第7話 ごきげんチェスト!

 ファッションの範疇なら服装や髪型についてとやかくいわれないが、帯剣義務は守らねばならない。

 姫騎士学園で制式装備として採用されているロングソードは、女性の身長や手の大きさに合わせて、わずかに短く柄も細い。全体的にスマートな輪郭をしていて、柄にある校章以外は飾り気のないシンプルなデザインとなっている。神気伝導性といった性能は二の次に、コストと耐久性に重きを置いた設計で、製造は米国ナイフメーカーのコールドメタル社が行っている。日本企業はコンペで負けた。

 正式名称は90式騎士剣となっているが、生徒からは剣、数打ち、剣型鈍器、クソダサ雄デザイン、鬼畜米剣、等と呼ばれている。その蛮用で日本刀を飴細工呼ばわりする姫学生徒である。おおむね高評価といえるであろう。

 刀身で物打ちから離れた箇所を手で叩き、振動やしなりの具合を確かめる。異常はない。刀身の歪みもなく、柄まわりも問題ない。鞘に納めると、制服の上から多目的剣帯をつけてつり下げる。空の弾薬盒にはゼリー飲料を入れておく。未熟な姫騎士は消費カロリーの制御ができずにハンガーノックを起こすことがあるので、その応急処置用である。自分は大丈夫でもクラスメイトがそうなる可能性がある。

 武装ヨシ、鞄の勉強道具ヨシと指差し呼称していき、

「お姉様、今日はあの日だよ」

 と芽亜が言う。玩具のようなウレタン剣を剣帯に追加で差した。身支度おしまいさて出ようとなったが、芽亜が「ん」と両手を傘のように軽く上げた姿勢で固まっている。夕子は微苦笑して芽亜の要求どおりにした。

「剣タイが曲がっていてよ」

 ややずれた剣帯を、なるべく身体に直接触れぬよう整えてやる。お嬢様学校らしいことがしたいという芽亜のわがままであった。この行為にどういった意味があるのかはわからない。



 桜は若葉が見え始めた。その爽やかな色合いに合わせるように、乙女たちの溌溂とした挨拶が通学路に響き渡る。

「ごきげんチェスト!」

「ごきげんチェスト!」

「あだっごキァェエエエエエィ!」

 目と目は合わせるように、不意打ちはしないように、挨拶とともにウレタン剣で打ち掛かる。もちろん、後退や受け太刀といったはしたない対応をしようものなら、直ちに追い打たれてしまう。たとえ相打ちになろうと、先に打たれようと、食らい付いて振り抜く気持ちで、明るく、優雅に、チェストする。時折、本式の猿叫が聞こえるのはご愛嬌であろう。鞄は持ったまま片手打ちで、ウレタン剣をしならせ、髪を振り乱し、スカートを震脚でめくれ上がらせ、仕舞いには本気となって打ち合いながら、乙女たちは剣の交わりを通して仲を深めている。


 今日は週に一度の御機嫌チェストデーである。新入生同士が打ち解けるための姫学式挨拶運動の一つで、チェストという言葉からわかるように、元は薩摩の古い風習であるといわれている。

 江戸時代中期、太平の世のぬるま湯で武士から常在戦場の精神が失われつつあり、それを憂えた薩摩藩藩主が始めたのが発祥であるとされる。同僚、上役、芋侍と、それぞれの身分に拘わらず、とにかく目に付いた者へと挨拶代わりに打ち掛かる。月に一度、丸一日そうする日と定められた。城内で刀を抜くわけにはいかないので、脇差しサイズの袋竹刀を携帯したという。薩摩隼人は例外なく実戦的な剣術使いである。この程度の戯れで不覚を取る者がいようはずもない。目は口ほどにものを言うが、太刀筋はそれ以上にものを語る。彼らは常在戦場の精神を養うとともに、日頃関わりの無い者とも打ち合いを通じてコミュニケーションを楽しんだのである。

 よかあさおはようチェスト、こんにちゃこんにちチェスト、よかばんこんばんチェストと、発音しやすいものだけでも朝昼晩の挨拶チェスト(この名称に異論はあるが、方言によるバリエーションが多すぎて正式名称が定まっていないのである)がある。けれども薩摩藩のように丸一日チェストしては頭がチェストになって授業にならないので、姫学では朝の御機嫌チェストに限定されている。

