第21話 詰み

 元の肌色が白すぎて、失血のそれと区別がつかなかった。いくつもの創傷により制服の胴体部分は半分近くが血に染まっていたが、手足の末端には傷一つない。髪もきれいなままである。違和感を抱くほどに、純白を保っていた。常に動いて靡くことで、血塗れの身体が接触せずにいるのである。消耗しているのは見かけだけで、運動能力や技の冴えは損なわれていなかった。

 明らかに追い詰められた状況が続いても、真理谷夕子は倒れなかった。強い。しぶとい。肉体性能はいうまでもなく、粘り強いのもあるが、とにかく器用に剣を振る、というのが嶺鈴の印象である。

 霧子もそうであるが夕子はしのぎの使い方が異様に上手い。古流剣術の使い手というのは皆そうなのであろう。打ち合った感覚から戦車の傾斜装甲を連想した。刀身の厚くなる角度で受けると同時に、斜面効果で衝撃が逸れるのである。力尽くの鍔迫り合いも滅多にしない。続飯付そくいづけというやつなのか、剣が合うと吸い付くように誘導される。こちらが振りづらいと感じている間はまだいい。剣を気持ちよく振り切れた、そのときこそが危険である。死に体に誘導されてしまっている。

 不用意な真っ向斬りは切り落とされてしまうので、こちらから剣を打ち込むのに一々勇気が要る。同時攻撃を心掛けるのは手傷を負わせるためというよりも、カウンターを成立させぬためである。傍目からは一方的な袋叩きに見えるであろうが、夕子の反撃を封殺するにはこの状態でなくてはならなかった。袋叩きとなってはじめて拮抗しうるのである。剣士として夕子は確実に格上であった。

 だが姫騎士としては違う、と嶺鈴は己を奮い立たせた。戦いとは数である。少数を多数者が圧殺するのは摂理である。それを千疋狼は個人の意志で実現する。その能力をもつ自分は夕子より強い。霧子に敗れたのは彼女が千疋狼に対抗できる浮遊剣という能力を持っていたからである。無能力かつ、単体で強いだけの真理谷夕子に負けるなんてありえない。

 だから勝つ。勝つべくして勝つ。敵がしぶといならば持久戦である。疲弊して技が乱れ、そのとき生じた隙を突く。卓越した技量で粘るというのは換言すれば綱渡りを続けているということで、集中力が途切れればそれきりである。姫騎士の精神力は普通の人間に比べ、別段優れているわけではない。クラスメイトも嶺鈴自身も、あの霧子でさえ、姫騎士の力を剥ぎ取れば年相応の少女に過ぎない。死の危険に晒され続けて、冷静でいられるわけがないのである。

 気の緩みを誘発する緩急はあえてつけない。小細工を仕掛けようという甘えは、逆にこちらの弱みとなる。これは根比べである。殺し合いの精神的負担に音を上げたほうが敗北する。そうしてここでも、多数の強みが活きてくる。命のやり取りを真理谷夕子は一人きりでしなければならないのに対し、嶺鈴はこの場にいる九人で分かち合える。

「顔が良いならちやほやされてきたんだろ」

「甘やかされて見下してきた女にあたしたちは負けない」

「そのキレイな顔をぶった切ってやる」

「斬られて死ぬのは怖いもんな」

「でも殺す」

「殺してやるっす」

「メアっちの前だから降参したくてもできんよなぁ」

「軽口を叩けないのは余裕がないってことだろう?」

「殺し合いってのはテンションが上がるものっす」

「股ぐらから淑女汁が臭ってますわよおぼこちゃん」

 剣戟の合間合間に言い放った探りを兼ねた挑発に、夕子はひと言も返さない。返せないのではなく返さない。やはり一筋縄ではいかない。

 嶺鈴は舌打ちして斬りかかり、そこで思わず癖が出た。剣道の面打ちのようにしてしまったのである。

 竹刀を用いる剣道と真剣を用いる剣術とで、身体の使い方が違うことはよく知られている。見た目でわかりやすい違いの一つに足遣いがある。撞木足と呼ばれるレの字立ち、L字立ちである。剣道では厳禁とされる足遣いであるが、古流ではこれが基本形である。剣道の平行足との違いは電車の中で立ってみるとわかりやすい。横方向の慣性に対し、平行歩では転びそうになるが、撞木足では踏ん張れる。無論、平行足が劣っているというのではない。剣道の平行足は軽い竹刀を踏み込んで振る素早さを重視した足遣いで、古流の撞木足は重い真剣を柔軟に振る安定性を重視した足遣いであるとされる。古流においては撞木足一辺倒というわけではなく、平行足と柔軟に使い分けてもいる。

