第20話 夕雲刀

 殺到する嶺鈴を、夕子の飛び違い斬りが弾き飛ばした。振り下ろす際に前後の足を踏み換えて、その転換力を剣に乗せる技である。夕子はそれは、その場で微かに浮いて放つというコンパクトな仕方であった。斬撃の威力そのものより、乱戦の中で体幹を整えるといった意味合いのほうが強い。入れ違いで剣を振りかざす嶺鈴二人を腰を低く構えて迎え撃つ。

 この嶺鈴二人は分身である。せっかく足を止めたのだからと、相打ちの覚悟を決めた。死らばもろとも、組み付いてぐちゃぐちゃにしてやると、踏み込みを深くした。しかし構え自体が誘いであった。ぱっ、と諸手から片手に変えて、半身となって避けながら脛を切る。切り流した勢いのまま、体を開いた正面にもう一人が斬りかかるのをはたき落とした。しぎの羽返しである。押さえる形で斬り結んでしまい、下段でほんの僅かに硬直する。一対一ならそれでもいいが、多対一である。二人やり過ごしても三人目、四人目と攻撃をされる。すかさずバインドを滑らせて頭突きを見舞い、二人目を離すが、三人目の刺突が迫る。すんでの所で夕子は突きをすり上げ、深めに踏み込み柄頭を顎に打ち込んだ。

 本来ならここは剣で喉を突くが、差し込んだら動きが止まるため断念せざるを得ない。倍近い速度差があるとはいえ、嶺鈴も夕子の動きに慣れつつあるのか、間に合わないことが増えてきた。合間合間で、槍のように突き込まれる剣が厄介である。剣の切っ先が制服の生地を貫き皮膚を裂いても、血肉の滑りで咄嗟に逸らしてはいるものの、その動き自体が新たな隙を生む。夕子の純白の制服のあちこちで、赤々と血が染みていた。むき出しの脚肌に直接伝った血液が、太ももの内側にたらりと垂れる。くすぐったい。次からは窮屈がらずにタイツやニーソックスを履くことにしようと思いつつ、夕子は四人目と袈裟斬り同士で斬り結んだ。押し合いの反動を利用して独楽のごとく回転し、その場から跳び退いた。


 決闘開始からしばらく経った。見るからに満身創痍となった夕子の姿に、芽亜は思わず口にした。

「お姉様、どうして……」

 どうして嶺鈴に勝てずにいるのか、むしろあからさまに形勢不利で負けそうになっているのか、芽亜は納得できなかった。夕子は強い。嶺鈴より、明らかに強い。贔屓目ではなく、客観的に見てパワーもスピードも技量も、それから身の丈も、夕子は嶺鈴をはるかに上回っている。嶺鈴の能力が分身であると聞いたとき、いかにもな噛ませ犬の能力だと芽亜は思った。ファンタジー系の物語に登場するゴブリンや、時代劇で上様に手向かう悪役たちのように、強く美しいお姉様がばっさばっさと斬り倒していくに違いないと予想していた。しかし現実は逆に、夕子が袋叩きにされかけている。威勢良く切り込むが数の利を活かした反撃を受けては、這々の体で包囲網を脱出する。その繰り返しである。

「そりゃそうザマス。常識的に考えて、あんな風にやり合って勝てるわけがないザマス」

 配信用ビデオカメラを構えたザマ先が言った。スマホの決闘アプリや学園内テレビ放送でライブ中継が(ニ○ニコ風コメント付きで)観られるという。まるで晒し者であるが、教材とのことである。

「弥彦嶺鈴はやられ役のチンピラではない。姫騎士であり、曲がりなりにもアタクシの教えを受けた生徒ザマス。おちびさんでも神威はそれなり技量もそれなり、根性もまあまあ、能力抜きでも並みの上級生くらいの実力はあるザマス。次席気取りは伊達ではなく、そもそも千疋狼からして屈指の当たり能力ザマス」

 フィクションでの印象を引きずらないで考えてみればたしかに、分身というのは強力極まりない能力である。主役に蹴散らされる悪役集団とは違い、意志が統一されたうえで、親玉と同一の実力をそれぞれが持っている。

「決闘方式で真正面から打ち勝つには身体スペックの差でねじ伏せるか、卓越した技量でもって圧倒する。おあいにく様、真理谷夕子の総合能力はその段階には至っていない。発揮している身体能力はせいぜい弥彦嶺鈴の1.5倍程度。技量にしたって、そもそも一対集団、理屈でいうところの八人以上を技で圧倒しうるのは、それこそ歴史上の剣豪くらいザマス。剣才はまあまあとはいえたかが十五六歳の小娘にできるはずもない。神威という下駄を履かせたうえでも、むしろ食い下がれている、そのことのほうが不思議ザマス」

 ザマ先にしては珍しく夕子を褒めたが、芽亜にしてみれば夕子が勝てないと決めつけているみたいで嫌であった。刃こぼれしたという名目で交換された夕子の剣を軽く抜く。刃の輪郭は真っ直ぐ綺麗なままであるというのに、夕子が今手にしているのは、芽亜の刃引きの剣である。物語の主人公のように殺人を厭ったのか、あるいは芽亜にショッキングな流血をみせまいとしたのかもわからない。

