第22話 魂魄疲労

 嶺鈴本体のいるであろう方角へ向かったのは始めだけで、夕子は途中で道を逸れると、手頃な木の枝に飛び乗って身を隠した。おそらく嶺鈴は分身と本体とで何らかの通信手段――リアルタイムでなくとも携帯電話か分身解除か――を持っているであろう。夕子がこのまま素直に向かったとしても、たどり着くころには嶺鈴は既にその場を離れている。それに地の利は決闘場所を指定した嶺鈴にある。もし自分が彼女なら、人工林で戦闘になった場合に備えておく。地雷を埋めたり重火器を据え付けたりと、何でもありの決闘なら、それくらいはするであろう。夕子は嶺鈴と追いかけっこも森林戦もするつもりはなかった。いずれもこちらが不利である。本体を狙うとわざわざ宣言して人工林に飛び込んだのは、夕子なりの駆け引きであった。


 制服をまくり上げて腹部の創傷の具合を見る。運動機能に支障はないが、皮膚と肉を裂かれている以上、その部分の防御力は落ちている。いくら姫騎士が頑丈であるとはいえ、傷口に直接剣や腕や爆薬を突っ込まれれば致命傷となりかねないので、せめて皮膚だけでも塞ぐ必要がある。

 白い髪を一本引き抜くと、先端を扱きながら神気を通し、湾曲した状態に固定する。神気強化の応用で、毛髪を針付き縫合針に仕立てるという荒療治である。ハンカチで拭った傷口を縫いながら、次からは嶺鈴のように救急キットを持ち歩こうと夕子は誓った。


 応急処置を終えると、木から下りて元の広場へと向かう。出くわさぬよう気配を殺しながら、来た道とは別な道程をとった。広場を視認しつつ気配を探れば、本体を含めた十一人の嶺鈴が揃っていた。九対一で夕子が凌いだ以上、三対一では戦力不足と見てひとまず合流したのであろう。一人少ないのは、連絡用に分身を解除したのかもしれない。夕子の思惑通りである。せっかくなので夕子は奇襲することにした。


 束の間、嶺鈴は我が目を疑った。森が動いたかと思うと迫ってきた。咄嗟に跳び退けば衝撃と共に、葉と枝と土くれが飛び散った。木が一本丸ごと、投げつけられたのである。森を見る。白い姿が人工林の樹木を根もとから引っこ抜いて、丸太担ぎに担いでいた。

「正気っすか?」

 と戦慄している間に、夕子はわさわさばきばきと葉擦れと枝のへし折れる音を響かせながら間合いを詰めると、大きく横薙ぎにした。動きの鈍い分身が数体巻き込まれる。そのうち一人だけ撥ね飛ばされずに枝に絡まってしまい、夕子が素振りすると「ぐえっ」と声を漏らして、クワガタの昆虫採集のように地面に落ちた。

「計られた! 一網打尽にするつもりか!」

 冗談めいた光景であった。丸太を武器にするどころではない。クリスマスツリーのように枝の付いたままの木を、直接振り回している。環境利用戦闘術というにしても、大ざっぱに過ぎた。

「狼狽えるなあたしたち! でかいが軽い! それに鈍い!」

 嶺鈴の言う通り、身体能力で振り回しているだけで、木という武器そのものに神気は通っていない。

「こけおどしならぶった切ってやる!」

 大質量とはいえ、強化した刃筋を立てれば破壊できる。夕子の薙ぎ払いに、嶺鈴が剣を合わせた。刃が中程まで食い込んだところで、夕子は木を手放した。

「その通り」

 木は嶺鈴たちを直接殴るためのものではない。目くらましである。剣を食い込ませた状態で質量を手渡されて、一瞬硬直した嶺鈴の人中を掌底で打ち抜いた。鼻血が散った。夕子はすかさず髪を靡かせて、別な嶺鈴へと向かって跳躍した。スカートが翻り、白い閃光がかすめた。側頭部に回転蹴りが直撃し、宙で一瞬制止した状態から、身をひねって二撃目を繰り出した。人体を足蹴にした反動で方向転換したのである。そのまま呆気にとられた三人目の素手の間合いに、忍び込むように近付いた。早業の体術を見せられたかと思えば目と鼻の先に立たれ、嶺鈴が反射的に剣を振りかぶる。しかし間合いが近すぎた。お互いの息遣いが交わる。剣を握る手に、夕子の指が絡まった。慣性で膨らんだ白髪とともに、嶺鈴の耳元を夕子の声がくすぐった。

