第8話 機動剣術訓練

 姫騎士は最速の陸上動物である。訓練された姫騎士は経済速度でカルス○ンライトオの時速75キロを上回り、上位の姫騎士が神威を全開に全力疾走すると音速を突破することもある。一般に最速動物とされているチーターと違って持久力もある。

 兵隊の仕事は走ることであるといわれるが、現代の姫騎士が最初に学ぶのもまた、走ることである。走るといってもマラソンや短距離走といった競争用の走り方ではない。自衛隊などのハイポートとも少し違う。姫騎士が学ぶのは構えた武器を振るいながらの走り方、機動剣術と呼ばれている技術である。


 目標ターゲットに向かって駆ける。流すように構えた剣に感じる揚力は良し悪しである。滑空でストライドが大きくなる一方、身体の浮きで踏み込みが甘くなりやすい。中長距離の巡航用と割り切るのが良いだろう。剣に纏った気流を剥がすと、空気抵抗と重力がともに微増する。目標の直前で仮想敵の反応を想定し、ぎりぎりの位置で歩幅を変えて斬り抜けた。

 攻撃を当てた目標はコンクリートの塊で、幅一メートル、高さ二メートルの円柱型をし、その上には『78』と番号札が立ててある。コンクリートを殴った剣に破損はない。振ったのは訓練用の樹脂剣トレーニングソードである。同じコールドメタル社製であるおかげか長さも重さも重心も実剣と変わりなく、木刀とも違う粘りのある打ち心地は面白い。ただやはり、比重量による太さの違いで振ったときのキレが違う。かといって実剣を使うわけにもいくまい。剣は神気強化で破損せずとも、訓練用の目標のほうが駄目になる。樹脂剣ですらコンクリートのあちこちが欠けている。

 夕子は速度を維持したまま、『79』の目標へと剣を構えて駆けて行く。『79』『80』『81』『82』とそれぞれ近い位置にある。すれ違いざまの斬り抜けは速度を落とさぬ都合上、どうしても旋回半径が大きくなる。ここは安定をとって基本の仕方、蜻蛉の構えからの続け打ちで良いだろう。重力と水平速度を意識して、その合力を腰を介して剣に乗せる。それをステップを踏むように連続する。打つ瞬間、神威は最小限にあえて抜く。他の人も使うコンクリート柱をたたき割るわけにはいかない。

 打ったら次、打ったらまた次と地味に見えるが、鮮やかを気取って動き回るよりは、最終的なタイムは短いし打ち損ねもない。機動剣術の要とは畢竟、はしこく動くことではなし、心静かに斬り続けることである。

 『82』を打ち終え、離れた箇所の『83』へと加速しようとしたところ、インカムで番号を呼ばれた。

『1番と2番、一旦停止、二十いや、四十秒待て』

 教官の白鷺しらさぎ莉々愛りりあの声である。1番は夕子のことなので、どうやら前がつかえているらしい。


 夕子たちの今している授業は打ち廻りと呼ばれる訓練である。

 打ち廻りとは鹿児島の有名な剣術流派の稽古法である。無数の敵のいる戦場を想定して木の棒を複数立て、走りながらそれらを次々と打ち倒して行く。「出し」と呼ばれる動く敵役もいる実戦的な稽古である。

 姫騎士学園のそれは木の棒の代わりに倒れないコンクリート柱を用い、広大なグラウンド全体を使って大人数が同時に行う大がかりなものである。柱を打つ順番が決まっていて、それを何周も繰り返す循環方式であり、「出し」もいないので本物とそれと比べ実戦性は薄い。

 実戦を想定してというよりも、機動剣術の基本、走りながら斬るという動作を身体に覚えさせるための基礎トレーニングといえる。

 打ち廻りは剣を振り回しながら走るので、生徒同士が接触しないよう追い越し禁止であり、実際にそうなることもあまりない。足の速い者から順番にスタートし、生徒間距離がなるべく開くようスタートの時間も開けてある。後続者は先行者より遅いので基本的に追いつけないようになっている。

 夕子が一時停止することになったのは、一番という番号からわかるように彼女が先頭で、二週目となるからである。一週目を走っている最後尾の生徒に追いつきそうになったので制止された。再スタート前に指示された待ち時間が短かったのであろう。


