第13話 舞奈花と佳奈花

 右の頬を打たれたら左の頬を殴り返しなさいと、姫騎士学園では教えられる。右の頬を打たれたら警察に通報して裁判沙汰にすべきであるという現代社会の教えに比べれば、いささか野蛮で、時代錯誤であるといえる。けれどもかつて国家主義にかぶれて悪法も法であると鵜呑みにした結果が姫騎士牧場の繁殖雌人である。姫騎士という非人権動物がしたり顔で法が守ってくれるからと主張したら、その女々しさを見下されるより前に、気の毒そうな目を向けられるであろう。

 畢竟姫騎士が最後に頼るべきものは、権力に身を委ねたりそれを利用するための言葉をこねくり回したりすることではなく、おのれ自身の腕力とそれをためらわず振るう意志力に他ならない。歴史がそれを証明している。どのような権力者であってもそれが姫騎士でないかぎり、直接殴れば死ぬのである。たとえ身を隠されたとしても家族や仲間や国民を、狙ってみんな殺せば良い。そしてその前提があるからこそ、現代の姫騎士が実験動物、あるいは生物兵器として人間国家に扱われずに、平和を謳歌していられるのである。


 姫騎士学園では直接的、間接的を問わず、己の意志を通すための暴力は推奨されている。むかつく奴には喧嘩を売る。いじめられたら闇討ちする。どちらが偉いかとなったなら、殴り合って上下を決める。主張の正しさを決めるのは論理的正当性ではなく声の大きさであり、相手の鼓膜を破った側がその論戦に勝利する。言葉を飾るよりも返り血で身を飾れと教えられ、生徒たちはその通りに行動する。とはいえ四六時中喧嘩したり怒鳴り合ったり曲がり角で硫酸を顔にかけたりしては学級崩壊するので、模範的暴力にもルールは必要である。それが決闘であった。

 姫学学生にとって決闘とは、喧嘩の作法であり復讐の手段であり、上下関係の構築や揉め事の解決方法でもあり、あるいは娯楽ともいえる。総じていうなら、決闘はコミュニケーションの一つであった。

 本来の意味での決闘には介添人や立会人や証人などの人手の他、事前に煩雑な手続きも要るものであるが、姫学学生はカジュアルに決闘を嗜むので、必要なのは決闘責任者、デュエルオフィサーと呼ばれる中立的な第三者が一人でいい。デュエルオフィサーの役目は決闘方法の選定とその準備、決闘開始の合図と勝者の判定、それから負傷者が出た場合の保健室への通報である。

 生徒たちがちょっとした決闘をする、なんとなく「やるか」「やろう」となったときなどは、近くにいる教師か補助教員をつかまえてデュエルオフィサーをしてくれるようお願いすれば、決闘は学生らしい行為なので快諾してくれる。用事があってできなくても、代わりの補助教員を呼んでくれる。教員デュエルオフィサー――ザマ先や叡子学長などの例外を除く――は生徒の希望する決闘方法をそのまま受け入れ、希望するものがない場合もルーレットアプリなどで適当なものを選んでくれる。決闘開始後は無難に審判を務め、決闘終了後は応急処置をして保健室に送り出す。あまり情緒はないが、ごく普通に決闘をする分にはこれで充分といえる。


 デュエルオフィサーが決闘装置として以上の意味を持つのは、同級生にそれを頼んだときである。何を言ったかより誰が言ったかが重要であるといわれるように、決闘の結果により納得を求めるなら、デュエルオフィサーも相応の人物でなければならない。

「はいおしまい。こっちが勝ちでそっちが負け。まあどのみち、あなた方のそれはドングリの背比べザマス。所詮は猿山の大将ザマス。めがっさつまらんキャットファイト、雑魚雌わんぱく相撲をわざわざ見てあげたのですから、せいぜいアタクシに感謝するザマス」

 こんなことを死力を尽くして戦った末に言われては、げんなりした気持ちにしかならない。時間を置けば勝者は後味の悪さを感じ、敗者は内心で負け惜しみを繰り返し、そうして再決闘ということになるであろう。揉め事の解決手段としての決闘であった場合、それが無意味なものとなる。

