彼のスタート、彼女のゴール。

うびぞお

怖い映画話を見たら一緒に夜を過ごそう 番外編

 おおよそ真面目な女子大生であるカヌキさんは、無類のホラー映画好きである。そんなカヌキさんは、大人っぽいけれどちょっとばかしワガママなミヤコダさんとお付き合いをしていて、同棲生活をスタートさせたばかりだ。

 そんな二人のなり初めなどは、さておいて。


1


「あ。こんなとこにしまってあった」

 カヌキさんがチェストの引き出しを開けて、小さく呟くのを、ミヤコダさんは耳ざとくキャッチした。

「何、何見つけたの?」


 ミヤコダさんの座るソファーの前の小さなテーブル。

 そこに、カヌキさんがリモコンを置く。

「前に使ってたブルーレイデッキのリモコンですね。壊れてるのに引き出しにしまっちゃって、捨て損ないました」

 ふーん、とミヤコダさんは言いながら、マグカップの紅茶に口を付ける。そして、何かを思い出したように少し目を見開いた。


「ねえ、再生ボタンのこと、なんでスタートボタンって言うんだろ?」

 また、どうでもいいことを言い出したな、と言うように、カヌキさんは目を逸らす。

「再生をスタートするからでしょうね」


「真面目か! もっと面白いこと言ってよ」

「頭の硬い私に何を期待してんですか」

 カヌキさんも自分のマグカップに紅茶を注ぎつつ、呆れ顔をする。それからミヤコダさんの方を見て呟くように話し掛けた。

「……再生ボタン、スタート、ですか」


 ミヤコダさんは、そんなカヌキさんの目に嫌な予感がする。

「あ、何か、ほらぁ映画を見せようと思いついたでしょ!!」


「呪いのビデオの再生をスタートしましょう!」

 満面の笑顔を見せてカヌキさんは、ソファーの後ろの棚にある録画済のブルーレイを漁り始める。

「え、いいよ、前に見たあれでしょ、なんだっけ、えーと」


 ミヤコダさんは、自らホラー映画を観たがることはなく、今日はホラー映画を見るような気分ではないのだと主張するように、カヌキさんを止めようとする。

「……ダサコ!!、テレビの中からダサコが出てくるヤツ。あれ怖いから、もういいよ!」


 ちっとカヌキさんが舌打ちする。

「いや、ダサコじゃないですって、前にも教えましたよね」

「え?そうだっけ」

 ミヤコダさんは目を逸らす。

「貞子です。いいですよ、では貞子じゃなくてタマラにしましょう」


「……タマラ?」

「ハリウッド版貞子です」


 ミヤコダさんの脳裏に、グリンと目玉がこちらを見る映像が浮かび、ちょっとだけゾッとする。

「それって、日本版より、怖いってこと?」

「あ、だいじょーぶですよ。日本版の方が怖いです。……まあ、私基準ですけど」


 カヌキ基準がなんの当てになるのか。

 怖いか、怖くないか。どれくらい怖いか。泣くほど怖いか。

 そんなのがカヌキさんの基準であることをミヤコダさんは十分に知っている。

 ダサコでもタマランでも何でも阻止してやろうとミヤコダさんは立ち上がり、テーブルの上にマグカップを置いた。


 マグカップの下には、壊れている筈のリモコンがあって、

 再生ボタンが押された。



 テレビが点いて


 二人は驚く


 テレビの画面に映っていたのは




2


 高校の制服、白いブラウスのボタンを止めている、今より少しだけ若いミヤコダさんだった。

 髪の色が今より暗めで胸の下くらいまで長くストレートのまま髪を伸ばしている。



 テレビの画面の映像の筈なのに


 目の前にいるみたいに見える


 背景はぼんやりしていて


 よく見えない



 ボタンを確実に一つずつ留めていく。

 レースに飾られているような胸の膨らみが、白いナイロンに隠されていく。女らしさが制服で無理に「女子」に押し込められていくみたいで、隠しきれない艶やかさにカヌキさんは思わず唾を飲み込む。