 待機時間を数えながらグラウンドを見渡した。ここは広い。競馬場くらいな広さがあり、クラスメイトの人影はお人形さんのように小さく見える。彼女らは皆常にちょこまかと動き回り、灰色の柱から柱へと伝って行く。走りながら斬る、斬りながら走るという行為にまだ慣れていないこともあってか動きはそれぞれで個性があり、どすどすだばだばと慌ただしくピッチを刻んだり、ぴょんぴょんと幅跳びを繰り返したり、速度を落とすまいと大回りになりがちな者や、スピードを出しすぎてつんのめり、転んだ後も慣性のまま転がっていく少女もいる。遅くとも滑らかなコース取りをして堅実に進む生徒に、所々でもたつきながらも勢いに乗ると一気に先へ進むタイプもある。朝のあれを引きずったのか「チェスト」の声もたまに聞こえるが、流派という意味では、むしろ正しい作法といえる。

 この訓練で学生たちは常に動き回らなければならないが、実のところ一番忙しいのは、彼女らに指示を出す白鷺教官である。

『13番コースが違う、順番どおりに。22番は21番の復帰まで待機。21番負傷ないな? 行けるなら挙手を、ヨシ。はいそこ8番遊ぶな真面目にやれ。35番は慌てなくていい。今までどおりで問題ナシ』

 インカムは受信専用で、回線も共通である。矢継ぎ早に出される指示から自分へのものを聞き分けるのも訓練であった。

『15番はもう少し速度を落とせ。そちらのほうが安定する。それから4番は1番を真似するな。4番にはまだ無理』

 たしか4番は芽亜である。1番の夕子の動きを真似ようとしてうまくいかなかったのであろう。

 四十秒経ったので、夕子は再び走り出した。


 すれ違いながら撫でるように『99』を打つ。スタート地点に戻ってきた。ゴール目前というので他の生徒は力みがちなのか、『99』のコンクリート柱は一周目で既にあちこち欠け、大きな罅も入っている。『こわさないでやさしく(´・ω・`)』と一周目にはなかった張り紙がしてあった。

 黒衣の補助教員に待機するよう言われ、納め刀をして見学する。最後尾の生徒は休憩用ベンチでスポーツドリンク片手に「ぐえーですの」と伸びている。夕子の三週目は彼女が再スタートしてからなので、待機時間はなかなか長くなりそうである。

 指揮所を見る。パソコンのマルチモニターというやつなのか、そこに映る無数の映像やデータを見ながら白鷺教官がマイクで指示を出している。映像は各所監視台の補助教員が構えたカメラからのものと思われるが、どうしてか中継のタイムラグがない。気配を探るとうっすらと機材が神気を帯びているので、何らかの能力によるものであろう。ブラウン管に馴染んだ夕子から見るといかにもハイテク司令部といった感じでかっこいいが、白鷺教官はひどく忙しそうであった。

 開始前に「今日はあなた方を休み無く駆けずり回らせてあげるザマス」と脅した本人が、未熟で腕白な生徒たちのフォローと指導に駆けずり回っている。補助教官の助けがあるとはいえ、クラス全員の面倒を一度に見るのである。おなじみのザマス口調を使う余裕も無い。それでいて生徒一人一人への的確なアドバイスも忘れないのであるから、頭が下がる思いがする。ザマ先とあだ名され恐れられ嫌われてはいても、完全に憎まれていないのはこういった一面があるからだろう。殺意を伴う闇討ちだって二三回しかされていない。

「お疲れさま」

 夕子に続いてゴールした霧子が声をかけてきた。彼女の番号は二番である。

「お疲れさまです」

 なるべく女性らしくあろうとするせいか、どうも咄嗟の言葉は敬語になる。模倣対象である姉の口調とも違うのは、お淑やかな女性というのが真理谷夕太郎のなかに理想像としてあるからであろう。

「先ほども追い抜きかけたようだし、機会均等の訓練だから仕方ないとはいえ、私たちのような側はどうしても暇が出来てしまうわね。どう? 空き時間でちょっと軽く打ち合わない?」

