経過

 いつものように職場に入ると、私の席の隣に見知らぬ女性が座っていた。この前課長から共有された中途入社の人のようだった。入社して十二年が経ち、係長の肩書をもらった僕は、いつの間にか新卒や中途入社の教育指導係をするようになった。美紀が亡くなったときはまだまだ教えてもらうことが多かった立場なのに、月日が経つのは早いものだと思う。


「初めまして、近藤知佳と申します」

「寺本浩輔です。これからよろしくお願いします」


 年は同じくらいだろうか。暗めの茶色の髪は肩を越さない程度の長さだった。目は大きいわりに鼻は小さくて唇はやや腫れぼったい。


 近藤さんは仕事に積極的で主体的に質問し、こまめにメモを取っていた。こういった特徴の人は成長が早いと経験してきてわかるようになった。


『2028.6.14.水 雨

 今日から中途入社の人を指導することになったよ。最近の中途入社の人は受け身で一から教えてくださいとか前の会社を引き合いに出して不平不満を言う人が多かったけど、今回の近藤さんはそんなことなくて、自分から取り組んでくれるから、期待できそうだよ。育成担当として成長が楽しみ!』


 日記を書き終えると、息を吐き、ベッドに寝転んだ。二人で住んでいたアパートはやはり一人では広すぎる。しかし、見えない美紀がいるとなれば心地良い。


 新人の指導初日は一番気を遣う。最近は悪気が無くてもパワハラやセクハラ扱いされる世の中で、仕事に積極的な近藤さんと言えど油断はできなかった。


 小鳥の囀りで目が覚めて、リビングテーブルに置いた日記を開けてみると美紀の字が書かれている。私の鼓動は文字を追うほど大きくなってきた。


『近藤さんって女の人? 浩輔、そういう目で見てなかった? 私が死んでも一緒って言ってくれたの嘘なの。五年も経てば他の女に目移りするんだ』


 背筋に冷たい汗が流れた。生前の妻の嫉妬深さを思い出す。飲み会で同席した同僚の女性の香水が服についているだけで、相当怒られた。


『美紀、勘違いしているよ。彼女はただの部下で特別な感情はない。今でも僕は美紀が好きなんだよ』


 どういう返事が来るのか予想するだけで怖くなってすぐノートを閉じ、トイレに駆け込んだ。生ぬるい便座に座り、鼓動が落ち着くまで茶色いドアを眺める。


 このまま僕は一人なのか――


 毎日、美紀と日記でやり取りしていても、美紀の姿を見ることはできない。両親にも友人にもこんな状況を言うことはできない。美紀のことは好きだ。でも美紀を好きでいるとどうしても孤独感が付きまとう。美紀が生きてさえいてくれたらどんなに良かっただろう。


 水を流してトイレを出てリビングに戻ると、閉じたはずのノートが開いていた。


『不倫は絶対に許さないから』


 僕が書いた字の上に筆圧が強く尖った字が重ねられていた。これ以上、言葉を重ねるとより感情を逆なでしそうで、僕はそっとノートを閉じた。そのままノートを持って机の引き出しの一番下にしまい込んだ。

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