 剣道式の平行足の弱点を突かれたのは、嶺鈴の未熟さゆえである。身体の浮きで手打ちとなった剣の威力を容易く殺され、それと同時に足払いをかけられた。警察剣道でも採用されている対剣道用の実戦技である。

 嶺鈴の視界は回らなかった。すとん、と、あまりに綺麗に決まってしまい、尻餅をついた。

「えっ」

 巻くような脇構えから、横薙ぎの平打ちが迫るのが目に入った。


 嶺鈴たちは斬りかかるのも忘れて息を呑んだ。人工林の木がなぎ倒されていた。撥ね飛ばされた嶺鈴の通った跡である。刃引きであろうと両断しかねない威力の剣は、刃筋を立てず平打ちに振るわれたことで打撃の範疇にとどまった。そうでなければ臓物がばらまかれていたことであろう。姫騎士は頑丈なので嶺鈴の身体は交通事故などのように全身を強く打ってぐちゃぐちゃに、とはなっていない。木々を折りながら鞠のように弾んだ衝撃で撹拌されたわりには、手足の向きも正常である。しかし内臓は無事ではない。よろよろと立ち上がろうとしかけて血を吐いた。

「まだ……まだ……っす……」

 夕子は周囲に対し油断なく構えながら、嶺鈴が咳き込んで血を吐く姿を観察した。血の色が鮮やかなので肺などの呼吸器が損傷したのであろう。ちなみに消化器系なら赤黒く、吐血までに時間がかかる。

「まずは一人、といいたいところだけれど、分身は重傷程度では消えないようね」

 ならばと、これみよがしに握りを直して刃筋を立てる。嶺鈴たちが構えた。一歩踏み出す。後ずさった。

「あらあらリンさん、臆しているの?」

 一番近い位置で、目と目を合わせた嶺鈴が正眼で食いしばると、

「ヤァァアアア! ァァアアア!」

 と気合いを発し、斬りかかってきた。戦意回復としてはたしかに理にかなっている。

「けれどこれは試合じゃない」

 時間空費の反則はなく、待ちの姿勢でいる敵に無理に打ち掛かる必要はない。

 夕子は間合いを離してさっと剣を振るい、白い光芒を宙に走らせた。嶺鈴は反射的に急所を庇い、単純な面打ちの形に強張らせてしまった。打ち合わず体捌きだけで避けたすれ違いざま、片手持ちで掬い上げるように足を薙いだ。膝関節を砕いた感触があった。

「二人目」

「迂闊な! 呑まれているぞあたしたち!」

 嶺鈴は優秀である。分身も同様に優秀であり、間もなく全員、冷静になるであろう。しかし冷静になりすぎる。絶え間ない連係攻撃はある種の蛮勇があってこそで、これ以上の損耗を警戒し、やや待ちの姿勢に傾いた彼女たちは怖くない。夕子はようやく得た優位を最大限に活かすため、戦法を変えることにした。腰を低く落とし、足をハの字に大きく開いた構えである。小躯の嶺鈴と目線の高さが同じになる。

「来なさい。まとめてたたき割ってあげる」

「意気がるなっすへっぴり腰が!」

 独特の構えを警戒したのか、一人ずつ打ち掛かってきた。


 固く、そして重いと、打ち合うたびに嶺鈴は感じた。これまでのような鮮やかな太刀捌きではないが、一撃一撃にこちらを抑え込む威力がある。しんが通っているというのか、巌のごとき安定性が剣に宿っている。神威は変わらない。強化の出力を高めたのではなく、構えと技によるものであろう。姿勢が低く、いかにも鈍重そうな構えであるが、踏み込む動作はかなり速い。連続の打ち込みが厄介で、それを途絶えさせるために、いちいち横槍を入れなくてはならなかった。手数で圧倒しようにも人数が足りない。突きを差し込んでもまとめて薙ぎ払われる。

