第14話 塩と醤油とNTR
目玉焼きに塩をかける佳奈花のきのこ好きが憎らしい。
目玉焼きに醤油をかける舞奈花のたけのこ好きが憎らしい。
仲違いの末、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いといわんばかりであるが、惚れた欲目やあばたもえくぼという対義語もある。仲直りするだけなら、そこにとっかかりがあるように思われた。逆に考える。
言葉にはされていないが二人が仲直りしたがっているのは直感を働かせるまでもなく、わざわざデュエルオフィサーに夕子を指名したことからわかっている。自分は彼女たちから助けを求められたのである。ならば行動しなければならないが、他人と接した経験が乏しい夕子には良い方法が思いつかない。今自分が二人について知っていることは、案外口が悪いことと、幼なじみであることくらいである。
病院での友達はほとんどがもういない。子供同士でかかわり続けられた人間は姉くらいなもので、幼なじみといわれてもどうもぴんと来なかった。
なので
「ねえメア、幼なじみといわれたら、何を連想する?」
突拍子もない質問なせいか、芽亜はうーんうーんとこめかみをこねこねしながら悩み出した。芽亜のいう脳内G○○gleとやらを検索しているのであろう。いかがでしたかクソ検索と、人間の脳の不便さを嘆いてもいた。近頃は日本語の詳しい意味を引くのでさえ、何クリックも必要であるらしい。
「思い付いた適当な単語を並べるだけでもいいから、してみて」
「……昔は王道、今は負け組、ツンデレ、都合の良い女、すべり台、大統領、家族を処刑され中略ホモに爆殺される、あと最近はNTR、とか?」
やけに隔たっているうえに何やら物騒な言葉が聞こえた気もするが、専門用語らしき単語があったので尋ねてみる。
「NTRってなにかしら」
家具のお店か競走馬の略称かもしれない。
「それはもちろん寝取られだよおね……いまのなし! うそ、うそうそ! メア知らない、そんな言葉、メアなんにも知らないもん」
無論聞き逃さない。寝取られとは、ロシア文学やフランス文学でよくあるあれであろう。カチューシャかわいや云々や、ドストエフスキーの作品群、モーパッサンの短編でもあった気がする。しかしそこでなぜ幼なじみが関連づけられるのかがわからない。幼なじみが寝取られるといっても、ようは昔からの友人に彼氏や彼女ができたというごく当たり前の出来事に過ぎない。殊更に強調すべきことでもない。
「幼なじみNTRなんて自然なことなのに、どうしてわざわざそう呼ぶの?」
「メア、リアルの話は聞きたくないよ……あとその単語はもう使わないで」
仕方ないなあ、と芽亜が溜め息をつく。
「お姉様だからあえて説明するけどね、一心同体に育った異性――将来結婚するんだなーなんてなんとなく思っていた相手が、ある日突然どこの馬の骨ともわからないやつに引っかかって身も心も変わり果てていくの。物語でこんな展開があったら、もやもやする気持ちになるでしょ?」
「なるほど、現代の若者はそこに文学的感動を見出だすのね」
「いやただのマゾだよ」
昔の人間が現代日本を概観したら、情報化や少子高齢化よりも、若者の嗜好にこそディストピアを見出だすかもしれない。見るからに病んでいる。けれども、身も心も変わり果てるという芽亜の言葉が頭に引っかかった。
パズルのピースが当てはまった気がしたのは、午後の授業で九九を唱和しているときである。芽亜の退屈そうな様子から姫騎士の生育環境に思い至り、なるほどそれはそうなるなと確信した。
多分芽亜には、どうしてそんなくらいでそこまでなるのと、理解し難い感覚かもしれない。彼女は変化の多い現代社会に適応できている。幼稚園から小学校、小学校から中学校と、正しく義務教育を受け続け、夕子への気安さにぎこちなさがないので、友達もちゃんといたのであろう。普通の姫騎士はそうではない。山奥の別荘やお屋敷、あるいは座敷牢で過ごし続け、対等な友達ができたのも姫騎士学園に入学してからである。変化の乏しい環境と固定化した人間関係のなかで育ってきたためか、大人ぶってはいても言動にどこか幼さが垣間見える。漫画のキャラクターのようなわざとらしい彼女たちの反応は、芽亜の人工的な幼児性とは違う、純粋な子供らしさから発せられたものといえる。
幼い子供にとって友人と恋人の区別はあまりない。別な
