10・横手にて・参

 裏の木戸を潜って館の外に出ると、

「皆、出て来てくれ。」

潜んで居る山の民に声を掛ける。

「若様、上手く行ったみたいですな。って、なんで赤子を抱いてるんです!?」

茂みに隠れていた慶次達が出て来るなり驚いてそう言う。いつの間にか壱太も来ている。

「今の所はな。こいつの事は気にするな。子守は俺の特技の一つだ。それより謝礼を持って来た。」

そう言って葛篭を下ろすと蓋を開ける。

「一人一貫ある。それから残りの一貫は光繁殿に渡してくれ。無断でお主達を借りた侘びだ。」

「こりゃあ、こんなに貰っちまって良いんですかい?」

周りの者も色めき立つ。

「いつもこんなに払えると思わんで欲しいが、今回はお主達の働きが極めて大きい。この結果を見せれば奴等も…」

結果を見せれば…


「若?」

突然黙り込んだ俺の様子に声を掛けて来る利助。山の民の者達も突然の変化に心配そうに見ている。

「兵六…」

「へ、へい?」

「今から山の中を掛けて川出と石野の境までどの位で着ける?」

突然名を呼ばれて目を丸くする兵六に前置きも無くそう聞く。

「目一杯走って昼過ぎってとこだと思いますが。」

質問の意図が汲めずに不審そうな顔で答える兵六。


 もし、実野の軍勢が川出の主戦場で父の首を掲げたら。もし、山之井から別働隊が攻め込んだと吹聴したら。背後を脅かされると感じた三田寺勢は一気に崩れかねない。

「謝礼は後で幾らでも払う。三田寺の本陣まで走ってくれまいか。」

「そりゃまぁ、そうまで言うんじゃ構いませんが…」

「文を認める暇も惜しい。この脇差を見せて俺からの使者だと言うんだ。父上は討ち取られたが俺が返り討ちにして横手の館を焼いたと伝えてくれ。頼む。」

そう言って脇差を差し出して頭を下げる。

「わ、分かりやした。じゃ、じゃあ、今すぐ向かいやす。」

恐る恐る脇差を受け取ると兵六は山の中に駆け込んで行った。


「壱太は何か報せが有るのか?」

続いて何かの繋ぎに来たであろう壱太に聞く。

「あ、はい。谷の方はやる事が済んで、板屋も上手く行ったと報せが来たみたいです。谷の連中はどうすれば良いか聞いて来いって。」

成程、それは重畳。

 今考えるべきは川出から転戦して来るだろう後詰をどこで迎え撃つかだ。可能なら峠を押さえて高所から叩きたい所だが、あそこは防御施設も何も無い。

 大叔父や行連の意見を聞きたいところだがそんな余裕も無いだろう…無理をせずに隘路まで引くのが無難か。

「谷に居る連中には、後詰が来る可能性が有るからそこで再度迎え撃つと伝えてくれ。稲荷社から食い物と水を運ばせて体力を温存して待てと、食い物は俺達の分も用意して欲しいな、捕えられて居た者も十人程増えている。」

「わ、分かりました!」

俺の指示を受けると壱太は直ぐに来た道を引き返して行った。

「すまんが、残りの皆はもう少しここで待って居てくれ。」

「へ、へい…」

事態に付いて行けずに慶次達は目を白黒させながらそう答える。


 館に戻ると下働きの者が荷を担いで門から出て行く所だった。中に入ると先代の遺体は既に運び出されており、奥方や駒達は荷造りを終えていた。

「奥方はどうなさる?」

まずは方針の決まっていない奥方に聞く。

「私は…家に戻らせて頂きます…」

子供達から目を逸らして奥方はそう答えた。

「そんな、母様…」

聞いていなかったのだろう、駒が衝撃を受け悲し気な顔をする。

「畏まった。申し訳無いが護衛をお付けする余裕はお互いに有りますまい。朝になれば実野の後詰が来るというのでそれに合流されると宜しかろう。」

「で、では、私共は経貞殿の屋敷で朝を待たせて貰います故、これで失礼致します…」

そう言うとそそくさと侍女を伴い部屋を出て行ってしまった。あの侍女が忍びの者で今から走って本陣に急報を伝えるなんて事はないだろうか。一瞬そんな事を思ったがそんな事を考えている場合では無いと思い直す。

