037譚 失敗したやり直し(上)


 気不味い静寂が薄暗い部屋の中に落とされた。室内にある男も女も、口を噤んで、その静けさを保っている。


 おもむろに、ケルバンが口を開いてその沈黙を破った。


「もう、行ってもいいか?」


 やはり、どこか苛立ちの様相がある。その顔を隠した赤茶の髪の男が部屋をさっさと出て行こうとすると、咄嗟にエイルビーが腕を引いて留めた。

「落ち着け、ケルバン。闇雲に探したところで、何も出てこない」

「だが、こんなところで長話をしていても、何も変わらない」

 きっぱりと返すケルバン。神経質そうな男は眼尻を吊り上げ、荒々しい声で言い放つ。


「お前は正体がバレれば殺される。慎重に動け。死に急ぐな。せっかく助かった命を――ビルギットの救った命を粗末にするな」


「救った……?」

 エイルビーの言葉に、アラニスは疑問を持つ。ビルギットはケルバンの前任者ギャラガーの孫娘で、エイルビーの死んだ婚約者の名である。エイルビー曰く、「自害」したはず。だのに、救った。その表現には奇妙さがある。

 ケルバンはエイルビーの手を振り払い、低く吐き捨てる。

「その言い方には語弊がある。やめろ」

「結果として、そうなんだ」

「違う!」

 あの普段まったく感情を見せぬケルバンが発したとは思えぬ声量と激しさ。アラニスは、グルネの宿やティスカールの墓地でのケルバンを思い起こした。あの時の彼の黄金の瞳は獣のように爛々と燃やされていた。


 ――俺が失敗したから、皆死んだんだ。


 彼はそう言っていた。あれはまるで、自分を言い聞かせるような言葉だった。まるで罪滅ぼしのような。自分を責め立て、戒めるような。

 エイルビーと向き合うケルバンは低く、低く、言い鳴らす。


「俺が、殺すんだ。殺さなければならないんだ。だから、すべてを奪ったあの男はこの手で殺す。嬲り殺してやる」


「おい待て、ケルバン!」

 呼び止めるエイルビーを振り切って、ケルバンは部屋を飛び出して行ってしまった。その背中はまるで泣いているようだった。茫然としながらも、アラニスは姉のネヴァンティへ尋ねる。


『姉さん、どういうこと?』


 彼らに何があったのか。ケルバンはなぜ、あんなにも「自分で」殺すことへ執拗にこだわるのか。ケルバンはたびたび、アラニスに言っていた。「俺が殺した」。なぜ、すべてを自分のせいにするのか。

 ネヴァンティは昏い面持ちで、静かに語る。

『ぼくも、駆けつけたときには遅かったから、詳しいことはわからない。けれどこれだけはわかる――「彼女」、ビルギットは失敗した』






 カツン、という音が夜の塔の階段から鳴らされ、ケルバンは意識を向けた。


 黒い外套ローブの男、白夜と常闇の神官の後方に、彼女の姿があった。茫然として、立っていた。


「ビルギット?」


 ケルバンは声を溢す。ビルギットは乱れたブルネットを流し、眠れていないのか目の下に青黒い隈を作っている。彼女は生気の失せた眼を神官の手にある金の杯――この中に心臓を捧げれば、人生を一からやり直せるとかいう、眉唾な杯だ――をじっと見つめている。

 黒服の神官は暫しビルギットを見詰めると、再びケルバンを見て言った。

「では、私はこれで。よく考えて、行動するといい」

 残されたケルバンははっとして、ビルギットを見る。

「おい。なぜ、あんたがここにいる。早く、帰れ」


「ケルバン……お爺様が死んだわ」


「知っている」

わたくしのたったひとりの家族だったのに」

 ビルギットは既に涙も枯れたのか、虚ろな眼をして、ただただ茫然自失している。ビルギットには父母はない。父親は戦で、母親は病で失ったと聞く。兄弟姉妹はなく、唯一の肉親は聖騎士だったギャラガーのみ。ギャラガーにとっても残された肉親は孫娘のビルギットのみだったので、彼らは依存しあうような関係でもあった。

 だから、唯一の肉親を喪った彼女は哀れだとは思う。けれど。


 ケルバンは静かに言い落とす。

「あんたには、エイルビーがいる」


わたくしが彼を愛していないことくらい、知っているでしょう」

 エイルビーは二十も下の彼女を愛そうと努めていたが、ビルギットはそれに応えられなかった。


「ケル、わたくしが愛しているのは、貴方だわ」


 ビルギットは僅かに、その疲弊した眼に愛情の色を付した。肌荒れた白い手を伸ばして、愛おしそうにケルバンの頬に触れる。腕を縛り上げられて動けないケルバンは、そんな「女の顔」をしたビルギットを一瞥し――ついと背ける。

「俺はその気持ちに応えてやれない。死ぬかもしれない男に、そんな情は抱くな」


「無理よ」


 叫ぶように、ビルギットは言う。

「初めはなんて生意気な平民が来たのだと思ったわ。わたくしがどんなに努力してもできないことをあっさりとやってのける貴方が憎かった」

 ビルギットは、唯一の祖父を喜ばせたくて、女がてら聖騎士としての鍛錬を積んだ。他の見習いの男たちと混ざって、剣術も武術も学んだ。だから、貴族令嬢らしい綺麗な手をしていない。肌も日焼けて、そばかすだらけになった。けれど、彼女には才が無かった。

「でも、でも……貴方の過ごすうちに、厭でも惹かれてしまった。何も感じていないようで、不器用にも応えようとしている貴方に。わたくしは貴方に恋焦がれてしまったのよ」

 ぼろぼろと、その青い瞳から大粒の涙が落とされる。枯れていたと思っていた涙はまだ、流せたらしい。ビルギットは願うように項垂れ、静かに慟哭する。


「お願いよ。わたくしの大切な人を奪わないで」


 ケルバンはただ、そんな彼女を見詰めるしかなかった。応えてやるわけにはいかない。彼女は生き残れば、エイルビーと新たな家族になり、きっと新しい幸せを見つける。自分に関わってはいけない。裏切り者の烙印を押された、元傭兵なんかに関わっちゃいけない。

 ケルバンは視線を逸らしたまま、冷たく言い放つ。


「――帰れ。もうここには来るな」


 ビルギットはその日、そのまま塔を降りて行った。不思議なことに、見守りの兵士たちは何も言わなかった。最期くらい、友人との会話を許してやろう――というささやかな優しさなのかもしれない。


 これでお終い。そう思っていた。

 なのに。


 その翌日。目を覚ますと、見張りたちが出払っていた。賄賂でも握らせて、いったん下がらせたらしい。その代わり、そこに立っていたのはブルネットの髪の娘。そのつり上がった眼にはやけに爛々と生気が宿っていた。

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