 ちなみに江戸後期になるとこの風習は廃れてしまった。現代風にいうところの念友マッチングアプリのように用いられたことで、風紀の乱れが問題となったのである。もとより女性忌避で知られている薩摩隼人である。男らしく友情を育みすぎたのも無理はない。それから、この挨拶チェストの風習は現在でも盆地の集落や、一部の剣術道場には残っているといわれている。


 芽亜が夕子の肩にウレタン剣をぽすんと当てる。

「ごきげんチェスト、お姉様」

「はい、ごきげんチェスト。不意打ちなんていけない子ね」

「えへへ」

 おしおきで芽亜の頭を、髪型を崩さぬようほんの軽く叩いてあげると、照れくさそうにもじもじする。

 妹である芽亜が一番チェストを済ませたのを確認し、他の生徒たちがそわそわとウレタン剣を構え出す。先んじたのは四方院卍姫であった。

「ごきげんチェストぉおおお! ですの!?」

「ごきげんチェスト、四方院さん」

 ロールヘアを靡かせた袈裟斬りを、紙一重で躱しつつ打ち込んだ。

「素敵な蜻蛉ね」

 姫騎士というのは大概負けず嫌いである。相手の勝ち気を感じたら、こちらも勝とうと身体が動く。

「ぐぬぬ……あ、メアさんもごきげんチェスト、ですの」

「へぶっ」

 上の空で構えもせずに直撃した。

「弛んでいるわよ、メア。早く返チェストなさい」

「わたくしは逃げも隠れもいたしませんわ! バッチ来いですの!」

「うう……チェスト四方院さん!」

 仁王立ちする卍姫の豊かな胸にウレタン剣が弾かれて、危うく顔に当たりかける。

「力みすぎね」

「わたくしのボディがパーフェクト過ぎるあまりに、申し訳ありませんの」

 卍姫は謝罪しているというのに、芽亜はなぜか据わった目で彼女を見た。卍姫は夕子が入学した日の授業で大怪我をしたと聞く。先日退院して復帰したばかりである。おそらく芽亜は彼女の体調を心配しているであろう。現に、銃弾を受けたらしい胸のあたりを睨め付けている。

 芽亜はぼそりと「大盛り」と呟いた。それから己の身体を見下ろして「小盛り」と漏らし、今度は夕子に目をやって「すとん」と言った。どういう意味だろうかと疑問に思うと、芽亜がまた別の誰かを見つけて「すとん」と言った。視線を辿る。八剣霧子がそこにいた。


 霧子の周囲は賑やかであった。

「キリコお姉様ごきげんチェスト!」

「ここであったが二時間ぶり、一手馳走いたしますの!」

「隙ありチェスト!」

「ごきげんキリコ!」

「筆頭の座、寄越せやオラァン! ですの!」

 ウレタン剣を構えた生徒らが霧子を囲んで、ばらばらに声をかけながら跳び掛かる。霧子はさっと宙を撫でるように片手を振った。袖で隠れたその手に剣はない。けれども囲んだ生徒らは、次々と顔や小手に打撃を受けて勢いを殺される。生徒らを打ったのはやはりウレタン剣であるが、それらはいずれも宙に浮いていた。霧子の能力とされる浮遊剣である。

「みなさん、ごきげんチェスト」

 ウレタン剣が計七振り、霧子を中心に星のように周回して、次々と襲い来る御機嫌チェストを迎撃する。御機嫌チェストは相打ちに持ち込めなければ終了なので、打たれてしまった生徒らはすごすごと引き下がった。能力使用は大人気ないと負け惜しみが聞こえてくるが、見たところ一人一振り一振るいと、相手に応じた数しか使わぬよう加減してあった。それに浮遊剣も単純な飛び道具としてでなく、一振りごとに斬り突き薙ぎと、それぞれ技が乗っている。

 数回の挨拶で一通りの生徒が霧子にチェスト済みとなった。回転率が高いので挑戦者側も気安くチェストを仕掛けられるのであろう。未チェスト生徒は夕子と芽亜と卍姫くらいで、なぜか夕子が、既チェスト組から注目される。

 少し疼いた。芽亜と卍姫を手で制し、一歩前に出て剣を構える。霧子も同じ気持ちであったろう。僅かな逡巡の後、夕子の表情を見て浮遊剣が整列し、七つ全ての切っ先がこちらを向いた。夕子は微笑む。一対七、それこそ夕子の望みである。


