第27話 月が綺麗ですね

 その日の夜更け、夕子は寝間姿のまま木剣を片手に寮の部屋を抜け出した。

 足音と気配を消して横切った談話室の扉から、明かりと少女らの声、それから激しい銃声が漏れていた。またぞろ夜を徹してテレビゲーム大会でもしているのであろう。余程大騒ぎしない限り彼女らが叱られることはない。若さ以上に姫騎士の健康体質のおかげで二徹三徹程度では翌日の授業にほとんど影響は出ない。若者だけの集団生活にありがちなやりたい放題もあるが、活動時間が長いのである。理論上、平均睡眠時間が三時間程度あれば充分健康的な生活の範疇といえる。姫騎士が寝穢くなるのは当人の嗜好でなければ、疲れか傷を癒やすときくらいとなる。

 芽亜は決闘に巻き込まれた気疲れからか、今夜は普段より数時間早く寝台で丸まって寝息を立て始めた。夕子も明日の決闘に備えて傷の治りを早めるため早めに横になってはみたものの、目が冴えてしまった。嶺鈴との戦いの余韻と――行ったことは無いが――遠足の前日の小学生のような心持ちからである。

 叡子学長に用意され、芽亜に「お姫様みたい」と言われたフリルまみれのネグリジェは見た目通り運動に適していないが、着崩したり汚したりせぬよう動くのはもちろん、代謝をコントロールして汗を出さないようにすれば問題ない。神威の昂りのおかげで傷の完治は眠らずとも明日の決闘開始に間に合うであろう。


 寮の庭の池の横で、月明かりを頼りに剣を振る。剣と身体の行き先に任せるまま無心に振るわれた切っ先は、取り留めのない軌跡を音も無く描いては夜の闇に溶けて行く。素振りではあるが鍛錬の意識はない。子供の気ままな棒振りと同じである。剣術という身体の芯に居着いた不自然なそれをあえて捨て去り、生まれて初めて手にした気持ちで剣を振る。真理谷夕太郎なりの気晴らしであった。精神に均衡をもたらすルーチンといえば聞こえはいいが、人には見せられない一人遊びであり、ある意味では悪癖ともいえる。

 姫騎士の力に目覚める以前は日光に当たれない体質であった夕太郎にとって、夜の闇とは安らぎを感じるものである。日が落ちてからでなくては外に出られず、かといって夜更かしをしては体調を崩す。屋外で気ままに動き回れるのは就寝までの僅かな時間に過ぎなかった。そうしてそれは四六時中一緒の姉から離れて、一人でいられる時間でもあった。当時の姉は早寝早起きが染みついて夜更かしができなかった。

 その束の間の自由時間、夕太郎は木剣を玩具にして遊ぶことを好んだ。滅茶苦茶に振り回したり漫画の真似をしてみたりと、もしこれが鍛錬中、師である母に見つかったなら大目玉を食う行為である。鍛錬でないから、哀れな不具の息子の一人遊びの時間であるから目溢しされたに過ぎない。木剣とはいえ剣士の魂である剣を粗雑に扱う。自分がそれを楽しい遊びとして覚えてしまったのには禁忌を犯す密かな悦びの他に、己の家や境遇に対する無意識の反発心もあったろう。今このように分析できるのは、姫騎士となって健康状態の問題が解消されたおかげといえる。仮に自分が虚弱体質の少年のままであったら剣を振る心情は鬱屈したものであったに違いない。

 とはいえこの棒振り遊び自体は、傍から見れば健康的とはいいがたい。ここが真夜中の公園であったら不審者として通報ものである。棒切れを振り回すだけなら職務質問で済むかもしれないが、それがフリルたっぷりの女装男となればいかがわしさを帯びてくる。叡子学長の言っていた新宿二丁目というやつである。


 夕太郎は大きくため息をついた。ルーチンによってもたらされた平静な思考が今さらながら、己の変態性を否応なく自覚させた。気配に気付くのが遅れたのはそのせいである。

「――無想剣。綺麗なものね」

「いいえ。ただの不覚。恥知らずの一人遊び。こんなもの、見せられたものじゃない」

「私は好きよ。貴女の剣」

 振り向くと、霧子が木剣を手に佇んでいた。

 夕太郎と同じく目が冴えて素振りでもしにきたのか、寝間着姿のままである。猫ちゃん模様の可愛らしいパジャマを着て、二つ結びの髪も解いてある。制服のときと違い袖は長くない。形の良い手と指が露わになっている。あの袖余りはやはりただのファッションではなく、戦闘用の細工なのであろう。

 態度、声調、思考を真理谷夕子に切り替えると、構えを転じ、木剣を向ける。

「待ちきれず前哨戦に来たのかしら」

「それも悪くないわね」

 わかりきった問答をしながら、霧子が応じて構える。パジャマが薄手であるからか、すらりとした身体の線がよくわかる。その立ち姿を前に、やはりいいなと夕子は思った。昼間の経緯で生じた因縁など関係なしに、彼女と今すぐ立合いたい。隙を窺い合い、刃を噛み合わせ、互いの命を賭して剣で語り合いたい。霧子も同じ気持ちであったろう。顔を見ればわかる。目と目が合うと微笑み合った。

「けれどそれは――」

「――ええ、あまりにももったいない」

「そうね。もったいないわ」

 しっくりする表現である。どちらからともなく納め刀をすると、戦意を冷ますべく、ともに夜空を見上げた。お互い恋する女子高生のような状態なので、見つめ合ったままでは胸の高鳴りに堪えきれず、斬りかかってしまいかねなかった。