「……わたし? 高校の時の?」

 ミヤコダさんの声は、映像のミヤコダさんに届かない。


『お前さ、指定枠推薦蹴ったんだって? 一般受験する気? 意味分かんね』


 ミヤコダさんの後ろから若い男の声がした。

 うわ、元カレだ。このお前呼ばわりが大嫌いだった。

 そう思いながら、その声にミヤコダさんは思い切り顔を顰めた。


『大学行ったら、俺たち、どんなんなるんだろうな』


 その言葉から、もうすぐカレが推薦入学の試験を受ける頃の自分の姿だと気付く。


『俺、サークルとか旅行とか、やりたいこといっぱいあるんだよね』 


 わたし、なんでこんなのと付き合ってたんだろう?

 と思いながらミヤコダさんはカヌキさんを振り返った。

 カヌキさんは、何を考えているのか、よく分からない呆然とした顔つきで、若いミヤコダさんをじっと見ていた。


『一緒に色んなことやろうぜ』


 自分のやりたいことが、わたしのやりたいことと一致しないって、最後までこの男は分かってなかった。


『4月から、新しい生活がスタートするんだな』

 感慨深そうな、でも、軽薄な言葉が聞こえる。


 そんなスタートなんてない。

 ブラウスを着たら、スカートのファスナーを上げて、ネクタイをぎゅっと締めた。

 そして、ばさっと音がするくらい勢い良くブレザーを着て、武装した。


 これは、わたしが、カレと新しくスタートを切ることなんかないって決意を確固とした日の出来事の映像だ。






 目の前のテレビにはもう何も映っていなかった。


「なななななな、なんだったの今の? 今の見た?見ちゃった? 聞こえちゃった?」

 ミヤコダさんが混乱した声を上げる。

「あー、うん」

 カヌキさんが呆けた声で返事をして、鼻に皺を寄せながら、頭を掻いた。男の声なんかより、高校生とは思えないミヤコダさんのカラダを見る方に集中してました、とは、ちょっと言いづらいカヌキさんであった。


「高校ん時のわたし、って本当にバカよね……」

 ミヤコダさんが片手で口を覆いながら吐き出す。

「もし、また、高校生をやり直すんだったら、もっとマシな女子高生やるわ」

「ははは、反省ですか?」


「反省も後悔もしてないわよ」

 ミヤコダさんは、強く、そう言い切る。その表情をカヌキさんは、勇ましいな、と思う。


「ねぇ、スタートする映画ってある?」

 ミヤコダさんが映画に話を切り替える。

「ラストがスタートで終わる映画なら、数えきれないくらい、いくらでもありますね」

 カヌキさんがそう答えると、ミヤコダさんは、そっかーと天井を見上げた。


「スタートがない話、は難しいかぁ」

「何度も失敗してスタートし直して、最高のゴールに辿り着く、死に戻りジャンルの映画ならいくつかあります」

「あ、前に、誕生日を何度もやり直すの、見たね」

「そうです。あと有名なのだったら、何度も死んで、その度に強くなって最終的に勝利する、100万回死んだトムの映画があります」

「よく分かんないけど、言い方にトゲを感じる」

「ははは。SF映画です」

 カヌキさんはトム・クルーズに何やら思うところがあるのかもしれないが、ミヤコダさんは、トム・クルーズもトム・ハンクスもトム・ホランドもトム・ヒドルストンもトム・ハーディも分かってない。


「私も、スタートが大嫌いになった日のこと、思い出しました」


 そう言って、カヌキさんは、リモコンの上のミヤコダさんのマグカップをどかして、代わりに自分のマグカップを置いた。


 カヌキさんのマグカップが再生ボタンを押す。




『絶対合格して、新しくスタートしよう。明日は合格してるといいね』


 それがカレからの最後のメッセージ。


 そのメッセージの映ったスマホを持って震えている小さな手が、テレビの画面から抜け出したように、リアルに見えた。

 スマホを持っている少女、耳の下で二つに髪を縛って、ダッフルコートを着て、マフラーをぎゅっと巻き付けて立っていた。

 背景は、寒そうな雪が残った街の中らしいけれど、よく見えない。カヌキさんは雪の降る内陸で生まれ育った。


「私だ」

 カヌキさんが棒読みで呟く。


 ミヤコダさんも知っている。カヌキさんの元カレは、自分だけ大学に落ちたことでいじけたのか、合格発表の前日のメッセージを最後に、彼女だったカヌキさんを1年近く無視した。