「これを使っていれば……」

 真剣であれば骨折では済まずに切断や大量出血に至っていた場面がいくつかあった。剣を刃物として使えないのは意地っ張りな手加減といわれても仕方のないハンデである。鉄の棒での脳天割りは充分殺意のこもった攻撃といえるが、そうそう決まるものではない。胴体への攻撃にしても、嶺鈴レベルの姫騎士の場合、内臓が破裂したり折れた肋骨が肺に刺さったりする程度では致命傷にはならない。

「いいえ。刃引きの小細工は不殺気取りではないザマス。むしろ逆。対集団の長期戦をあの剣だから戦えている」

 ちょうど嶺鈴が斬りかかり、夕子がそれを受けるところであった。鎬を使い、すり上げてすり落とす。夕子の所作は滑らかであったが、嶺鈴のそれはがきりとぶれ、意表外の力がかかったのか崩れの度合いが大きくなった。刃こぼれが引っかかったのである。そのまま鳩尾を貫かんとする夕子の剣は、間一髪で横合いから別な嶺鈴に叩き逸らされ、制服の胸元を破りながら、軽く抉れた血を散らせた。

「ハァハァ……、せ、夕雲せきうん刀ですわね……?」

「知っているの四方院さん? ……って四方院さん!?」

 芽亜は思わず二度見した。スマホを片手に息を切らした卍姫が、いつの間にか芽亜の隣に立っていた。

「い、一番乗りですの。せっかくの実力者同士の真剣勝負。直接見学しなくてはなりませんの」

 物見高いというより勤勉なのであろう。観て楽しむだけなら、スマホ画面の映像でコメント欄を賑わしている生徒たちのように、中継画面越しに騒いでいる。

『リンさんの卑劣能力めちゃつよでしてよ』『油断しない分身なんてガチすぎますの』『カメラワークに定評のある我らが担任』『フルボッコお姉様凛々しいですの』『血染めはぶっちゃけえっちっち』『どえっち』『スクショ禁止が残念ですの』『さすがリンさんお清楚回避』『姫騎士的に清楚胸は勝ち組』『被弾面積減少。鎧装備時の空間装甲効果』『お清楚最強』『お清楚万歳』『貧民どもがほざいてますの。富める乙女には重心移動による攻撃威力上昇と、スタビライザー効果もありますのよ』『巨乳氏ね』『氏ねですの』『このコメントは削除されました』『このコメントは削除されました』『やっぱり霧子お姉様は最高ですの』

 少し覗き見ただけでこれである。神聖な決闘を愚弄しているにもほどがあるが、彼女らは長年の引き篭もり生活でインターネットの感覚に馴染みすぎたのであろう。

「……シゴキを増やす必要があるザマス」

 同じくスマホ画面を見たらしいザマ先が、生徒たちの箱入りお嬢様ぶりにそう呟く。芽亜にとっても他人事ではない。

「し、四方院さん! 夕雲刀とはいったい」

 卍姫に解説してもらう。夕雲刀とは、真剣で多数を相手に戦う際、あえて刃引きの刀を用いる工夫のことである。その呼び名の通り、江戸時代初期の剣豪針ヶ谷夕雲に由来する。真剣勝負を52戦して不敗というすさまじい戦歴を持つ彼は、一人で大勢を相手にするとき、刀が切れないことより、刃こぼれで引っかかって思い通りに振れなくなることを問題視した。敵はどうせ叩き殺せるのであえて刃引きをしたのである。対多人数用の刀というふうに使い分けず、日頃帯びた愛刀に刃引きを施したのは、もし供を連れた大名などといざこざになっても打ち破って皆殺しにする、その覚悟でもあった。ちなみに脇差しは切腹用によく研いであったという。

「本家本元と違い叩き殺せていないザマスが、刃こぼれがないおかげで、思い通りに剣を振れてはいるザマス。一方弥彦嶺鈴の剣は、真理谷夕子の剣の方が強化の度合いが強いのもあって、ほとんどが刃こぼれしている。弥彦嶺鈴の使い方、いわゆる撃剣、剣道式の打ち合い方も原因ザマス」

「消耗戦と考えた場合、夕子さんが有利ですの?」

「さてどうだか。刃こぼれなどほんの僅かな差でしかないし、弥彦嶺鈴もカカシではない。多数者側という優位な状況で、冷静に対策を練ることができるザマス」

 槍衾のように剣を突き出す人数が四人に増えた。肩を砕かれたり片手を潰されたりした嶺鈴が、応急処置を済ませた後、嫌がらせに専念し始めたのである。

「殺しきれない限り、数の利にはこのような強みがあり、弥彦嶺鈴の根性はそれを活かしている。真理谷夕子は猛攻をしのいではいるが、その実、未だ一人もしとめてはいない。戦力差は変わっていないザマス」

 軽傷の嶺鈴四人が二人組二組となり、二方向同時攻撃を交互に繰り出すことで隙を作る。そこを四本の剣が突いて、夕子の身を文字通りに削る。姿勢を崩しつつも二本の剣をまとめて逸らしながら、身をひねって三本目を躱す。しかし四本目が突き刺さる。刺さった反動そのものを支点に、肉を抉られながら辛うじて致命傷を逃れていた。

 嶺鈴の戦術がかみ合い始めた。血が舞い始めた。ぱくりと割れた傷が見えた。夕子は依然窮地にあった。むしろ戦いが続き、嶺鈴たちがそれぞれで経験を積むにつれ、彼女たちの剣は欠けながらも、夕子の命に届き始めた。

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