 互いの息遣いを感じながら、月にかかる雲の濃淡を見るとも見る。しばらく経ち、沈黙が苦でなくなったあたりで、夕子から切り出した。

「嶺鈴さんの名誉を守るため?」

 嶺鈴との決闘に霧子が乱入したことについてである。二人きりなので真意を問うことにした。結局、急遽決まった筆頭決定戦の話題に流されて、あの決闘の勝敗は有耶無耶になった。

 勝つためになんでもするというのは、夕子からすれば好感が持てる。とはいえそれには男性として美少女に対する贔屓目と、ある種の強者としての傲慢さがあった。同性の第三者、正々堂々を好む姫騎士の少女らにしてみれば嶺鈴の振る舞いは卑劣で往生際が悪く見えたろう。あのまま決闘が終わり、嶺鈴の所業が知れ渡ったら彼女に対するクラスメイトの態度が険悪になったかもしれない。霧子による串刺し刑は、嶺鈴に悪印象を持つ者にとっての禊ぎとなり、そうでない者にとっては被害者としての同情をもたらした。なんせ姉と慕う相手の裏切りである。死者や水に落ちた犬を鞭打つのは卑しい行為なので、内心はともあれ、表立って嶺鈴を批難することはできなくなった。

「さて、どうでしょうね」

 霧子は少しとぼけて見せ、

「でも、私は貴女と戦いたい。それは本心よ」

 とはっきりと口にした。

「今ならわかる。リンのことがなくたって機会があれば、私はいつかああしていた」

 自嘲するように霧子は言う。

「結局のところ、ね。私は筆頭としての振る舞いを忘れて、己の欲望を優先したのよ」

 はしたないでしょう? と横顔に問いかけられる。熱烈な告白であった。思わず顔が熱くなる。元の色の無さゆえに、月明かりでも肌の赤らみがばれてしまうかもしれなかった。

「……私も」

 照れくささで言葉が詰まる。

「私もあなたと仕合いたかった。初めて会ったあのときから」

「おそろい、ね」

「うん」

 見返すと、霧子の顔は赤かった。月の光で金糸のように淡くきらめく長髪が、夜風でさらさらと揺れている。この分では自分の火照りも見えてしまっているだろう。夜風が長く吹いたとき、真っ白い夕子の髪が膨らみ流れて、隣の霧子の金髪と少しだけ触れ合った。


 このまま別れるのはなんとなく名残り惜しくて、二人は会話を続けた。始めは探り探りの一問一答という感じであったが、しだいに気恥ずかしさもほぐれ、年頃らしいお喋りへと変わっていった。

 色々なことを話した。剣のこと、授業のこと、それぞれの妹のこと、学園に来て知った娯楽のことなど、話題は無数にあって途絶えなかった。思えばこうして二人きりで気ままに喋る機会は初めてであり、己について知ってもらいたいことも、相手について知りたいことも、どれほど話しても話し足りないように思われた。

 話の流れで夕子と霧子は似た境遇にあることを知った。幼少期から修行に明け暮れたためにやや世間知らずであり、二人とも学校に通うのはこの姫騎士学園が初めてであった。夕子はその病弱さから、霧子は六歳という神威覚醒の早さから、小学校にも中学校にも行けなかった。真理谷夕太郎と同じで霧子に姉がいることも知ったが、霧子が話題を逸らしたのと自分が姉の夕子に背乗りしている手前、詮索はしなかった。

「妹らしく、ユウお姉様と呼ぶべきかしら」

 などとからかわれ、実は僕も弟なんだと、少しだけ言ってしまいたくなった。


 互いのことを知るために語り合う。これが剣士同士なら、友情を育む意外の結果が伴うことになる。剣友という関係もあるものの、この二人の場合は、夜が明ければ命を取り合う間柄となる。性格、思考、咄嗟の反応、身振りの癖と、対話によって判明する情報は無数にある。二人ともそれは承知の上であった。敵手であることと友人であることを切り離したわけではない。そもそもできない。剣士の性としてどうしても相手の情報を見抜こうとしてしまい、それで得た情報を戦闘の際にはためらわず活用するであろう。いわゆるフェアプレイ精神とも少し違う。未熟なりにも武術家が、負い目の無さを確保する以上にそれに徹することはない。ならばなぜこの青春染みたやりとりを演ずるのかといえば、戦いそのものの深みを増すためである。

「楽しく話せたわね」

 くすくす笑いを落ち着かせ、霧子が告げた。

「ええ。おかげで勝算を見つけたわ」

「奇遇ね。私もよ。明日……もう今日ね。今日の戦いに活かしてみせるから、覚悟なさい」

「良い仕合に、いや――勝つのは私よ」

 良い仕合にしようなどとあらためて言うまでもない。そんなのはこれまでのやり取りわかっている。そのうえで勝利すると、宣言するのが礼儀である。

「いいえ、私が勝つ」

 霧子の言葉に背を向ける。精神は整った。あとは疲れと傷を癒やし、肉体を万全に持って行くだけである。

 別れ際に霧子がふと言い足した。

「貴方は、もしかして……いえ」

 口ごもり、言い直す。

「今夜は月が綺麗ね」

 振り返らずに答えた。

「私、死んでもいいわ」

 全身全霊を賭けて命を奪い合う決闘である。初めて殺す、あるいは殺される相手は霧子がいい。愛の告白に等しい、有名な決まり文句を借りた宣戦布告である。良い夢が見られそうであった。

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姫騎士学闘アヴェマリウス 三次郎 @usaburo

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