夕子は大人に悪戯されそうになって撃退したことはあっても、主観的な恋愛経験などまったくない。しかしそれらしい感情を向けられ続け、対応した経験なら豊富にあった。姉である。本物の真理谷夕子である。家庭の事情に加え母の気質を受け継いだこともあるのか、彼女は自分に執心していた。自分が姫騎士の力に目覚めたことでもはやその必要はなくなっても、それはあまり変わらなかった。
放課後、決闘の申請と用具の調達のため職員室に向かう道すがら、芽亜が尋ねた。
「お姉様、決闘方法はもう決めたの? 丙種ならメア、チェスボクシングの実物が観てみたいな」
「少し近いわ。私も色々考えたのだけれど、喧嘩には結局、殴り合いが一番なのよね」
授業中に計算と並列思考で考え続けた結論がこれである。
職員室には黒衣以外、担任の
「はいそこ矢見野芽亜ァ、明らかに失礼ムーブザマス」
全くもって先生の言う通りである。
「メア、謝罪なさい」
「ごごごごめんなさい!」
飛び出して激しく頭を上げ下げする。
「言葉遣い、はまあよろしい。それで? 打ち廻りの補習組が何用ザマス」
「デュエルオフィサーとして決闘の申請に参りました。白鷺先生、お願いします」
莉々愛は用紙を受け取ると、内容を確かめながら吐き捨てた。
「温すぎる。長谷河と青嶋のように甘ったれた思春期ちゃんには、石を仕込むくらいでちょうど良いザマス。これでは訓練にすらならない、単なるレクリエーションザマス」
「戦いではなく、喧嘩することそのものが目的ですから。ただ、石の代わりといってはなんですけれど――」
とある物が決闘用具室にあるかどうか駄目元で聞いてみる。
「あるにはあるでしょうが探すのは手間ザマス。作った方が早い。補助教員、鋼材とナイフを」
言われた通り、職員室の工具箱から補助教員がそれらを持ってくる。ありがたいことに、手ずから作ってくれるらしい。強化したナイフで鋼材を型抜きみたいに削りながら、間を持たせるように莉々愛が言う。
「しかし八剣霧子もそうザマスが真理谷夕子、あなたがたはせっかくの空き時間を剣のひとつも振りもせず、随分と有意義に使っていらっしゃる。雑魚どもの人気取りにかかずらう暇があるなら他人の倍鍛錬する。それが剣士の心構えだと、アタクシは尊敬する方に教わりましたが、今時の剣士はオーバーワークだの効率重視だのと、スポーツ医学やらネット知識やらを囓ってばかりで現実の剣はなぜか滅多に振るわない。まあたしかに、ペンのほうが強くて振りやすいザマス」
お説教であった。耳が痛い。姫騎士学園の生活が楽しくて、鍛錬時間は明らかに減っていた。
「姫騎士にとって寝る間も惜しむことは非効率ではない。なのになぜかあなた方は人間みたいに睡眠時間を気にしている。最強なりたいと嘯きながらメシ食って風呂入ってお排泄して朝までスヤァ、をしているザマス。せめて昼間にお節介で無闇に消費した時間くらい、寝ずの鍛錬を――っと、完成ザマス」
完成したものを受け取りながら、二重の意味でお礼を言う。
「ありがとうございます。先生の仰る通り、私は弛んでいました。母の名を汚すところでした。ご忠告、感謝いたします」
早速今夜から夜間鍛錬を始めることにする。寮に門限がないのもそのためであろう。今の自分なら、睡眠時間は一日三時間で充分である。
「そう言うならさっさとその茶番を終わらせなさい。補習対象者に、遊んでいる暇はないはずよ」
職員室を出てしばらく歩いてから、芽亜が口を開いた。
「なんだかいつものザ……白鷺先生とは違う感じだった。当たりが少し柔らかいというか、会話が通じるというか」
「そうかしら? 白鷺先生はいつもあんな感じで優しいでしょう?」
「はぁ?」
真理谷夕子の正体は真理谷夕太郎という年頃の男の子であり、白鷺莉々愛の外見は綺麗な大人のお姉さんである。母の友人ということもあり、つい贔屓目で見てしまうのは仕方のないことであった。
『決闘をお知らせします。対戦者、青嶋舞奈花、対、長谷河佳奈花。デュエルオフィサー、真理谷夕子。決闘方法、丙種決闘、軟式肩パン。決闘場所、一年校舎、第四決闘場。決闘時刻――』
校内放送でアナウンスされる。自己鍛錬から気持ちを切り替えて、今は目の前の仕事である。用具室への道を急いだ。白鷺先生の用意してくれたあれらは、有効活用しなければならない。
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