 お互いに尊敬できる人物が尊敬できる態度で告げた勝敗であるからこそ、その結果に納得がいく。あの人が言うのだから仕方ないと思えるのである。

 したがって同級生にデュエルオフィサーを頼まれるというのは名誉なことであり、夕子が思わず、

「私でいいの? キリコさんではなく」

 と言ってしまったのも、仕方のないことであった。その際たまたま近くの席に、缶コーヒーを飲みながら雑誌を読む嶺鈴がいて、その犬耳がぴくりと動いた。


 昼休みのラウンジである。芽亜と二人で食後のお茶を楽しんでいると、舞奈花と佳奈花がやってきて、決闘をするから夕子にデュエルオフィサーをして欲しいと切り出した。

「ほら、その、キリコお姉様はあれといいますか、ガチバトル主義者ですので……」

「単なる勝ち負けではありませんの。これは信念の問題ですの。あと刃物でガチはぶっちゃけヤバイですの」

 たしかに霧子なら「とりあえず真剣で斬り合えばいいのではないかしら」と言いそうではあるし、以前デュエルオフィサーを頼まれたときは実際にそうさせたとも聞く。剣士にとって斬り合いとは究極のコミュニケーションといえる。霧子もあくまで善意から、彼女をお姉様と慕う少女たちに血みどろの斬り合いをさせたのであろう。ただ、芽亜も含めた生徒の大半が剣の扱いと、真剣を向け合うことそのものに慣れていないので未だ刃引したままなことを、失念していただけである。夕焼けの河原で殴り合い「やるわね」「へへっあんたも」なんてやり取りをするつもりが、真剣を持たされて殺し合えと告げられる。頼むのに気が引けてしまうのも無理はない。

「決闘の理由はなにかしら。聞かないことには受けられないわ」

 舞奈花は言った。

「塩厨に鉄槌を下して調理という文明人の尊厳を取り戻しますの」

 佳奈花は言った。

「何でもかんでもお醤油味にしてしまう醤油中毒は矯正せねばなりませんの」

 朝話していた目玉焼きの味付け論争が決闘の口実であるらしい。お互いに向けて言いながらも、二人は目を合わせなかった。

「そんなにお塩がお好きなら、生人参でも囓りながらお馬さんのように岩塩ぺろぺろしていればいいんですの。お好きなんでしょ? 素材の味が」

「お料理を小汚くデコレートしないと食べられないんでしょう? ならはじめから見た目なんかにこだわらずにぐちゃまぜごはん、豚さんの餌をおがっつきになればいいんですの」

 どうしてか芽亜が夕子を見ながらうんうんと頷いたが、二人の話はこれ以上エスカレートすれば人格否定に繋がりかねない。

「お二人とも一旦、甘い物でも召し上がって、落ち着きましょう?」

 夕子は二人に、芽亜と食べていたお茶菓子を差し出した。きの○の山とたけの○の里の小袋アソートである。

 舞奈花は「チョコですの? いただきますの」とたけのこの袋を手に取り、佳奈花が「わたくしこれ好きですの。しつっこくなくて」ときのこの袋を手に取った。

「は?」

「は?」

 二人が低い声を出し合った。

「逆効果だよぉ、お姉様」

 芽亜の言う通り失敗であった。まさかここでも嗜好が分かれるとは思わなかった。さすがにお互いの貰い物にけちをつける真似はできないのか、黙々と食べきった。

 二人は親友同士である。ここで罵り合えば合うほど、おのれの口走りを後悔することになる。夕子はやや強引に話を進めることにした。

「デュエルオフィサーならいいわ。引き受けましょう。ただし決闘方法はあなたたち二人には大怪我をしてほしくない、だから丙種から選ぶわよ。それでもいい?」

「ま、まあ、ユウお姉様がそう仰るなら」

「残念ですが仕方ありませんの。まあわたくしといたしましては? 甲種でも乙種でもかまいませんけど?」

「はぁーん? そちらがそうも強がるなら、甲種でガチって差し上げますが」

「ははぁーん? おチキンがほざいておられますこと」

「じゃれ合うのはやめになさい。決定権を持つのは私と、あなたがたが決めたのだから」

「ですの」「ですわ」

 二人は挑発的な口振りとは裏腹にあっさりと頷いた。夕子が丙種と決めたから、むしろ安心したのであろう。


 決闘方法には甲・乙・丙の分類がある。

 甲種は生死がかかわる、もしくは品格や伝統のある決闘である。デスマッチの無制限戦闘をはじめ、西部劇のような早撃ち勝負や、その日本刀版である茶室居合、レールモントフ式元祖ロシアンルーレットなどがある。

