第6話 男は黒に染まれ

 姿見には少女がいる。見慣れた顔で、見慣れぬ姿の自分である。子供の頃から着るものといえば道着か病衣ばかりであり、今のように華やかな服装の自分には、中々すぐには馴染めない。口には出さずにお前は誰だと鏡に問い、私は姉だと繰り返す。自己暗示である。しかし本物の姉とは髪の色が違う。漂白したような白髪の自分とは正反対に、姉の髪は光をほとんど反射しない黒々とした黒髪である。顔立ちは瓜二つといえるものの、髪に関しては姉が母に似て、自分は父に似てしまった。正確にいえば自分だけ、父の遺伝子疾患を受け継いだ。晴れた日に外へ出られなかったり、修行のたびに死にかけたりした原因であったが、数年前に父が他界して、それをきっかけに伸ばし始めた。最愛の兄を失い悲嘆に暮れた母を慰める。そのためだけの長髪が、今は女装の役に立っている。

 小さめの黒いリボンを髪につける。白い髪によく映えると叡子に贈られたもので、芽亜には好評であった。ファッションに詳しくない夕子の目から見てものっぺりした印象が薄れている。芽亜に勧められて制服にも、黒のアクセントを入れる小改造をした。妹役として芽亜もおそろいである。男は黒に染まれとはよくいったもので、全体が引き締まった感じがする。プラモ作りにはまっている芽亜によればスミ入れ効果というらしい。年頃の少女として正しい表現かは怪しいが、出来上がった制服を見たクラスメイトの反応は悪くなかった。

 姫騎士学園ではこのような制服の改造は禁止されるどころか推奨されている。購買に制服改造キットが何種類も置かれているくらいである。元の制服のデザインもシルエットは一見派手に見えるが、改造のベースにし易いよう細部は思いの外シンプルである。改造例を挙げるなら、たとえば四方院卍姫は全体をゴージャスに飾り付けている。霧子などはベルスリーブのロング版とでもいうのか、手が完全に隠れてもなお袖余りするくらいの袖に改造していて、それに合わせて他の部分も調整してある。大改造はその二人くらいで、他の生徒は大抵、夕子と似たり寄ったりの小改造にとどまるか無改造であった。なんとなれば戦闘演習などでしょっちゅうぼろぼろになり、代わりとして支給される新品の制服を、そのたびに改造し直さなくてはならないのである。姫学学生のオシャレには覚悟と労力が必要で、そうであるからこそ、センスに拘わらずファッションポリシーを貫く者は一目置かれていた。

「お姉様。メアの支度終わったよ」

 衝立の向こうから声がかかる。たとえ同性であっても肌をみだりに見せるべきでないという姫騎士の極端な貞操観は、このような身の上の自分にはありがたい。風呂や洗濯機は寮の部屋ごとで、自室でも着替えの際には衝立で隠す。校舎の更衣室は個室であり、プール授業は着衣水泳である。裸を見られてばれたり、逆にこちらが見てしまう危険性はゼロに近い。

 衝立を畳む。窓から差し込む日の光の温もりが、白い肌を優しく撫でる。性別を偽る暮らしは気疲れするが、朝日に怯えず目覚められるのは嬉しかった。

「今日も一日頑張りましょうか」

 真理谷夕子が姫騎士学園に入学して数日が過ぎていた。


 姫騎士学園の寮生活は甘い。非常に甘い。

 一般に学生寮というのは学校生活の延長として集団生活を学ぶ場であるとされ、様々な規則や慣習が定められている。点呼やすれ違い挨拶や入退室のたびに絶叫する。門限や各種当番制はいうまでもない。娯楽用品の持ち込み禁止をはじめ、自室で横になるのは駄目であるとか他にも細かい決めごとがある。謎の点数制で寮生同士が点数稼ぎのために違反行為を密告し合い、消灯前に総括する。今は傷害云々がうるさいので恫喝が主であり、竹刀で激しく叩くのも壁や床、ロッカーや勉強机ばかりである。公立学校のあまり厳しくない学生寮でもこのような感じである。

 しかし姫騎士学園の学生寮は門限がないどころか、寮則というと食堂での食事のルール以外は、壁を壊さないとか窓を割らないとか廊下で戦闘しないとかの一般常識である。学生寮というよりも、下宿や食事付きアパートといった方が正しい。この寮に暮らす少女らは五分前行動のための十五分前行動といわれても理解できないであろう。一年生だけの一年寮であるから奴隷扱いご指導してくれる先輩方もいないのである。


 朝食時の食堂にはパジャマやジャージ姿も多く、夕子たちのように身だしなみを整えた制服の生徒は割合でいうと半分くらいであった。

 お盆を持って列に並び、前の生徒に挨拶を返される。

「おふぁよーございますのー」

 寝ぼけ眼でゆらゆらと、頭をゆっくり揺らしている。始めのうちは夕子を見るなり慌てて寝癖を直していたが、三日もするとこうなった。学校での指導が厳しい分、寮にいるときくらいは気を抜いていたいのであろう。

