第16話 開花

「あれは……」


 ケフェウスは何の障害もなく脱出出来たことに多少拍子抜けしたが、その原因は直ぐに見つかった。


 丘の上、湖から離れた場所に人影が三つ。


 向かい合う二つはフェザーとロベリアに違いないが、もう一人は丘の斜面に身を伏せている。二人の様子を窺っているようだが、今のところ介入する気はないようだ。


 そちらはまず良いとして気掛かりなのはあの二人だ。此方に気付いているはずなのに何の反応もない。


 フェザーならすっ飛んで来てもおかしくなさそうだが、そんな素振りはない。此方を見ようとすらしない。或いはその余裕がないのか。


 見れば、背中にある翼が先程とは変わっているようだった。ともあれ無事で良かったとケフェウスは安堵する。


 一方、ロベリアは龍ではなく着物姿の女に変わっていた。地面に広がる黒髪は彼女を中心にざわざわと波打っている。


 今にも動き出しそうな張り詰めた空気ではあるが、ロベリアが此方に注意を向けていないのは好都合だった。今ならば問題なく降りられるだろう。


「こんな時にいつまで寝てんだよ」


 未だ目覚めないリトラにふて腐れたように呟き、ケフェウスは一度大きく旋回すると、二人の立つ場所から湖を挟んで向かい側へと降り立った。


 湖から距離を置き、背の低い草が生い茂る場所にリトラを横たえる。背中から飛び下りたプリムラは直ぐさま彼に駆け寄って傍らに跪いた。


「……とっても冷たい。命が弱くなってるんだ」


「寝たふりでもしてんじゃないのか?」


 プリムラの手前、嘴で突くのを止めて翼の先で軽く頬を叩くが、リトラは気を失ったままだった。


 服にも体にも血は付着しておらず汚れもない。とても大怪我しているとは思えない綺麗なものだった。


 しかし脈は微弱で呼吸も浅い。先に負った多くの傷、そして黒髪の中では吸血、いや、生命そのものを吸われ続けていたのだろう。


 生きているのではなく死んでいないだけ、そのような状態だった。


 事の重さに気が付いたのか、ケフェウスはリトラの頬に触れていた翼を弱々しく畳むと俯いてしまった。それを見ていたプリムラは胸がきつく締め付けられる思いだった。


「……なあ、こいつ、死んじまうのかな」


「ケフェウス君……」


 その問いにプリムラは答えられなかった。


 彼女はリトラの手を両手で包んで持ち上げると、その胸に優しく抱き寄せる。その時だった。


「な、何だ!?」


 突如、大地を振るわす轟音が鳴り響く。


 音の発生源は湖の向こう側にあった。睨み合っていたはずの二人は今や激しく交錯していた。


 黒く巨大な棍棒のような得物を振るうロベリア、彼女は猛烈な勢いで打ち掛かり、フェザーはこの必殺の一撃を僅か一歩の踏み込みで躱す。


 勢いそのままに地面に叩き付けられた棍棒が地面を抉り、周囲に轟音を響かせたのだった。


「ロベリア……」


 私は生きてみせる。


 ロベリアはそう言った。今の彼女は己の存在を世界に証明し、伝説ではなく現実として存在しようと足掻いている。


 科せられた結末を力でねじ伏せ、自らを縛り付ける伝説から解放されるために。


 艶やかな黒髪を振り乱して棍棒を振るう姿は、絡み付く見えない何かを振り払おうと必死に藻掻いているようだった。


 強大な力で弱者を踏みにじり、何もかもを奪い尽くし、大空から見下す邪悪な龍。そんな、〈かつての彼女〉が見せることのなかった泥臭い姿にプリムラは心を強く動かされた。


 彼女は変わったのだと、そう思った。


 そしてそれはフェザーも同じだった。プリムラの不在を怖れる様子など一切なく、ロベリアが振るう破壊の力に懸命に立ち向かっている。


 新たに創造された輝く白金の翼、それは大きく、厚く、棍棒の一撃をも弾く程に硬い。それはまさに彼女そのもの、決して砕かれぬ守護の意志だった。


 彼女もまた変わった。ロベリアと同じく、フェザーも伝説を超えて生きようとしている。


「〈それ〉が生きる為にしなければならないことなの? 生きるって、そんなに苦しいことなの?」