 ゆったりとした足取りで進む。陣形を整えた浮遊剣の間合いに入る。小手調べは刺突による十字砲火であった。飛来するウレタン剣を間合いを整え一撃で切り払う。すかさず踊るようにステップを踏んで陣形を乱しつつ、一気に踏み込み間合いを詰める、と見せかけて、やはり踏み込んだ。意識の間隙に忍び込む特殊歩法により霧子の反応が一拍遅れる。

 前後左右の挟み打ち二連撃は霧子の袖が振るわれて軌道を変える。事前入力ではない咄嗟の直接操作には手の動きが要るらしい。再攻撃は誘導した箇所であり、太刀筋にも乱れがある。おそらく動作パターンが実剣用で、ぶよぶよとしなるウレタン剣に合っていない。対処は容易い。最短最速の動作、四つの剣をすり抜けながら振りかぶって間合いを詰める。対処済みは計六振り、最後の一振りは護身用なのか霧子のそばに滞空しているが、目には捉えている。斬られて斬るでいいだろう。夕子は斬り込み、霧子は袖を広げるように大きく振った。


 生徒たちが静まり返る。

「ごきげんチェスト」

「ごきげんチェスト」

「相打ちですね」

「相打ちね」

 夕子のウレタン剣は霧子の首筋に添えられ、霧子のそれもまた、夕子の首筋に当てられていた。

「私の負けね、キリコ」

「私の負けよ、ユウ」

「ではお互い勝ちと」

「そういうことね」

 くすくすと、目は笑わずに笑い合う。そうしてお互いの妹に声をかけた。

「ユウに勝ったわ。祝いなさい、リン」

「メアも。あなたのお姉様が大勝利よ」

 芽亜と嶺鈴が顔を見合わせる。無茶振りであった。慣れっこなのか、嶺鈴が先に姉の勝利を祝福する。

「イェーイ! やったぜ姉さん、真理谷夕子に大勝利ー! 学年最強万歳ばんざーい!」

「えっと……わーい、やったやったー、お姉様が勝ったー。すごいぞ強いぞ美しいぞー」

 わっしょいわっしょいと無理に盛り上がる二人を見て、なんだこれと夕子は思った。

「なんなのこれ」

 霧子も同じであったらしい。夕子と霧子、妙な相性の良さもあり、楽しい戦いの高揚感を引きずって、妹で遊んでしまった。「もういいわ」「あ、はい」と双方同じやり取りをして終了させると、登校を再開した。



 御機嫌チェストはほぼ全員に済ませたのでウレタン剣は浮いていない。二つ結いの金髪を風以外で乱さぬよう、繊細な足取りで霧子が歩く。三歩下がって嶺鈴が、六本のウレタン剣を抱えてついていく。大先生じゃあるまいしと霧子は自分で持とうとした。けれども嶺鈴は、姉さんにみっともない真似はさせられないし、パシリに使ってもらえるのはむしろあたしが得をすると押し切った。

 霧子から見て嶺鈴は少し変わった感性の持ち主である。とくに上下関係には敏感かつ従順で、周囲に自分の思うとおりのそれが構築され実践されているのを見ると、うんうんと頷いている。猿呼ばわりされると普通の人と同じで逆上するが、犬っぽいといわれるとむしろ喜ぶ。そういった少女である。

 霧子は前を向いたまま、嶺鈴に独り言を聞かせるように切り出した。

「ユウにはしてやられたわね」

「さっきのは姉さんが手加減した、その上で引き分けだったんじゃ」

「それならユウだって片手縛りよ?」

「……あのまっしろしろすけをずいぶんと持ち上げるんすね。未だ決闘じっせんもなし、聞けば能力だってまだらしいじゃないっすか。あんなのどうせルックスだけっす。あとマゾさ。あれはドン引き。あの量はない」

 嶺鈴は夕子に思うところがあるらしい。生綱の鞭打ちに耐えるほどの精神力を性癖と貶めるのは頂けないが、彼女には一徹なところもあるので、あえて触れないでおく。

「おそらくユウは私と同じ分析型。太刀筋、癖、戦術思考に能力条件、先ほどのやり取りだけで、かなりの情報をとられてしまった。次からはもっと翻弄されてしまうわね。それに最後の最後、私はあれを見せてしまった」

