ヒロの青春――続・荒俣堂二郎の回想――壱

「少し遅くなったな……。原稿の締め切りが明日だなんて!ルミのやつ……」

そう、独り言のボヤキを口にしながら、 ヒロは自転車をゆっくりと漕いでいる。

『ミステリー同好会』の三回目の同人誌を、三学期末の終業式までに完成させようと、急遽決定して、――卒業式に間に合うように作った二回目の同人誌は、完売したのだ!――ヒロは短編小説をひとつと、誰かの作品の紹介、評論をひとつ以上、書かなければならなくなった。だから、まず、評論のほうを明日までに、下書きを書いてこい、と言われたのだ。それで、ヒロは比較的新しい、海外の短編を紹介しようと思って、資料を集めていた。部長のルミは、岡本綺堂の『半七捕物帖』を取り上げるらしい。だから、ヒロは無理して、海外ものを取り上げることになった。エドワード・D・ホックの『サム・ホーソーンの事件簿』を選んだ。図書館で文庫本を借りて、ある程度の紹介記事を書いてみた。あとは、自宅で、仕上げるつもりで、図書館をあとにしたのだった。

夕日が城山の向こうに沈んでゆく。その風景をしみじみと眺めながらペダルを踏む。ヒロは、小高い城山にそびえる天守閣を眺めるのが好きだった。一高を選んだのも、校舎の屋上や正門前の並木通りから、この天守閣が見えるからだ!幼稚園から中学校まで、天守閣が見える環境の学舎(まなびや)だった。

天守閣へとつながる追手門の手前に藤並神社と呼ばれている、公園がある。夕日が城山の向こうに沈んだため、そのあたりは、もう薄暗くなっていた。

「何よ!あんたたち……?」

その公園の少し奥、コンクリートのベンチが、こんもりとした木々に囲まれている辺りから、女性らしい声が聞こえてきたのだ。

自転車を公園の入口付近の石畳の上に停める。鍵を確認して、ゆっくりと声のした方向へ足を運んだ。

「君たち、楽しそうだねぇ?でも、『不純異性行為』は、御法度だぜ!教師に知れたら、即、退学かなぁ……」

という、男の声がした。

「何よ!わたしたち、変なことはしてい ないわ!勝手な想像は辞めて!」

と、先ほどの女性の声がした。

「変なことはしていない?だって?おい、聴いたか?この女の子、キッスして、オッパイを揉まれていることは、日常のことらしいぜ!」

「へぇ?じゃあ、俺たちとキッスして、オッパイを揉ましてくれるかなぁ?変なことじゃあ、ないんだから、いいよなぁ……」

と、別の男の声がした。

「誰が!あんたたちなんかに……」

と、やや、震えたような女性の声が続く。

「丸山君!行きましょう!」

と、女性がいった。

(丸山?『女タラシ』のリョウマのことか?)

そう考えながら、ヒロは、木々の間から、現場を見回せる地点にたどり着いた。

コンクリートのベンチの前に、一高の制服姿の女性と学ラン姿の男が、今、立ち上がったばかりのように腕を絡ませている。そのふたりを囲むように、四人の学ラン姿の男性が立っていた。