「神門三千流脱骨術」

 剣を取り落とし、激痛が走る。関節の外された親指が歪に波打っていた。間を置かず手首を極められて視界が回る。転倒し、空が見えた。夕子は落ちた剣を爪先で絡めるように蹴り上げて手にすると、転がった嶺鈴の目玉にその切っ先を、そっと振り下ろした。嶺鈴が叫んだ。

「消えろ!」

 手にした剣が雲散霧消したが、裏拳に切り替えて顎を打つ。

「なるほど、武器は消せると」

 今度は嶺鈴自体を蹴り上げて、空中に浮いた足首をがしりと掴んだ。

「骨という芯の入った血袋も、武器になるとは思わない?」

「や、やめっ」

 振り回す。脳震盪を起こした上に血流を撹拌され、嶺鈴の小躯は思うように動かない。すなわち、引っこ抜いた木に続けて、武器にするのにちょうど良い物体といえる。

「神門三千流四肢節棍」

 関節を破壊しつつ敵の人体を武器化する技である。足首を持ち替えながらハンマーのように重い頭部での打撃を繰り出せば、嶺鈴たちは反撃もせずに跳び退いた。

「このっ、性格が悪い!」

 構えた剣が揺れている。打ち合いという自傷行為をするにはやはり抵抗があるらしい。が、さすがは嶺鈴である。数瞬で状況把握を済ませると、剣に迷いは無くなった。

「覚悟があるのなら、これはもう使えないわね」

 言いながら、独楽のように回転を効かせて投げつけた。夕子としては避けるか受け止めるかした隙を突くつもりであったが、果たして嶺鈴が選んだのは、分身を消すことであった。この嶺鈴は指を潰されて剣を握れず、四肢節棍の影響で全身がぐったりとなっている。どうせ戦力にならないならと、これ以上夕子に利用されぬようにしたのであろう。


 大質量、無手術、人体武装と、奇襲を畳み掛けて見せたが、嶺鈴の判断力は鈍っていない。早くも陣形を整え、じりじりと包囲網を狭めている。

 夕子は真正面に立って剣を抜いた。

「そろそろ決着をつけましょう」

「逃げ出したり残虐ファイトをやってみせたり、策を弄するのは止めたのか」

「たったいま分身を消したおかげで本体を教えてくれてありがとう。フィードバックがあるのでしょう? アトラクションは気に入ってくれたかしら」

 分身の消えたとき、その記憶が流れ込んだのか本体の表情が微かに歪んでいた。

「本体を見抜いたからって、もう勝ったつもりっすか? それならそれでやりようはある」

 本体を護るように陣形を変える。

「本体を囮にする。後が無いなら分身を使いつぶせる。戦術的な優位は保っていると言いたいのかしら? たしかに手間ではあるけれど嶺鈴さん、今のあなたなら怖くない。本体がわかろうとわかるまいと、真っ向から叩きつぶせるもの。無駄に多い分身ごとね」

「口数が多いってことは、逆に追い詰められてるってことだ! 安いステーキ肉みたく穴だらけにしてやる!」

 夕子は腰を落とし、刀身を隠すように脇に構えた。虎振とも、車の構えとも呼ばれる構えである。一方嶺鈴の分身たちは腰だめに構えた。いわゆるドスを突くそれである。姫騎士の頑強な筋繊維を貫いて、確実にダメージを与えるという点では有効な構えといえる。一人で突進するなら鉄砲玉に過ぎないが、集団で繰り出されれば戦術となる。

 嶺鈴たちが加速するのと夕子が地を蹴るのとは、ほぼ同時であった。けれども嶺鈴は目測を誤った。夕子が機動剣術で見せた剛歩で踏み込んでいたのである。純粋な速度でもって先を取られた。剣の狙いをつける間もなく、嶺鈴は懐に入られていた。夕子は剣を振らなかった。構えのまま、体当たりの肘打ちが顔面で炸裂した。とはいえ出しなを挫かれるのは織込み済みである。他の分身の剣が襲いかかった。たとえ一撃で決まらずとも、応戦で剣を振るったその瞬間が隙になる。