 霧子が樹脂剣をバトンのようにくるりと回して突きつける。走り回った火照りからか、声も少し熱を帯びていた。袖で隠れて握りは見えない。手元隠しはおしゃれではなく流派の技と推測しつつも、霧子の誘いを遠慮した。

「白鷺先生も補助教員の方々もお忙しいみたい。ご迷惑になるかもしれないわ」

「ユウの言う通りね。ごめんなさい。馬鹿なことを言ったわ。昂ぶっちゃったのかしら」

 気まずそうに剣を納め、夕子と並んで他の生徒の訓練風景を見学する。しばらくして霧子は、こちらを向かずに呟いた。

「……一周目は一秒、さっきの二周目は三秒」

 何のことかと問う前に、

「私と貴女のタイムの差よ」

 と続けた。

「私は貴女との差を縮められなかった。それどころか離されてしまった」

 初見のコースで、機動剣術は不確定要素も多い。それくらいは誤差でしょう、と言おうとしたが、

「これが競馬なら何馬身になるかしら。二周目なんかは確実に大差負けでしょうね」

 そういえばこの打ち廻りの移動距離は合計3200メートルくらいで、今月末の天皇賞と同じになる。目標間距離の平均が30メートル、それが99+ゴールまでで100×30、コース取りでロスを最小限にした場合が目算+200で、計3200メートルとなる。霧子が競馬に例えたのもうなずける。

 余談であるが姫騎士学園の騎馬術の授業では用途変更となった競走馬が用いられるので、女学生らしくないが、生徒の間で競馬の話題はそれなりにされていたり、日曜日になると談話室に集まって中継を見ていたりする。無論、馬券を握り締めて視聴するといったおじさん染みた真似はしない。紅茶を片手に、ネット投票券は購入済みである。(ネット通販もそうであるがこういう場合の外部通信は談話室の共有パソコンを介して可能である)


 とはいえやはり、霧子の例えはいささか乱暴であった。

「貴女が一、私が二と番号を振った白鷺教官は、やはり慧眼ね。貴女と私とでそれだけの能力差があると見た」

 夕子の考えでは総合的な能力差というよりも、単純な神威の強弱で教官は番号を振ったのであろう。身体強化の度合いは神威に比例する。一般出身で超人的動作に熟れていない芽亜なども、速度でいうならクラスの中で中の中くらいにも拘わらず上位の4番を振られている。彼女はその控え目(?)な物腰とは裏腹に、クラスで四番目に神威が強い。クラスで一番背が低くて愛くるしい容貌なのに、ちゃん付けではなくさん付けで自然と呼ばれるのもそのためである。なお本人は気付いていない。

 夕子の神威は霧子より僅かに強い。しかしそれは技術で覆せる程度で、霧子の技量なら十分可能である。なのに明確なタイム差が生じたのは、おそらく生身の身体能力、女性より強い男性の筋力という性差が理由であろう。二周目をスタートする前の待機時間の見積もりをあの白鷺教官が誤ったのも、それが一因であると思われる。

 いわば夕子はずるをしていた。その上で二秒差前後まで差を詰めた霧子の技量をこそ、評価すべきであった。

「ごめんなさい、なんだか一方的に。少しナーバスだったわ……初めてなのよ。同い年の姫騎士にこうも明確な差をつけられるというのは。ライバルの存在は歓迎すべきだというのにね。未熟だわ」

 夕子は後ろめたさを隠すように微笑んだ。淑やかな女性という理想像の仮面をぞんざいに扱っている気がした。

「挑戦者は私のほうね。次の周こそ、貴女のタイムを上回る。いえ、むしろ追いついてお釜を掘ってあげるから覚悟なさい、ユウ」

 追い越し禁止にかけたのであろう霧子らしからぬ品の無い例えに夕子は、

「それは勘弁いただきたいわ。わたくし保険未加入ですもの」

 と、ひねりのない返しをするので精いっぱいであった。ちなみに姫騎士学園でとれる資格には公道走行免許というのが存在する。緊急時ひとけの無い道路に限り、車道を徒歩で走って移動するためのもので、制限速度は時速324㎞である。制定されたのは1987年で、当時、フェ○ーリF40が話題であった。

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