 寮の食事は基本的におかずは一人一食分であるが、主食と味噌汁はおかわり自由である。朝食ではご飯かパンかお粥かで選べ、意外にも人気なのがお粥である。腹持ちはしないが即効性があり、食後のお抹茶(薄茶)などと併せれば『よくキマる』という。パンやご飯と違い、余らせることができずそれほど量が用意されていないので、少し遅い時間になると品切れになっている。今日はまだ『おかゆ終了』の札が出ていない。前の生徒も注文して「かゆ……うま……」と寝惚けたまま受け取っている。

「お姉様はお粥にしないの?」

「私は遠慮するわ」

 お粥は幼少期の食生活が思い出されるから苦手であった。雑穀米を出された叡子が「ドヤ顔で節米などと抜かす阿呆は死ねばいいのじゃ」と戦時中のトラウマを刺激されて吐き捨てるのと、似たようなものである。

「そんなことより今日は目玉焼きなのね」

 寮食では初めてのメニューである。一人三玉分まで、半熟と堅焼きが選べる。

「お姉様、わかってるとは思うけど」

「ええ」

 どうやらつゆだくソース目玉焼き丼(ブラックアイズ夕太郎Spl)は断念せざるを得ないらしい。夕子は芽亜に、カツや粉もの以外でとんかつソースを使うことを禁じられている。夕子にとって最強に美味い完成な食べ方は、芽亜から見るとお姉様的ではないという。寮部屋ならいいけど人前では絶対にだめだよと、念押しするくらいであった。食生活の自由を満喫できないのは残念に思うが、母のお説教と同じで、芽亜は夕子の身を案じてくれているのであろう。

 食事を受け取り席を探す。弥彦やひこ嶺鈴れいりんの隣が空いていた。犬耳をぴこぴこさせながら、一人きりで食事をしている。彼女の同室でもある霧子はいない。日頃の舎弟染みた振る舞いから常にそばにいる印象があるが、放課後や寮で二人一緒にいることは、意外にもあまりなかった。嶺鈴曰く「四六時中ひっついたらあねさんも気詰まりだろうが」とのことである。

「お隣、失礼してもよろしいかしら」

「ん? ああ、だいじょぶっす」

「ありがとう」

 芽亜と向かい合って腰掛けながらちらりと見る。嶺鈴は持ち込みであろうカップ麺を味噌汁代わりにして、ご飯と一緒に食べていた。単品で食べきったのかおかずの皿は空である。ご飯自体は味の濃いカップ麺をおかずに片付ける。いわゆるラーメンライスである。こいつできるな、と夕子は思った。羨ましげな視線に気が付いたのか、嶺鈴が箸を止める。

「何、気になんの? わざわざ食堂で食うのは姉さんとの部屋をラーメン臭くするわけにはいかんっしょ。つーか真理谷夕子、あんたってカップ麺とか食ったことなさそうな感じする。いかにもーなお清楚暮らしで、有機だとか無農薬だとかグルテンフリーだとか、自然食品を食い漁るババアみたいな食生活してそう」

「そんなことはありませんよ。私だって――」

「お姉様」

 芽亜がぼそりと一言言う。わかっている。お姉様れというのだろう。

「ジャンクフードは嫌いではありませんよ。モッ○ッチとか、美味しいわよね」

「気取ってやがる。女子供向けじゃん」

 女子供の女子学生らしいチョイスは不評であった。

「そんなんじゃ○郎系ラーメンみたいなデブの餌を見たら発狂しそう」

 外出許可を得られたら真っ先に行きたいと思っている憧れの料理に対し、ひどい言い草であった。

「つーか本当はあんた、うちの寮食だって好みじゃないって、そう思ってるんだろ? わりとがっつり系が多いし、下品だってさ」

 どうにも当たりが強い感じがする。他の同級生には姐御肌なのに、夕子にだけそうであった。呼び方についても、左程親しくない芽亜のことすらメアっちと呼ぶのに、夕子には真理谷夕子とフルネームである。

「いいえ思っていませんよ。私、ここのご飯は大好きです」

 芽亜なんかはもっとおしゃれな料理が食べたいと呟いていたが、夕子は不満を感じていない。むしろ滅茶苦茶好きである。

「ならさ」

 と、テーブルの真ん中の調味料置きに手を伸ばす。

「ちょうどいい。目玉焼きならどんぶりがやれるしな」

 嶺鈴が目の前にとんかつソースを置いた。

「ご飯に目玉焼きを乗っけてかける。醤油でも塩胡椒でもない。あえてジャンキーなこいつオンリーだ。本当に大好きなら試してみなよ。庶民の味覚ってやつをさ」

 嶺鈴がにやりと笑い、夕子が真顔でソースを見る。

「……ま、冗談っす。食べ物を粗末にするのはいけないもんな。遊ぶのは駄目だ。片すよ。でも、これに懲りたらあんたも不用意な物言いは――」

 戻そうとする手を、瓶本体をつかんで止めた。

「やるわ」

 その粗末な食べ方は望むところである。

「は?」

「お姉様?」

「あのねメア私は嶺鈴さんと打ち解けたいの。食事で気取っているなんて誤解されたままでいたくない。私も皆さんと同じなんだって嶺鈴さんに知っていただきたいのよ。ならこれはちょうど良い機会でしょう。ですから私のすることを止めないでね」