 乙種は流血を伴う、競技性やエンターテイメント性のある決闘である。三種の神器として酸と油と毒薬が用いられるといえばわかりやすい。三種の神器以外では、血みどろになりやすい平服ソードレスリング、手の指を破壊し合う硬式ジャンケン、歌って踊りながらマイクや楽器や観客を武器に殴り合うリアルライブバトルなどが挙げられる。

 丙種は定義としては乙種と甲種に含まれない決闘である。腕相撲やダンスバトル、テレビゲーム勝負など簡単なものもこれに含まれていて、流血は必ずしも伴わない。しかし危険度そのものでいうなら、鉄骨ジェンガや担任挑発チキンレースなどもあるのでまちまちである。


 芽亜が「乙じゃないんだ」と、少し残念そうに呟いた。面白みのある戦い、あるいは流血でも見たかったのであろう。彼女の態度からわかるように、かつて公開処刑が庶民の娯楽であったのと同じで、姫学学生にとって決闘観戦とは娯楽である。見学の名目で堂々とポップコーン片手の見物が許されている。見逃さないよう校内放送で告知もされる。

「決闘は放課後。決闘方法は丙種から、それまでに私が考えておく。正確な時刻と場所は放送するので待機すること。勝手に喧嘩を始めるのは厳禁よ。それから、補習が入った場合決闘は中止ですから二人とも、午後の授業はちゃんと頑張って受けなさい。真面目にね。学力は大丈夫でも目に余るようでしたらフミ先生にお願いして補習組にねじ込むわ」

 学業をおろそかにしないよう念押しすると、二人は揃って頭を縦にこくこく振った。ふとしたことでも息が合うのに、とも思う。

「……二人とも、手袋を交換なさい。デュエルオフィサーとして命じます」

 二人がポケットから手袋を取り出して、名刺交換のような仕草で交換する。決闘申し込み専用に携帯する手袋で、白い生地に金糸で校章が刺繍してあり、手首のタグは名札になっている。丙種では丁寧に交換し、乙種はこれを投げつけてぶつけ合う。甲種の際には相手に直接渡さずに、落としたそれを拾い合う。いずれにしても決闘後は記念品のように扱われる使い切りなので、決闘のたびに学校に申請して新しいものを補充しなければならない。

 余談であるが手袋コレクションを自慢し合うのは姫学特有の文化であり、トレードなどもたまにある。入学直後はカースト争いがあったため嶺鈴の手袋が一番多く出回っていて、霧子のそれも価値はあるものの希少とはいえない。目下の話題は、夕子のお初のファースト手袋を誰が手に入れるかである。ひそかに芽亜もその希少性から注目されている。


 手袋の交換を終えると舞奈花が、悪口の言い納めとばかりに口を切る。

「味もデザインも洗練されていない菌類がお好きとは、塩厨らしく原始的ですの」

「あのにょっきり猥褻クッキーは日本でしか受けていないそうですけど、醤油女郎は卑猥ですわ」

「ウホ? ウッホウッホ、ウホホ?」

「話しかけないで下さる? 息がイカ臭うございますの」

「二人とも、そこまで。以後は決闘開始まで、言い争いを禁じます。これは命令です」

「ふん、ですの」

「ふふーん、ですの」

 二人はわざとらしく顔を背け合い、なぜか連れ立って去って行った。

「仲良しなの?」と、芽亜が思わず口にした。

 遠慮が無いからこそ、口喧嘩でも危うい発言が出るのであろう。男の自分の前ではやめて欲しいと、もちろん口にはできない。幻滅などではなく、気まずいのである。夕子の肌は恥ずかしいという思いが、そのまま顔色に出てしまう。叡子なんかも、それが面白くてからかうに違いない。たまに古い洋画を一緒に観るとき、濡れ場で話しかけてくるのはやめて欲しかった。本当にやめて欲しい。

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