 それでも、プリムラには分からなかった。


 そもそも何故戦う必要があるのだろう。ロベリアも現実に生きたいと望むなら、共に〈三人で〉現実に存在する方法を一緒に探せば良かったのだ。


 伝説から現れたとは言え、伝説を再現しなくてはならない理由など何処にもない。


 私たちは今、蜂鳥でも龍でも花でもなく、フェザー、ロベリア、プリムラとして、現実に確かに存在している。争う理由などないはずだ。


 私たちは、いつも三人で一つだった。


 なのに何故、いつもいつも争っているのだろうか。現実の中でさえも争い合うのは何故だろう。私たちは仲良くなれないのだろうか。


 伝説による強制、付与された能力と性格、弱者の守護者、正義と悪の戦い、そしてその結末、それら全ては今の私たちに関係ないではないか。


 なのに何故、私たちを縛り付けるのだろうか。これではまるで伝説に支配されているようではないか。


 そもそもロベリアを悪者にして何になる。彼女だけがいつも一人ぼっちなのは何故だ。


 悪者を書かなければ成り立たない物語なんて何も面白くない。全員が良い奴だって良いじゃないか、全員が幸せだって良いじゃないか。


 考えれば考えるほどプリムラの心に〈何故〉という言葉が湧き上がる。腹が立って、悲しくて仕方がなかった。


 伝説にだって血は通っているし痛みを感じる心がある。たとえ儚い命でも私たちはもう生きているはずだ。


 生きていると言っても許されるのなら、私たちは〈こんなもの〉の為に生きているわけじゃない。


 プリムラは縋り付くようにリトラの腕を抱き締めて涙を流し、咽混じりの声を何とか絞り出した。


「もう、こんなのはいやだ。伝説なんていらない。きっともう、私たちは生きてるんだ。私たちはこんな事のために……伝説の為に生きてるわけじゃない」


「なら、その伝説は俺達が貰っていくよ」


 その声は、抱き締めた腕を伝わってプリムラの胸に優しく響いた。


 ゆっくりと身を起こしたリトラは、自分の腕を抱いて涙する彼女の肩をそっと抱き寄せた。


「他に盗られて困る物はあるかい?」


「ううん、ないよ。二人がいれば他は何もいらない。全部あげる。だから、二人を止めて……」


 そう言うと、プリムラは気を失ってしまった。


 驚いたケフェウスが傍へ寄るが、どうやら眠っているだけのようだ。あ、すげえ可愛い、と言いかけてリトラを見る。


「オイ、プリムラは何だって急に……」


「力を使ったからさ。彼女の力は癒しの力、本来ならフェザーにのみ与えられる花の加護なんだ」


「なら何でオマエが元気になるんだよ」


「さあね、彼女は変わったんじゃないか? 彼女たちは生きてる。生きてる伝説なんだよ。それくらいやれるさ」


「分かるような分からねえような、まあプリムラが無事なら別に……つーか、テメエ!! どれだけ捜したと思ってんだ!! 母様なんて口も聞いてくれないんだぞ!!」


 これでもかと捲し立て、息継ぎをして更に罵倒の風を浴びせようとした時、


「ケフェウス、助かったよ」


「ぐっ……」


 いつもはこんなことを言わない奴にこうも素直に感謝されると、用意していた罵倒を飲み込むしかなかった。


 リトラは腕の中のプリムラを草の上に寝かせると、立ち上がって肩をぐるりと回した。どうやら体は問題なく動かせるようだ。


「さて、もう元気一杯だ。そろそろ行こうぜ、ケフェウス君」


「行ってくるよ、プリムラ。キミのために」


 木菟は眠るプリムラに恭しく礼をする。


「愛も囁き過ぎると在庫切らすぜ?」


「真実の愛に在庫切れはないんだよ、子供ガキには分からないだろうけどな。ほら、さっさと掴まれ」


「ちょっと待った。あれ……」


 リトラが指差した先には、短剣の切っ先を向けて見下ろすフェザーと、膝を突いてそれを見上げるロベリアの姿があった。





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