好意

 近藤さんは仕事の飲み込みが早く、半年経つ頃にはこれまで教えた業務をそつなくこなすようになっていた。


「寺本さんご飯行きませんか」


 近藤さんは部下ではあるが、僕と同い年であり、仕事が終わると親し気に話しかけてくる。同い年で堅苦しい敬語で話しかけられるのは肌が合わず、僕から「普通に話しかけてほしい」と頼んだことだった。


 近藤さんはバツイチらしく、隙間風が入るようなふとしたときの寂しさが僕と共感できるものが多く、いつの間にか距離感が近くなった。近藤さんに好意を抱き始めたときから美紀がいるであろう家に帰ることが億劫になった。それに日記も書いていないので、美紀が恨んでいるのではないかと思うと恐怖さえ抱くようになった。


 いつもの定食屋で食べて、薄暗い道を並んで歩いた。


「会社に寺本くんがいてくれてよかった。前の会社、嫌な上司ばっかで辞めたから心配だったけど、寺本くんのおかげで毎日楽しい」

「僕も近藤さんが来てくれて毎日働き甲斐があるよ」

「うん……」


 近藤さんは俯いて言葉が途切れた。


「どうしたの?」

「私、寺本くんのこと好きになっちゃった」


 心臓が大きく弾んだ。上手く言葉が出ない。


「奥さんのこと忘れられないと思うから、私なんて無理かもしれないけど、寺本くんを好きなままでいてもいいかな」


 冷たい風が背筋を撫でる。今は夏のはずなのに。後ろを振り返るが誰もいない。近藤さんに向き直ると、不思議そうな目をしていた。


「気持ちはありがたいけど……」

「それだけでいい」


 じゃあね、と言って近藤さんは小さく手を振って暗い道を進んでいった。


 家に帰ると相変わらず物音が全くしない。もう美紀が亡くなって五年。日記を書かなくなって半年経つ。美紀の気配を感じることもない。引き出しを開けて、日記を取り出そうとした。ただ、日記をつまみ上げた指を離し、そのまま引き出しを閉めた。


 近藤さんは思いやりのある優しい女性だ。とはいえ美紀のことを忘れたことは一日たりともない。嫉妬心が強い美紀だが、今でも大切に思っている。しかし、近藤さんのことを考える時間が増えていることも事実だ。


 美紀はもういない。自分は生きている。近藤さんも生きている。なら……。僕は明日、近藤さんに返事しようと思い、ベッドに入った。

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