 後に残された二人の子供、駒は母親の出て行った戸を見つめて声も無くぽろぽろと涙を零し、孫三郎は何事も知らずに静かに俺の腕の中で眠っていた。


「経貞殿、残りの銭も貴殿に預ける。いざと言う時に使ってくれ。」

涙を流す駒から目を逸らし、経貞に話し掛ける。

「…なぜそこまでする。全て燃やしてしまえば良いではないか。」

俺の言葉を受けて、敵の施しは受けんと言った感じに怨嗟の声を上げる経貞に、

「これは民が汗水垂らして稼いでくれた銭だろう。それに戦の度に被害を受けるのはいつも民だ…俺は横手の民には恨みは無い。だから彼等に必要になった時に…」

「俺は姫様と若様に付いてお守りする。お前の思う通りにはせん。」

俺の言葉を遮る様に経貞は据わった目でこちらを睨み付けながら答える。

「馬鹿を言え、それでは横手の民は誰が守るのだ!?ここに居らぬ者に適任の者が居るのか?」

俺がそう言い返すと、

「若様が、彦五郎様が居られる。」

更にそう言い返された。


「経貞…その人の言う通りだわ…兄上が実野から戻られても兄上はまだ若いわ…兄上を助けて横手の皆を守って頂戴…私達は負けたの、その責任は私達が取らなくていけないんだわ…」

そんな経貞に、涙の止まった赤い瞳を向け駒がそう言う。

「しかし、しかし…ぐぅ…」

その姿を見て経貞も言葉を継げずに嗚咽を零す事しか出来なかった。

 成程、長男が他に居たのか。先代が己の命を差し出したのも跡継ぎの目処が立っていたからかもしれない。それに母親は長男の所へ行こうと考えたのかもしれない。

「駒殿、弟君を。」

そんな駒に孫三郎を差し出すと二度と離すまいとばかりに抱き締める。

「駒殿、経貞殿、もう一つ協力して欲しい。」


 館の門の前に立ち、二の廓に居る横手の兵達に相対する。兵達は既に武装解除を受けている。指示した覚えは無いが誰かが気を利かせたのだろう。

「皆、話は聞いていますね。我等の負けです御免なさい。山之井様からお話があるから良く聞いて頂戴。」

孫三郎を抱いた駒が兵達に詫び、対する兵達からはすすり泣きも聞こえて来る。

「皆、良く聞け。この館には夜明けを以って火を放つ。今後横手はどうなるか分からん。それ故、夜明けまでは二の廓の蔵から米の持ち出しを認める。家から家族を呼んでも構わん。しかし、絶対に盆地の連中には気取られるなよ、すぐに取り上げられてしまうぞ。経貞殿の家に逃げた奥方は実野の家に帰ると言っている。そちらにも気取られん様に運ぶんだ。良いか!?」

「「は、はい!」」

それを聞いた兵達は目の色を変え、蔵に走る者、家族を呼びに門から駆け出して行く者と様々だった。


「駒殿、申し訳ない。御母堂を悪役にしてしまった。」

兵達が走り去ると直ぐにそう詫びる。

「いえ、ある意味事実ですから…」

唇を噛み締めながらそう駒が答える。

「経貞殿、申し訳ないが家に戻り、奥方達が外の様子を見られない様に手配して下さらぬか。」

「…畏まった。その間にお二人を勝手に連れて行ったりは…」

経貞にも手当てを頼むが、余程二人が心配なのだろう。そんな事を聞いて来る。

「我等は城の下へ降りて貴殿が戻られるのを待とう。それで宜しいか?」

「良かろう…」

そう言うと門の方へ走って行った。

「良し、皆を集めろ。慶次も呼んでくれ。」

それを見て、俺はそう命じる。


 東の山の端が明るくなり始めた頃、周りを兵に囲まれながら横手館の門を出る。中央には駒と孫三郎の姉弟と俺、その周りを俺が連れて来た十人の兵と再武装した捕らわれて居た兵達、合わせて二十余名が囲む。

 兵達には動ける程度に館の蔵から持ち出した弓と矢を背負わせた。後詰に来ると言う実野の部隊がどの程度の規模かは分からないが矢玉は少しでも多く確保したいからだ。

 館には利助と身軽な誠右衛門達弓持ちの者、それから山の民を残し、夜明けと同時に火を放つ事になっている。

「奥の蔵にある米は好きに持って行って良いぞ。適当な山の中にでも隠しておいて後で取りに来れば良い。」

慶次にはそう言ったので、彼等は今頃必死に裏山と蔵の間を往復している事だろう。


 坂を下って川沿いの道に出る。そこには既に息を切らせた経貞が待ち構えて居た。それ程心配なのだろう。目の色を変えて米を運んでいた者達もこの時ばかりは足を止めて二人を見送る。

「経貞、後を頼みます。皆も兄上や経貞を助けてあげてね。」

そう言うと我等は山之井を目指し、谷を上り始めた。

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