 少女のカヌキさんが、何度もカレにメッセージを送る。

 カヌキさんのメッセージは読まれることのないまま重なっていく。全部読むには何回かスクロールするくらいには溜まっていただろう。


 少女だったカヌキさんが走り出した。

 どこかの家の前に立つ。

 そして、呼び鈴を何度も何度も何度も何度も、押した。

 あれはカヌキさんの元カレの家の玄関だ、とミヤコダさんは気付いた。

 呼び鈴のピンポーンという音が耳鳴りのようにリフレインする。


 それはカレから無視されていると分かりたくなかったけれど、分かってしまった日のカヌキさんだった。

 少女のカヌキさんがくいっと目を拭いて、立ち去っていく。

 ミヤコダさんは、そんな少女のカヌキさんを見て痛ましく感じたが、一切振り向かないでずんずん歩いていく姿に、あ、こりゃ怒ってるわ、と思い、怒った時のカヌキさんの強かさを思い出して肩をすくめた。


「まったく、何が、新しくスタートしたんでしょうね」

 カヌキさんが腕を組んで冷たく言った。どうやらいまだに根に持っている。

 こわ、とミヤコダさんは思ったが、黙っていることにした。




 そして、また、テレビの画面は真っ暗に戻った。

 キョトンとした顔の二人がぼんやり反射して映っている。



「なんだったの、今の?」

 そう言いながら、ミヤコダさんが、カヌキさんのマグカップの下になっていたリモコンを手に持つ。

 再生ボタンを指で押しても、マグカップで押してももう何も起こらなかった。電池の入ってないリモコンだから、それが当然だ。

 もう何もスタートしない。


「……そっか。わたしたち二人とも、高校の時、同級生男子と付き合って、二人とも卒業と同時に別れてたんだ」

「卒業はスタートというよりはゴールですから、いいんですよ」

 それから、色々と縁あって、今はその二人で一緒に暮らし始めたのだから、人生はよく分からない。


 ミヤコダさんが壊れたリモコンをポイっとテーブルの上に投げ出すと、カヌキさんは、さらに、それをゴミ箱に放った。

 からんとプラスチックの塊が音を立てた。


 二人に残っていた、「スタート」の記憶。

 それは壊れて忘れられていたリモコンが見せた嫌がらせかもしれない。



「……ねえ、私たちのスタート覚えてますか?」

「もちろん」

 カヌキさんの質問にミヤコダさんがくしゃりと笑った。


 出会った日のこと

 初めて二人で一緒に観たホラー映画のこと

 初めて二人で出掛けたこと

 …

 …

 たくさんの初めてとスタートがあったし、これからも続くだろう。



 ふふッとミヤコダさんが笑い出し、カヌキさんが頬を赤くする。

「今、なんか、いやらしいこと思い出しましたね」

「はぁ? そんなこと思うそっちの方がいやらしいでしょ。ま、図星だけど」

「……もぅ」




「で、カヌキさん、怖い映画見るの? それとも何度もスタートする映画見るの?」


 そうですね、とカヌキさんは腕組みをして考える。

 頭の中で映画検索する。


 ぽん、と右手で左手の手のひらを打つ。



「『レック』観ましょう!」

「駄洒落か!」




 ミヤコダさんは大きく口を空けて笑って、珍しく冗談を言ったカヌキさんの頭を抱きしめた。







 そして、再生ボタンを押すと、映画がスタートする。

 






★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆


ネタにした映画

リング(1998)

ザ・リング(2002)

ハッピー・デス・デイ(2017)

オール・ユー・ニード・イズ・キル(2014)

スター・トレック(2009)


番外編その2

https://kakuyomu.jp/works/16818023211862462917/episodes/16818023211862479566

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼のスタート、彼女のゴール。 うびぞお @ubiubiubi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