第15話 軟式肩パン 上

 肩パンとは肩パンチの略称で、お互いの肩を殴り合う暴力的なじゃれあいという風に一般では認識されているが、義務教育の裏カリキュラムの一つであるという説も支配的である。

 連日の運動会練習などからわかるように、日本の学校教育には軍事教練が多く組み込まれている。それは対外的には軍備を制限したうえで潜在的軍事力、国民一人一人の兵士としての練度というそれを維持するためであるといわれている。集団行動を刷り込まれた日本人はいざ国民皆兵となった場合、武器の扱いさえ覚えれば即座に歩兵として機能する。進め一億皆戦士、とかつてのスローガンにある通り、一般人の誰もが兵士である日本は、二十一世紀の現代においても依然、武士道の国なのである。

 肩パンもまた、軍事教練の一つである。人間には他の人間への暴力を忌避する本能が備わっていて、肩パンはそれを克服するための訓練であるといえる。軍隊で人型の的を撃つように、武術道場の乱取りで殴り合うように、男子中学生などは親しい友人の肩を全力で殴りつけることで本能を克服し、直接的な暴力へのためらいをなくすのである。

 肩パンはあくまで義務教育のカリキュラムである。中学生のうちは肩パン遊びがリンチ行為めいた悪ふざけに発展してもスキンシップであり、いじめ行為ではないと処理されるが、高校生が同じことをすると傷害罪となる。なんとなれば高校は義務教育の範疇ではないからである。


 決闘開始までの待ち時間、以上のような陰謀論じみた肩パン雑学を夕子に語られて、芽亜は何ともいえない気持ちになった。

 肩パンはたしかに芽亜の中学でも一時期流行していたが、芽亜としては男子がまたアホをやってるなーくらいの印象であった。いじめ行為すれすれの罰ゲームであったり最強トーナメントごっこであったり、どうみても逆効果な女子への腕力アピールであったりと、男子にありがちな馬鹿行為に過ぎない。軍事教練だの精神矯正だの夕子の言うような意図は全くなく、あえて教師が放任するというのも、それこそ陰謀論である。しかし姫騎士というファンタジーな存在が実在して自分がそれになった以上、そのような陰謀論もありえなくはないと思えてしまう。姫騎士学園での生活で芽亜の世界観は崩壊しつつあった。


 開始時刻が近付くにつれ第四決闘場に人が集まってくる。真っ先に到着した舞奈花と佳奈花以外にも、夕子がデュエルオフィサーを務めるからか物見高い同級生、というか、数えてみると補習組とそれに付き合う霧子を除いたほぼ全員が見物に来ているようであった。補習を免れた卍姫も「キロサイズ買って参りましたの」と購買に寄ったのか少し遅れてやってきて、サンドバッグのような特大袋に入ったポップコーンを紙コップに小分けしてみんなに配っている。芽亜も貰った。かなり薄めの塩味である。黒衣店員さんが能力で短時間に大量生産する購買の定番品(1kg1000円)で、慣れた生徒なんかはマイシーズニングを取り出してふりかけたり、他の生徒と交換して味比べしたりしている。物欲しそうに見つめる決闘の当事者二人とは違って、塩と醤油バターで揉めたりはしないらしい。

 夕子が決闘前の厳かな表情を維持したまま、

「ものを食べるのは、デュエルオフィサーも禁止よね」

 と呟く。取り繕ってはいるが食べたいらしい。はしたない。芽亜は妹としてもの申した。

「それはあむ、だめだよはむ、お姉様はふはふ」

 言いながらむしゃむしゃして、最後は三ついっぺんに口に入れた。出来立てはコーンの風味が心地良く、味付けなしでも手が止まらない。

「ひとっ……」

 ひとつだけ頂戴と言いかけて耐えたのであろう。さすがはお姉様である。芽亜を恨めしげに見遣ってから、決闘の準備に取りかかった。


 夕子が決闘の種目に採用した軟式肩パンとは、肩パンに安全性と競技性を加えて、スポーツに昇華したものである。

 いつでもどこでも誰とでもという気軽さや、暴力性の誇示や根性試し、脱法的な憂さ晴らしという面ではたしかに通常の肩パンは優れている。しかし痛みや気恥ずかしさに耐えきれず降参するまで続けるといった勝敗のつけづらさ、殴る側にも殴られる側にも常に付きまとう怪我の可能性(公立中学では年に一人は必ず指を骨折するなどの負傷者が出る。一人で済むのは二の舞を演ずるまいと自粛するからであり、翌年には忘れられる)から、スポーツ扱いするには不適格とされている。

 軟式肩パンでは近代スポーツらしく防具を使用する。殴る右手には拳を保護するパンチンググローブを、殴られる左肩まわりにはキックミットに似た分厚い防具を大鎧の大袖のように装着する。サンドバッグを殴るのと同じで多少コツはいるが、これならばどれほど力を込めても怪我はしないし痛くもない。たとえ親友同士恋人同士でも、気兼ねなく殴り殴られができるのである。

 痛みに音を上げないなら勝敗はどうするのかとなるが、そこは相撲方式である。それぞれの足下に円を引き、そこから出てしまうか、足の裏以外を土につけることで敗北となる。円の大きさはまっすぐ立って拳を突き出しくるりと回った大きさで、体格差リーチの差の有利不利を無くすためお互いの円を交換する。∞の字を地面に描いて、どちらか一方が大きな円になると考えればわかりやすい。

「青嶋舞奈花、長谷河佳奈花、両者、円内へ」

 準備を終えた二人が∞の輪の中に足を踏み入れる。左右非対称のプロテクター姿には男の子的な格好良さが少しある。「序盤パワーアップフォームですの」「アシンメトリーの異形感はむしろ終盤では?」「神竜王ドラ○ーンとかですわね」と姫学女子もポップコーンをぱくつきながら似たような反応を見せている。

