからマップモニターを投影させる。

 皺の彫り込まれた顔をモニターに近付け、テミルは目を細めた。


「78パーセント? ハッ! なぁにが『まあまあ』だい、カッコつけよって。アンタ一人で南部エリアの八割がたを片付けちまったってことじゃないか。またぞろ【局】の連中も驚いてるだろうね。とてもたった二週間やそこらでできる芸当じゃないよ」


 感心半分、呆れ半分といった顔でテミルは肩を竦めて見せたが、当のデュークはそんな数字にはさして興味も無さそうに、ただ黙々とフォークを動かすだけだ。


「……ふん、相変わらず不愛想な野郎だよ。アタシゃ別に構いやしないが、飯を食う時ぐらいもう少し楽しそうな顔ってのができないもんかね? あそこでバカみたいに騒いでる奴らなんかを見てみなよ、えぇ?」


 テミルがあごで指し示す先。酒場の奥の方に備え付けられたテーブル席のいくつかに、デュークと同じくらいの年頃の男女数人が陣取っている。


 酒を飲みながら取り留めのない話をしたり、カードゲームに興じたりと、みな思い思いに昼下がりのひと時を過ごしていた。


「健全な若者ってのはああいうのを言うんだよ。どうだい、アンタも一杯やらんかね? そうすりゃあその鉄仮面みたいな面も少しは柔らかくなるだろうさ」

「酒は、あんまり好きじゃなくて」

「はぁ……コレだよ。アタシゃねぇ、アンタのそういうところはちょっと心配になるよ。ふつうアンタぐらいの年の頃と言えば、やれ酒を飲みたいだの、やれ女と遊びたいだのと、あれもこれもやりたい盛りなもんだけどねぇ」


「そうかな?」とでも言いたげに首を傾げる無口な顔馴染みに、テミルは大仰に頷いてみせた。


「そうなんだよ。ほら、よく考えてみな。アンタみたいな唐変木にだって、やりたいことや欲しいもの、趣味でもいい。一つや二つ、何かしらあるだろ?」


 食事の手を一旦休め、デュークがしばらくの間考え込む。


 しかし、もうそろそろじれったくなったテミルが口を開こうとした頃になって。


「……鉱石集めと、読書、かな?」

「はぁ? なんだいそりゃ」


 あまりの慎ましさに面食らって、テミルは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「隠居したジジイじゃあるまいし、もっとこう、派手に金を使う趣味を持ったらどうなんだい? 仮にも先遣調査の仕事もしてんだから、相当稼いでるはずだろうに」


 不思議そうな顔を浮かべるデュークの前で、テミルは大げさに溜息を吐いた。


 ノアに数多くいる開拓者の中で、わけても都市外での探索を最初に請け負うことになる先遣調査隊は、その仕事の危険度に伴って依頼元である【局】からの報酬も総じて高めになっている。


 ノアに乗り込んでからすぐに、それも大抵は一人でそれをこなしてきたらしいデュークの稼ぎは、そこらの開拓者とはそれはもう一線を画しているはずなのだ。


「男の価値ってのはね、どうやって金を貯めるかより、どうやって使うかで決まるもんさ。それをこんな、一食400オボロイかそこらの酒場メシで済ましちまうとは、情けないねぇ」


 眉間を指で押さえながら、テミルはもはや諦観すら滲ませた声色で言った。


「ダメだ。どうもアンタはほとほと、欲望とか野望とか願いとか、そういうもんとは無縁の性質らしいね」

「いや」


 と、それまではテミルの話を曖昧に聞き流していたデュークが、そこで初めてその口調に感情らしい感情をまとわせる。


「ある。俺にも、願いはあるよ。テミルさん」


 淡々と、けれど先ほどまでとは違って力強く、デュークは答えた。


「美味しかった。ごちそうさま」


 いつの間にか食事を終えていたらしい。

 

 空になった皿の横に何枚かの小銭を置くと、デュークはそのまま出入口へと歩いて行った。


「……ああ、そうかい。そうだったね」


 遠ざかっていく深緑の髪の少年。


 振り向きざま、彼の首元でレンズの部分が特徴的な六角形にかたどられたゴーグルが揺れ、外からの光を反射してきらりと光る。


「けど……アンタが言うそのってのは、本当にアンタ自身のもんなのかねぇ」


 それなりに年季の入った様子のそのゴーグルに目をやりながら、それでも結局は面白くない気分で、テミルはフンッと鼻を鳴らした。


 ※ ※ ※


 未開拓地。


 この見渡す限りの岩と砂と赤土の大地がそんな風に呼ばれるようになったのは、一体いつの頃からの話なのだろうか。


 エベル大陸の東の果てにおいて栄華を誇っている【帝国】が、初めてその形を現在のものにまとめたのがおよそ三百と十五年前の出来事だというから、少なくともそれ以前からであることは確かだろう。


 もっとも、豊富な水と充分な資源を確保できるからこそ大陸東端の沿岸部に興った現帝国と国民たちにとっては、あえてこんな不毛の地を開拓する理由など一つも無いのだが。


 なにしろこの乾ききった大地には、国や町といった文明の「ぶ」の字はおろか、およそ生命の営みと呼べるものはほとんど見当たらないのだから。


 転機が訪れたのは、今から三十年ほど前のこと。


 帝国におけるそれまでのエネルギー事情を一変させる、新たな地下資源。学者たちにより〈フェネル結晶〉などと名付けられたこの資源の発見に端を発して、帝国内での様々な分野の技術水準は、著しく向上した。


 すなわち、産業革命の始まりである。技術の大幅な進歩は人々の生活水準の向上もまた促し、帝国は大いに活気付いた。


 豊かになった分だけ以前よりも多くのモノが大量に消費されるようになり、それに呼応するようにして、産業革命にもますます拍車がかかっていった。


 何が起こるかは明白だった。


 後先考えず使われた資源は当然ながら次第にその数を減らしていき、結果、帝国周辺に埋蔵するフェネル結晶は、ほんの十数年の間でほとんど採掘し尽くされてしまった。


 貯蓄分だけでは、もってあと数年。

 資源の枯渇を回避したい当時の帝国政府が下した決断は、彼らがそれまで露ほども考えたことの無かった、未開の荒野への進出だった。


 そうして今から四年前。

 フェネル結晶の超エネルギーと折からの技術革新にものを言わせた帝国が、歴史上初めて作り出した「荒野を渡る都市」。


 それこそが【ノア】──デュークたちが乗り込んだ、この巨大な移動都市だった。

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