036譚 風に愛されし巫女姫(下)


「何を言い出す、急に。殺せだって?巫山戯るのも大概にしろ」


 ネヴァンティは眉根を寄せ、言い放つ。そんな少女に対し、黒い外套ローブの男は、なおも淡々と、言葉を継ぐ。

「お前が従うか、従わないか、迷っているようだから、その判断する術を与えてやろうと思ったまでだ」

 気味が悪いほどに抑揚のない声を鳴らす男だ。だがその薄気味悪さがネヴァンティをいすくませる。背筋が凍るような、そんな思いにさせる。


「さあ、殺すと言い」


 男はそう言って、ネヴァンティから少し離れた位置に立つ。手ぶらで、身構えもせず。その異様さがネヴァンティは恐ろしくて、逃げ出したくなる。

「そんなことするはず、ないだろう」

「そうか。ならば今晩、ウーイル族の土地へ来い」

「え?」

 ウーイル族は少し東にある海の国の別部族だ。土や豊穣の神々の血を引く者たちだ。

 ネヴァンティは、いったいどういうことだ、と問い質したかった。だが、黒服の男はそれ以上何も言わず、背を向けてどこかへ去って行った。


 そしてその晩。


 ウーイル族は滅ぼされた。それも、あの男たったひとりの手によって。ウーイル族の戦士たちの多くは棒立ちになったまま殺された。

 何とかその刃があの黒ずくめへ届き、彼の首や胸を穿っても、まるで何ともなかったかのように彼はその剣を振るって、そのウーイル族の戦士の首を刎ねた。

 ネヴァンティは茫然とした。いったい、何を見せられたのか、と。黒い外套ローブの男はおもむろにネヴァンティの方を向いて言った。


「この通り、私は私ひとりでも十分に人間数十を殺しえる。そして――この私の力を、他の者へ授けることもしえる。そんな者らにお前たちは立ち向かえるか?」





 

「まるで、時を操っているようだった」

 

 双子の姉ネヴァンティの言葉に、アラニスは翡翠を揺らがせた。ネヴァンティは顔を曇らせて言葉を続ける。

「相手の動く時を止めてその首を刎ね、自分の時を止めて死を回避する。まるでそうしているような――そんな光景だ」

 加えて。

 ネヴァンティは強く、自分の拳を握りしめる。

「そして実際、彼は今、光の王国の軍勢にその白夜と常闇の神の力を貸している。その勢いは君も知っているとおり」

「……姉さん。姉さんはわたしたちを守るために、王国に来たのですね」

 アラニスは立ち上がり、愛しい双子の姉を抱きしめる。嫁へ行くとアラニスへ言ったあの日。ネヴァンティは巫女姫として部族を守る覚悟を揺らがさないために、感情を押し殺していたのだ。

 ネヴァンティはあまり似ていない双子の妹の腕の中で、静かに言葉を落とす。

 

「そして、最も「白夜と常闇の神」に近いその神官は誰にも命を奪えない――その弱点を探り、対処する。ぼくたちはそういう協力関係なんだよ」

 

 アラニスはようやく腑に落ちた。書庫には多量の蔵書が保管されていた。しかもその多くは古文書。あれは古代趣味のためなのでなく、神々の系譜を調べ、「白夜と常闇の神」の正体を暴くために集められたものなのだ。

 

「古代語の文献に関してはエイルビーと、ぼくで手分けして解読している」

 

 ネヴァンティは言った。

 それに対し、いつものように「ふん」と鼻を鳴らし、聖騎士エイルビーは言葉を加える。

「この馬鹿は文字を読むのだけはできんからな」

 この馬鹿、とはおそらくケルバンのことだ。ケルバンは一部神詞かむことばを除き、文字が読めない。

 

 アラニスは何んとはなしに、緑髪の、風の女神ティララへ問う。

 

「同じカミサマでも、ご存じないんですか?」

「逆に聞くわ。貴女は風の王国で一番貧しい人ってご存じ?」

 何とも説得力のある切り返しだ。人間だって、全員を把握しているわけじゃない。アラニスは瞬と肩を落として返答する。

「……ご存じじゃないです」

 ティララはからからと笑った。

「どちらにせよ、かなり若い神だと思うわ。聞いたことないもの」

 