「お姉様……」

 言い訳がちょっと早口だよお姉様と、人前であるから口に出せないが芽亜が内心でそう呟いているのが察せられた。

「いやいやいや無理すんなっす。ってマジか。ちょ、おまっ、かけすぎかけすぎ。普通ちょびっとだろ。ありえんって。まっくろくろすけ状態っしょ。どうすんのこれ」

 有無を言わさず目玉焼き丼を作り上げる。白米に直接ソースをかけて染み渡らせ、そうしてから目玉焼きを乗せる。そして追いソースである。目玉焼き本体の味付けにデコレーションを兼ねている。

「それでは、いただきますね。嶺鈴さん」

 嶺鈴に感謝して箸をつける。欲張りすぎて汁気が少し多くなったが、湯漬けの作法のようにすれば下品にはならない。

「マジかよ……ほんとマジか。生綱きづなのときもそうだけど、マゾすぎるっす」

 食べきった。香の物で茶碗を拭い綺麗にする。漬け物にとんかつソースというのも中々合う。さすがは万能調味料である。

「いかがかしら、認めていただけて?」

「くっ……ど、どうせただのやせ我慢っす。それにほら、あんたの味覚が英国面ってだけかもしれないだろ」

 どうしてか芽亜が小さく頷いた。

「困ったわ。嶺鈴さんがそう仰るのなら、もう一枚頂戴しようかしら。英国舌らしくね」

 マーマイトなんかもあれはあれで美味しいのである。

「ああもう、やめ! やめやめ! あんたの根性は認める、認めるから、食べ物を台無しにするのはもうなしっす。ご飯がかわいそうだ。真理谷夕子は庶民の味に理解があって、寮食だって見下しちゃいなくって、あたしは勝手な思い込みで言い掛かりをつけた。すまなかった。はい、これでいいな」

「お気になさらないで。私がいただきたかっただけですもの」

「ふん」と嶺鈴がラーメンスープに口をつけると、アラームの音がした。テーブルに置かれた嶺鈴のスマートフォンである。子犬のストラップが付いている。

 スマートフォンは携帯端末であり、学校への持ち込みは別段禁止されていない(無論授業中に弄ったら罰則である)が、実際にこうして携帯しているのを姫学で見るのは珍しい。なにせ何かの拍子で力加減を間違ったり戦闘訓練などがあったりで破損する危険性があり、学校で訓練のたびに貴重品ロッカーに出し入れするのも手間である。それに二年次のネットリテラシー教育の試験をパスしないかぎり外部との通信も許可されない。LI○Eなんかの通信アプリはもちろん、ゲームなんかもほとんどは外部通信がいるので起動できない。夕子はもともと持っていないので関係ないが、芽亜によれば生活観ががらりと変わったという。レトロゲーム(叡子基準ではS○C以前、芽亜基準ではP○3以前らしい)やプラモ作りを最近趣味にし始めた芽亜は「メアわかっちゃった。ネット依存症は趣味に使う時間が減るんだね」と言っていた。

「時間になった。このスマホはモーニングコール用だ。何人か要注意人物がいるからな。これでも起きなきゃ、寮務で鍵を借りて直にやる」

 集団登校は淑女らしくないので姫学では禁止されている。ごきげんようとさわやかに挨拶しながら、めいめいに登校するのが作法である。優雅である反面、遅刻する危険性が高い。

「敬服いたしますわ。それも筆頭としての、キリコさんと嶺鈴さんのお役目ですのね」

「あたしが勝手に始めたことだ。失敗の責任はあたしだが、手柄は姉さんのものさ。寮務に許可をとるのに、姉さんが頭を下げてくれたんだからな。あんたみたいな優等生には関係ない話だが、姉さんにはせいぜい感謝しておけよ」

「ええ。いつもありがとう存じます。嶺鈴さん」

「頭を下げるのは姉さんにだって言ったろ。あたしにはいらん」

「もちろん、キリコさんにもお礼を申し上げますわ。けれど、嶺鈴さんへの感謝の気持ちも本当ですから」

「……あんたって軽薄な女なんだな」

 嶺鈴は目を逸らしてそう言うと、ごちそうさまをして席を立った。モーニングコールは食堂から出てするのであろう。

「お姉様」

 くいくいと引かれる。芽亜は夕子の空の茶碗を指差して、

「あとでお説教だから」

 不機嫌そうにそう告げた。嶺鈴の冗談にかこつけたのは、さすがにやりすぎであったらしい。

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