「なっ」

 しかし夕子は複数の刺突を、剣を振らずに体捌きだけですり抜けた。そのまま接近しすぎて、柔道で組み合うような間合いになる。

 急制動でマントのように髪の白色が広がった。近すぎる、と、今さらながら体格差を実感させられ、嶺鈴たちは思わず怯んでしまったが、すぐさま戦法を変えた。

「組み打つぞ!」

「曲芸気取りでミスった馬鹿め!」

 素手の距離において、手にした長剣は邪魔でしかない。嶺鈴たちは一斉に剣を手放して跳び掛かった。つかみ合いの泥仕合に持ち込めば本体たちが横槍で痛手を与えてくれる。

「この距離ならそっちも剣は――」

「いいえ使える」

 くるりと、夕子は短杖のように剣を回した。ハーフソードと呼ばれる西洋剣術の構えである。刀身を直接握り、柄や切っ先で攻撃したり梃子にして引っかけたりする接近戦の技術で、いわば西洋式の介者剣術であった。夕子は虎振の構えから、嶺鈴に気取られぬよう刀身を隠した状態でハーフソードに切り替えていた。

 腰にしがみつこうとする嶺鈴の腕からするりと抜けながら、切っ先を太ももの裏に突き立てる。髪を引っ張ろうと伸ばされた腕に、刀身が蛇のように巻き付いて靱帯と骨格を破壊した。襟首をつかんだ嶺鈴の眼孔へと、鍔の突起を抉るように打ち込んだ。最後は剣を逆さまに大きく振りかぶると、十字状の鍔にまとめて引っかけるようにして投げ飛ばした。勢いよく飛んだ嶺鈴たちは人工林の木々に打ち付けられ、ガマガエルの鳴き声に似た声を漏らして地面に落ちると、ぐったりとうずくまった。


 異常な強さであった。先だって九体一で苦戦していたというのに、今は圧倒していた。明らかにおかしいが、その理由に、嶺鈴は思い当たってしまった。

「……三味線、弾いてたっすか」

「猫は嫌いかしら?」

 かっとなり、歯を食いしばった。本気を出さずに手加減していたとは侮辱するにもほどがあるが、この場に立っている嶺鈴は残り七人で、そのうち万全といえるのは本体を含めて三人しかいない。激昂に身を任せるわけにはいかなかった。

 夕子はだらりと剣を下げると、嶺鈴本体に向かって、すたすたと歩み寄った。

「このっ、あたしを舐めるなァ!」

 万全の分身の一人が全力で斬りかかる。

「にゃーん」

 と、夕子はふざけた声を出しながら無造作に剣を振った。

 嶺鈴の剣が、砕けた。刃引きの剣が胸にめり込む。分身は放物線を描いて落下した。技ではない。純粋な力尽くである。この決闘ではじめて、夕子は神威を全開にしたのである。

 膨大な力の気配を放ちながら、夕子が一歩前に出る。

「くっ」

 と、直接受ける夕子の神威に圧倒され、嶺鈴本体と無傷の分身は後ずさった。一方で決闘開始から夕子と戦い続けてきた分身たちは怯まなかった。彼女らは覚悟を決めていた。戦いを通して成長もしていた。力の差はもとより承知の上であり、見せつけるつもりかは知らないがその余裕ぶった振る舞いこそが、絶好の隙である。彼女らは威圧の枷を振り払い、負傷した身体の痛みを捩じ伏せて、全身全霊で剣を振るった。

「しゃぁっ!」

「死なばもろともォー!」

 四つの剣閃を無防備に夕子は受けた。

 脇腹、心臓、首筋、太股と、四本の剣は四本とも狙い違わず当たっていた。しかし当たっていただけである。切れたのは制服の生地くらいで、白刃はいずれも皮膚で止められていた。みっちり詰まった砂袋を棒で打つのに似た手応えであった。

「ば、化け物……」

 剣を当てたまま戦慄した。腕力を強化した次は皮膚を硬質化したとでもいうのか、姫騎士とはいえ、あまりに人間離れしている。

 夕子はくすりと微笑すると、嶺鈴の剣に触れて軽く押し込んだ。白い肌から紅い血がつぷりと垂れた。

「……今さら人間アピールっすか」

「力の差はたしかにあるわ。けれどそれ以上に、あなたたちが弱くなっている」

 もはや嶺鈴自身の腕力では傷一つつけられないほどに、と言外に告げる。その原因に嶺鈴は思い当たった。

「魂魄疲労による神威減退ね」

 言葉に出されて、表情に出そうになる。肉体疲労と違って魂魄疲労は自覚しづらい。戦いの高揚感で見過ごして、今の嶺鈴のように、意識してはじめて気が付く場合もある。

「おかしいとは思ったのよ。嶺鈴さん、あなたの能力は強力すぎる。姫騎士の能力は何でもありとはいえ、キャパシティというものは一応存在するわ。劣化なしに文字通りの十人力を発揮して、何の代償もないなんて考えられない」