「――どんな神だろうと必ず弱点はある。完全無敵の神は存在しない」

 

 それまで黙していたケルバンがようやく声を鳴らした。低く、濃淡のない声。包帯で目元を覆い、その表情を定かにしていない。その傍らで、ティララはにっこりとほほ笑む。

「そうね」

「そうなんですか?」

「私たちだって生命だもの。貴女たちと少し形が違い、別の時と感覚の中で生きているだけ」


 そんなものなのか、とアラニスは独り言つ。


 神々は物質や運動といった現象を司り、それらの力を気まぐれで人間ひとへ貸し与える。

 だがその実、いったい彼らが何者なのかを人間たちは知らない。それは神々の声は聞こえないアラニスも例外ではなく、そしておそらくこの場にいる者たちすべてに言えること。きっとケルバンだって、ティララから「そういうものだ」と聞かされて表面的に知っているだけ。

 確かに人里に紛れる神々とならば言葉を交わし、共に食事をしたりすることもあるが、そのさいの神々は人間の真似をしていて、そして多くを語らない。だから結局、彼ら神々の本質を知ることは叶わない。


 不意にケルバンが小さく舌打ちする。

「もういいか?あんたの妹は無事に届けた。だってした」

 

 冷淡な中に、どこか苛立ちが感じられる。だがそれ以前に、アラニスは彼のその言葉に疑問を覚えた。

「始末……?」

 双子の姉が密に息を呑む。本当にひっそりとだ。だがその妹であるアラニスは見逃さない。

「始末って何ですか、姉さん」


「……聖騎士の、だ」


「は?」

「直近で脅威になりうる聖騎士を……ケルバンに――殺してもらった」

 アラニスは翡翠を見開く。ネヴァンティは翡翠を翳らせ、気不味そうにしている。アラニスはそれでも、姉を問い詰める。

「脅威って、例の神官に入れ込んでいる、とかですか?」

 

「違う。神の血が濃いか、濃くないか。そしてぼくたちの味方になりえるか。国王、すなわちあの神官に従う聖騎士で、神の血の濃い者は脅威になりる……それこそ、国を亡ぼすような。神官の切り札は削っておきたい。今々、こちらには何の手立てもないからだ」

 

「そんな……」

 そしてその脅威のひとりが、聖騎士ブライアンだったのである。彼は由緒正しい聖騎士の家系で、神々と分かつ血の濃さでは指折りであった。それでいて、王国の命に忠実。それらが国のためになると信じていたからである。


「まあ、呼び出せたのは偶然だけどな」

 ケルバンが呆れたように言葉を落とす。

「呼び出した?」

「もともと、ティスカールにもガヴェインにも寄るつもりなかったからな」

 無論それはエイルビーも同様で、ティスカールでケルバンを見たときは怒鳴らずにはいられなかった。酒場で他人のふりをして近づき、とにかく鬱憤晴らしに怒鳴ってやったのだ。店主がなかなか止めに入らないので、そこは想定外だったが。

 

「ティスカールとガヴェインって……まさか、「始末」したのって……ブライアンさま?」

 

 ケルバンは答えない。だが、ブライアンとエイルビーを除いて、接触した聖騎士はいない。エイルビーはここにいるということは、彼はネヴァンティの味方で、始末の対象外。厭でも絞り込めてしまう。

(そうか)

 だから、あの時。

 アラニスはケルバンの奇妙な行動を思い起こした。普段、肩を叩くなんてことをしないのに、あの時は突然にあの老騎士の肩を叩いて、馴れ馴れしくしていた。

「あの時、血を付着させていたんですね」

「血がないと、風を仕向けられないからな」

 ケルバンは冷たい声で答える。

 

(妨げになるから殺すって、そんなの)

 

 酷すぎる。そう言いたいが、姉は部族を守る立場。綺麗事が通じる世界ではない。そのことが酷く、悲しい。姉に何もしてやれない自分に歯噛みし、アラニスは項垂れた。

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