 初見殺しはもう通じないであろう。

「アレをっすか? あたしだってまだなのに、心配はいらんでしょう」

 いいえ彼女なら絶対に見破って対処する、という確信は口に出さない。根拠はあくまで予感でしかなく、嶺鈴を納得させるのも骨であった。

「無能力の決闘処女ならあたしにだってれるっす。近いうちにわからせてやるっすよ。もちろん、姉さんの許可はもらいますがね」

 筆頭としてこんなことを考えるのはよくないが、夕子に嶺鈴をぶつけるのも一興かと霧子は思った。霧子の能力と嶺鈴の能力は、様々な意味で相性が良い。嶺鈴との戦闘はきっといい経験になる。自分が夕子と対峙するとき、よりいっそう力を増した彼女と戦える。筆頭から挑むのははしたなくてできないが、夕子は自分と同じで武人の目をしている。より強い者と斬り合いたいというのは剣士の性である。いつかきっと、彼女から挑みに来てくれるであろう。霧子はそのすらりとした胸をときめかせた。



 霧子にチェストを済ませた後、他の生徒からの御機嫌チェストが始まった。目に付く少女たちからはほぼ全員、まさしく"チェスト・ラッシュ"だ、といった具合であるが、本気で打ち合おうという生徒はあまりいない。ウレタン剣でぽすぽすと、触れるくらいの力加減でしかない。今までほとんど話したことがないけれど、これを機に仲良くなりましょうという、いわば仲良しチェストである。

「ユウお姉様、ごきげんチェスト」

「ごきげんチェスト、青嶋あおしま舞奈花まなかさん」

「わたくしなんかを覚えておいでで? ああ! 身に余る光栄ですの!」

「そんな、自己紹介して下さったのですから、忘れるなんてありえませんよ。とくに長谷河はせがわ佳奈花かなかさんとは、仲良しさんなのでしょう?」

 姉妹のような名前の舞奈花と佳奈花は、同い年の幼なじみで仲が良い。母親同士が姫学時代から今現在も親友で、その仲良しぶりが娘たちにも受け継がれたという。力の喪失は死に等しいとされる姫騎士には、珍しい家庭環境といえる。残念ながら寮部屋は別れてしまったが行動自体はいつも二人一緒で、名前が似ていることもあり、回りからはほとんど双子扱いされているほどである。

 しかしその親友の佳奈花の姿が見えなかった。

「ところで佳奈花さんはどちらに?」

「佳奈花なんて、知りませんの。あんな分からず屋」

 どうも喧嘩をしたらしかった。

「聞いてくださいましお姉様! 佳奈花ったら目玉焼きにお塩をかけるんですのよ! あのお塩を! ありえませんの。塩厨ですの。まるでフィッシュアンドチップスをむさぼる英国人ですの!」

 これはいかん、と思った。目玉焼きの味付けは野球や政治やきのこたけのこの話題と、同じたぐいのものである。食のこだわりというのは理屈でない。芽亜でさえ、夜食に買った唐揚げにレモン汁をブシャーしたときは「私のにそれしたら殺すから」と、普段の一人称も忘れて低い声を出したほどである。

 ここで夕子が「あらあら庶民ども、わたくしなんてとんかつソース厨ですのよオホホホ」と言ったらどうだろう。馬鹿馬鹿しくなるか、あるいは共通の敵を得て結束するか、しかし夕子には、そのいずれでもないように思われた。あくまで直感である。舞奈花と佳奈花の仲違いの根は、もっと別なところにあるように感じられた。

 とはいえ夕子は、人間関係に口を出せるような人間ではない。一般的な姫騎士と比べてさえ、経験がないのである。

 舞奈花は「失礼いたしますの」と去って行った。


 切り替える。自分の出しゃばることではない。自分は霧子と違い生徒を導く筆頭ではなく、一生徒に過ぎない。彼女たちから助けを実際に求められて、それから行動すべきであろう。

 霧子を想う。剣で思考が冷たくなる。

 相打ちとなるあの瞬間、彼女の剣が見えなかった。見逃したつもりはない。霧子の剣が文字通りに消えたのである。あれは能力ではないと、そう断言できる。なんとなれば特殊ともいえる夕子の視界は、力の流れを察知しなかった。おそらくあれは純然たる技だろう。

 姫騎士の身体強化や超常の能力とは関係ない。彼女という一剣士が、鍛錬でもって研ぎ澄ませた剣であろう。

 そんなものを見せびらかされては夕子もちょっと疼いてしまう。姫騎士ではなく一剣士として、神威なし能力なしの立ち合いを、彼女に挑んでみたくなる。

「霧子さんに、一度試してもらおうかしら」

「目玉焼きのアレを? それは駄目だよお姉様」

 舞奈花との会話の繋がりから、芽亜は夕子の独り言を勘違いしたらしい。

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