「以後、決着まで出ることを禁じます。二本先取。不意打ちは禁止。先攻は後攻の同意の後、攻撃を始めること。先攻は――」

 コイントスをする。神気に反応して重心がランダムに変化する特殊コインである。

「長谷河佳奈花」

「っし、先攻有利」

「譲って差し上げますの。わたくしはお姉さんですから」

「たかが三日早いだけで、それくらいしか誇れることがないんですのね」

 前口上を兼ねて煽り合う。誕生日をいうなら本当は真理谷夕太郎がクラスで一番遅い。弟キャラであるべきなのに年上扱いされるのは、老け顔が理由ではない、はずである。

「これより長谷河佳奈花対青嶋舞奈花の決闘を開始する。決闘の理由は……目玉焼きになにをかけるか」

 言いたくないがちゃんと言う。下らない理由でも、己の信念だけのために戦える姫騎士は幸いである。それが姫騎士学園の理念である。

「お塩はない」

「お醤油なんてありえない」

 己の信念のもと、舞奈花と佳奈花が短く宣言する。それ自体については既にさんざん言い合った。今は決闘のきっかけでしかなく、お互いに味覚障害者呼ばわりすることはもはやない。

 ところが卍姫が、

「つまりこれは代理戦争……ってコトですの?」

 と余計なことを言い出した。生徒たちがぴくりとする。手元にはそれぞれで味をつけたポップコーンがあった。

「お塩、ね。へぇ」

「お醤油。ほぉーん」

「塩胡椒は異端かしら?」

「グルタミン酸ナトリウムの混ぜ物は百パーカルト認定ですの」

 うふふおほほと不敵な声で笑い合う。ほれみろこうなった、と夕子は思った。ギャラリーがそそくさと二手に分かれ、舞奈花側と佳奈花側に集まり出す。

「佳奈花のきのこ人間」

「舞奈花のたけのこ女」

 舞奈花と佳奈花はもっと味方が欲しいのかそんなことまで口にしたが、失敗であった。全員が全員二人の嗜好に合致するわけではない。内輪もめで分裂し、第三勢力に人が集まる。挽回するため、夕子に縋った。

「ユウお姉様は王道のお醤油派でして?」

「もちろん清楚で純粋、お塩派ですの?」

「……私は中立のソース派よ」

「まじですの?」

「やべーですの」

「庶民派にもほどがありましてよ」

「ケチャップ派のわたくしとは相性がいいですの。ハンバーグもいけますの」

「それデミグラスもどきですわよ」

 ひどい言いようである。ギャラリーの中、さりげなく塩派組に混ざっていた嶺鈴が「正体見たり、英国舌じゃん」と呟いた。

 夕子は威圧を込めて神威を開放した。この場にいる全員が、冷や汗を流して黙り込む。誤魔化した、のではなくもないが、決闘の進行のためである。決闘当事者の気を引き締めるのに加えて、ちょっとした細工もある。


 ギャラリーが落ち着いたことで、舞奈花と佳奈花が今度こそお互いをにらみ合う。二人同時に息を三秒間ほど大きく吸って二秒止め、十五秒ほどかけてゆっくりと息を吐く。精神を落ち着かせる二十秒呼吸である。リラックス法なので決闘直前にするのが正しいかはわからないが、二人は二人とも同じように習い、同じようにしてしまう癖が出来ているのであろう。夕子は二人が始めやすいようタイミングを計って、宣言した。

「軟式肩パン、決闘開始」

 舞奈花が円の中心で足をレの字に踏ん張った。

「来ませい!」

「応ですの!」

 佳奈花が右足を前に左足で地を蹴り、縦拳に突進を乗せるように突きを放つ。最速最短の右順突きである。喧嘩殺法や姫学で教わる突きではない。少林拳を参考にしたといわれる拳法の打撃である。

「むぐっ」「うぬっ」

 破裂音とともに衝撃波で髪が揺れる。身体の芯はわずかに軋むが、舞奈花の足元は揺らがない。思ったよりも威力が出ないと、佳奈花の眉に皺が寄る。足場が狭くて打ちづらいのと、そもそも肩パンは格闘技では無いので、技の速さにあまり意味がないのである。

 攻守を切り替えて構え終える。

「逸りましたの。ここは逆突きが正解でして、よっ!」

 舞奈花が右逆突きを放つ。左足を前、後ろの右足の親指の付け根から、各関節で力を体内加速して縦拳を撃ち出した。

「あつっ、っとと」

 鈍い音がし、よろめきかける。打った側は踏ん張りの効きが良いのか得意気ににやりと笑う。

「佳奈花は所詮佳奈花ですの。乱取りもわたくしが3戦勝ち越しでしてよ」

「何百戦もしてそれっぽっちは誤差ですの!」

 二人は同じ拳法を習っていたのであろう。同格の相手がいるのは張りがある。中々に練られている。佳奈花もお返しとばかりに右逆突きを繰り出した。

「ふんすっ!」

「とあっ!」

「ですの!」

「でしてよ!」

「しゃあっ!」

「きゃおらっ!」

 同じ動作で互いの肩を打ち続ける。肩で受けることに慣れ始めたので、足元はもはや危うくない。防御力が攻撃力を上回り、いつまでも殴り合っていられる状態といえる。

 二人とも真面目で素直なのであろう。習った技をきちんと使い、姿勢を崩すような打ち方もしていない。武術の試合ならそれでいい。しかしこれは肩パンである。肩パンは空手を習っているスポーツマンが、力任せの不良少年に敗北することもある競技である。

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