 夕子が嶺鈴の剣の刀身を直接つかむ。

「十人力の代償は個々の分身の持久力。分身が神威を全開に長期戦を戦えば、通常より何倍も早く魂魄疲労に陥る。そして見ての通り、今のあなたは人間並みの力しか発揮できない」

 神気を帯びていない剣を、握力だけで飴細工のようにへし折った。

「いつ気付いた」

「鍔迫りで押し込んだあのときね。明らかにパワーダウンを起こしかけていた」

「なぜ今さら本気を出した」

「本体を見つけるためと、私自身が長期戦で、今のあなたのようにならないため」

 実のところ、夕子は神気制御に難があると自覚している。強大な神威を持て余しているのである。分身の嶺鈴ほどではないが、神威を全開に戦い続ければ短時間で神威減退状態になってしまう。無論、その情報は口にしない。詰みの状態に持って行ったとはいえ、まだ決着がついていないのにこちらの負け筋を教えるわけにはいかない。

 夕子は分身を振り払うと、本体に剣を突きつけた。

「無事なのはもう、本体と分身一人の二人だけ。二対一とはいえ、今の私なら確実に勝てる」

 現に万全の分身を一撃で粉砕した。

「なにが言いたい」

「負けを認めなさい。嶺鈴さん。あなたは詰んだ。これ以上の戦いは無意味よ」

「二対一? 馬鹿を言え、十対一のままっすよ。あたしたちは神威がなくたって戦える」

「蟻は象に敵わない。ただの人間が火器もなしに姫騎士に挑むのは自殺行為よ。虐殺にしかならないわ」

「ならしてみせろよ、虐殺ってやつをさ」

「……っ、先生!」

 決闘を見守る白鷺先生に声をかける。

「無制限決闘ザマス。敗北を認めるか、死をもって決着する。それ以外はありえないザマス」

 背筋が冷える。その感覚を押し流すように、夕子は神威を嶺鈴にぶつけた。

「負けを認めて。弥彦嶺鈴」

 真理谷夕子が初めて見せる殺意を込めた威圧である。嶺鈴が青ざめてがちがちと歯を鳴らす。「ひっ」「くっ」と、巻き添えを食った芽亜と卍姫が悲鳴を上げた。

 嶺鈴が唇を噛む。血が流れた。嶺鈴は夕子の目を見据えて、言った。

「……いやだ」

 神威を強める。嶺鈴の顔が再び歪んだ。

「死にたいの?」

「……負けるくらいなら死んでやる」

「わたしが強くてあなたが弱い。結果は明らかよ。負けを認めなさい」

 睨み合うなか、瞳が揺らぐ。嶺鈴ではなく夕子である。

「はっ」

 と、嶺鈴の口元が歪み、

「ははははははは!」

 哄笑した。

「わかったぁ! わかったっすよ真理谷夕子ぉ! あんた覚悟がないんだろ! 殺す覚悟ってやつがさぁ!」

 嶺鈴が剣を構えた。殺意の威圧がすり抜ける。

「こいつはお笑いっす。姫騎士の決闘は殺るか殺られるかだってのに、夕子お姉様は力があっても覚悟がない! 道理で問答がしつこいと思ったっす。有無を言わせず殺しもできない姫騎士未満のお嬢様!」

「いくら囀ろうと、力の差は変わらないわよ」

「なぁに余裕ぶってんすかお姉様。逆にさ、あんたこそが負けを認めろよ」

「は?」

 思わず地声が出た。

「え?」「ええ?」

 嶺鈴の素っ頓狂な提案に、夕子ばかりでなく芽亜と卍姫も唖然とした。

「だってそうだろう? お優しいお姉様は殺したくない。そんであたしは負けたくない。互いの望みを叶えるには、真理谷夕子が負けを認めればいい。あたしは勝ち、真理谷夕子は殺さずに済む。これなら双方丸く収まるってことっす」

「あなた、自分が何を口にしているのか承知なの? 決闘で勝ちを恵めと、姫騎士として、誇りにもとる言葉を口にしているのよ」

「承知だから言うんだろ! 主導権はあたしにある! さあ選ぶっす。敗北者になるか、人殺しになるかをなァ! 姫騎士らしく、あえて言ってやる! くっ、殺せ!」

 その滅茶苦茶な物言いに、夕子は圧倒されてしまった。

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