 人工林に隠れた三人の予備戦力を呼び出すべきかいう考えがよぎるが、劣勢になりつつあるからこそ躊躇した。彼女らは、夕子がこの場の自分達を倒した際、消耗した状態で油断した隙を突くことで逆転するための伏兵である。物語の主人公が強敵を倒すために力を使い果たして意識を失ったら、敵役はその寝首を掻けば良いというのと似た理屈であった。戦力の逐次投入に他ならないが、どの道八人以上は同時に斬りかかれない。遊兵にするくらいなら戦略のため、隠しておいたほうが無難といえる。

「ゴリラもいい加減に」

 全力で斬り結ぶ。鍔迫りの押しが強い。目と目が合う。嶺鈴の身を割り開いて差し込むように剣が迫り、たまらず跳び退いた。援護の斬撃を盾にする。今まで通りならここで終わる。しかし夕子は追撃した。防御を捨てて身体をねじ込み、斬撃を生身で受けた血飛沫を舞わせながら、逃れた嶺鈴に肉薄する。夕子が袈裟懸けに振り下ろす。剣を構える。防御する。間に合った。しかしその防御ごと圧し潰し、剣が鎖骨に食い込んだ。

「これで三人」

 傷の痛みを感じていないかのように、涼しい顔で夕子が告げた。


 残り六人である。うち負傷者は四人で、真っ当に剣を振れるのは二人しかいない。一人欠けてから、一気に劣勢へと追い詰められた。仲間を呼ばずにこのままやり合えば全滅するであろう。

「上等っす」

 却って腹が据わった。仲間は呼ばない。そう決めた。他の嶺鈴も同様の気持ちらしく、目配せして頷いた。

 自分達は死ぬ。死ぬまで戦う。

 夕子は強い。腕一本とまではいかないだろう。けれども指を狙う、目を抉る、耳を千切る、首筋に噛み付く、己ごと串刺しにすると、やれることはいくらでもある。たとえ命に届かずとも足掻き続ける。自分達は戦うために生み出された分身である。死ぬまで戦い抜くことこそが、仮初めの命なりに、命を全うするということである。自分達の生きた記憶は、この場にいない弥彦嶺鈴本体が受け取ってくれる。

「騎士道とは……死ぬことと……」

 始めにやられた嶺鈴が喀血しながら剣を杖に歩いてくる。一人復帰した。心強い。

「あたしをぶん投げろ。しがみついてやる」

 足を潰された嶺鈴がびっこを引いて肩を掴む。二人復帰である。

「……やられた、から、やりかえす」

 鎖骨を砕かれた嶺鈴が青ざめた顔で剣を構えた。これで九人揃った。

 気合いと根性を考慮すれば、戦力は完全回復したことになる。嶺鈴たちは一斉に夕子をにらみ付けた。

「手負いの獣、ね」

 と呟くと、夕子はなぜか剣を鞘に納めた。

「もう止めにしましょう。こんな戦い。これ以上続けても意味が無いわ」

「今さら、今さら言うのか? 決闘を受けておいて、平和主義者気取りの戯れ言を」

「だってそうでしょう? この場にあなたたちの本体はいないのだから」

 絶句した。取り繕おうとしたところで、

「さよなら。私は嶺鈴さん本人を討ちに行く。あなたたちとの戦いは、良い訓練になったわ」

 夕子はそう言い残すと背を向けて、人工林の中へと駆けて行った。

「待て!」

「逃げるな!」

「卑怯者!」

「あたしが本体だぞ!」

 夕子が聞き入れるわけがない。嶺鈴たちの叫びは遠吠えにしかならなかった。

「畜生、なぜわかった。なぜばれた」

 白鷺莉々愛は嶺鈴の歯噛みする姿を撮影してから、

「詰みザマス」

 と言って配信用カメラを止めた。

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