美紀からの返事

 頭を上げると、ぼやけた視界に光が差し込んできて目を瞑る。腹の中がグリンと音が鳴ると、汚い音のゲップが飛び出した。無理な姿勢でいつのまにか寝ていたからか、背中を反らすとポキポキ音が鳴る。視界に映るものの輪郭が統一されはじめたとき、昨日重ねたノートがズレているのを見つけた。腕がノートに当たったのだろうか。昨日書いた内容を見ると、僕の書き終わったあとに尖った筆跡の文字があった。


『私が返事したら毎日続けられるでしょ』


 美紀の字だった。筆圧は弱くて薄いものの、美紀の字だとすぐにわかった。生きているのか。


「美紀! 美紀!」


 部屋中を探し回るが美紀が出てくることはない。当然だ。美紀の心臓が止まる瞬間も、棺に入った美紀が火葬されるところもすべて見てきたのだから。ではあの字は何だと言うのか。もしかして旅立った美紀が見えないところにいてメッセージを書いてくれたのだろうか。


『どこにいるんだ美紀。会いたい。話したいよ』


 日記にしたためて、食い入るように見つめ続けるが書きこまれる気配がない。少し日記から離れてみようとトイレに行き、戻ってノートを開けると、新たに書き加えられていた。


『私はいつでも浩輔の隣にいるよ』


 美紀……。最近泣き続けてばかりで重くなった瞼がまた熱を持ち始め、鼻の奥も痛み出した。美紀の身体がなくなってしまったけど、魂は僕のそばにいてくれるんだ。


 美紀が亡くなったことで忌引きのまま年末年始の休暇に入った。父と母からは帰ってこいと言われたが、アパートに美紀がいると思うと離れられなかった。実際、日記を書けば美紀は必ず返事をしてくれる。


『2023.12.30.土 くもり

 明後日はもう2024年だよ。二人で迎えたかったけど、でも美紀が近くにいてくれるならちょっとは耐えられるよ。今日は美紀のおとうさんとおかあさんに挨拶してきました。美紀の葬儀でも顔を合わせたから、久しぶりとかは全然なかったけどね。あと日記のことも言わなかったよ。悲しすぎて頭がおかしくなったと思われると嫌だからね(笑)』


『私のことは見えなくてもずっと浩輔のそばにいるからね。でも長生きしてほしいな。』


『2023.12.31.日 雪

 今年の冬は十年に一度の寒さって言われてるけど、一年の最後の日に雪が降ったよ。1cmくらい積もったかな。美紀も見えるのかな? 付き合い始めた頃はさ、大人げなく雪玉作ってぶつけ合ったよな。美紀の投げる雪玉が固くて頬に当たったときはかなり痛かったよ。そこで美紀が中高ソフトボール部だったこと知ったよ。また雪合戦したいな。もうすぐ2024年になる。会えなくて寂しいよ。でもこれが美紀との交換日記になるならその寂しさもいくぶんか耐えられるよ』


『雪合戦のこと覚えてるよ。私もあなたに会って直接話したい。でもこうやってやり取りできるだけでも幸せと思わなきゃ。私はずっとあなたと一緒にいるから』


 年始の仕事初日のとき、職場のドアを開けると、みんな一斉に僕を見た。あけましておめでとうございます、という言葉が出ることはなく、僕に心配の言葉をかけてくれた。会社の年末年始休暇と合わせて二週間近く欠勤しており、余計に心配させてしまったのだろう。寂しいことは寂しいけど、悲しむ必要はないんだ。


 交換日記をすることで美紀と繋がることができるから。遠距離恋愛と思えばいい。続けることに苦労なんかなかった。美紀とコミュニケーションが取れる唯一の手段だから。僕は仕事終わりに家に帰ってご飯を食べた後、この日記を書くのが日課になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る