「兄ちゃん!丸山君っていうのか?イケメンだね?モテるんだろうなぁ?いいぜ!あんたは、帰ってもよぅ!彼女は、今から、俺たちと、さっきの続きをするから、よぅ……!」

「何、言ってるの?どいて!邪魔しないで!」

と、女性が立っている学ラン姿の男性の横をすり抜けようとする。しかし、邪魔をされ、腕を捕まれた。

「おっと!まだ、お楽しみは終わってないぜ!」

と、腕を掴んだ男がいやらしい笑顔を浮かべて、いった。

「あっ!ミキさん!」

と、ヒロは思わず、女性の名前を呼んだ。一高のマサの同級生、みどりの友人、2年F組のミキだったのだ。

「何だ?お前!邪魔をする気じゃあ、ねぇよなぁ……?」

と、学ラン姿の四人がヒロのほうに視線を向け、その中のひとりが声をあげた。

その視線の隙を見て、もうひとりの一高の学ラン姿の丸山と呼ばれた男が、猛然と、ヒロのほうに向かって、走ってきたのだ。

「ヒロ!あとは頼む!警官を呼んでくるから、時間稼ぎをしていてくれ……!」

と、『女タラシ』と呼ばれている男は、軽くヒロの肩を叩いて、全速力で公園を飛び出して行ったのだ。

「はぁ?ミキさんを『置いてけ堀』にするのか……?」


「けっ!逃げ足の速ぇ野郎だ!」

と、丸山を追いかけて行った学ランの男が、公園のベンチに帰ってきて、吐き出すようにいった。

ヒロは、ミキと一緒にベンチの上に座っている。というより、座らされているのだ。

「まあいい!男には用はねぇや!」

と、別の男がいった。ヒロは、ミキを庇うように、ミキの前に身体を伸ばしている。ミキはその背中に身体を半分ほど隠している。

「き、君たちは、三高の生徒だね?今、走っていった男が警官を呼んでくるぜ!早く逃げたほうが、いいんじゃないか……?」

と、ヒロが虚勢を張って、忠告した。

「はあ?俺たちは、警官に捕まるような、悪いことはしてねえよ!不純異性行為をしていた、一高の生徒に注意をしてやっただけだぜ!」

と、四人の中では、背の高い男がいった。

「それに、逃げた野郎は、城山へ登って行ったぜ!あっちに『交番』なんかねぇよ!あいつは、逃げたんだよ!」

と、丸山を追いかけて帰ってきた背の低い男がそれを補うように、言葉を足した。

「たとえ、警官を呼びに行ったとしても、楽しむ時間は、たっぷりありそうだぜ!」

と、四人の中では、中肉中背の男がいった。

ヒロは、ゴクンと生唾を飲み込んで、四人の男をひとり、ひとり品定めをする。いざとなったら、この中の大将格にムシャブりついて、その隙に、ミキを逃がさないといけない。少しでも、抵抗できる相手を選ぶしかない。よく観ると、ひとりはノッポ、ひとりはデブ、ひとりはチビで、最後のひとりが中肉中背だ。

(ようし!やるなら、チビだ!)

と、ヒロはターゲットを決めた。

「兄ちゃん!邪魔をせず、有り金を出せば、無傷で帰っていいぜ!その女と知り合いらしいが、恋人ではないようだ!何にも見なかったことにすればいい!それに、この娘は、さっきの男に見棄てられたんだ!その気になっていたのを、途中で止めてしまったお詫びに、逃げた野郎の代わりを務めるだけだからよ!さあ、金を出しな!」

中背がそういって、右手を差し出した。

「か、金は持ってない!参考書を買うために、全部使った……」

「はあ?参考書を買うため?そんな『ガリ勉』には、見えねえが……?」

「参考書といっても、学校の勉強のためのものじゃあない!『ミステリー同好会』の同人誌を創るための『ミステリー案内書』や評論の本だ!」

「ミステリー?何だ?それ……?」

「タケシ!ミステリーってのは、推理小説だよ!シャーロック・ホームズとか、ルパンとか……」

と、デブが説明する。

「ああ、探偵ものか?何でそんなものに金をかけるんだ?デマカセいっているんだな!ちょっと、ポケットを調べさせてもらうぜ……!」

中背がそういうと、デブとノッポがヒロの両腕を左右から引っ張って、ベンチの前に立たせた。

タケシと呼ばれた男が、ヒロの学ランのボタンを外し、内ポケットに手を入れる。

「ケッ!財布はご立派だが、中身は、本当にカラだな……!」

ポケットから黒い財布を取り上げ、中身を確認しながら、タケシがいった。

「だからいったろう!今日、クラブの会で参考書を買うことが決まって、有り金全部叩いたって……」

「おや?こいつは何だ?ピンクの花柄の封筒が、一緒に出てきたぜ!まさか、ラヴ・レターか?誰かに渡すつもりか?イヤ、裏に名前がある。『スズカより』へぇ、兄ちゃん!モテるんだな?けど、まだ封を切ってねぇのか……?」

「や、止めろ!そいつは、僕の宝物だ!返せ!」

タケシが手にしながら眺めているのは、ヒロが生まれて初めてもらった後輩からのラヴ・レターだった。それを取り返そうとしたが、デブとノッポに腕を捕まれて、前に進めない。

「宝物か……?よし、こいつは俺が預かる!明日、ここへ金を持ってきな!そうだな……、宝物だから、1万円だ!」

「1万円?無茶な!親父の給料の三分の一だぜ!」

「宝物だろう?」

「止めて!それをヒロに返すのよ!わたし、今、2千円、持っているわ!それをあげるから、手紙を返しなさい!」

「2千円?足りねえよ!足りねえ分を、身体で払ってくれるのなら、返してやってもいいぜ!」

「ダメだ!ミキさんに、指一本触れさせない!」

ヒロは、そういうと、デブとノッポの手を振り払い、ミキの身体に身体をぶつけて、芝生の上に倒れ込んだ。

「ヒロ君!何をするの……?」

突然のことに、ミキがパニックになって、ヒロに尋ねる。

「ミキさんの身体に触るなら、僕の身体をどかさないといけないぞ!僕は、殴られても、蹴られても、ミキさんの身体から、離れないからな!その内に、誰かが、通り掛かるぜ!」

「ヒロ君!」

「面白れぇ!痛い目にあわせてやらぁ!」


「君たち!無抵抗な人間をいじめて、恥ずかしくないのかい?ヤクザより、外道だな!」

ヒロが二、三発、横っ腹を爪先で蹴られた時、木々の隙間から、スラリとした学ラン姿が現れたのだ。

(まさか、リョウマが帰ってきた?)

と、ミキは、ヒロの身体の下から、その男を見上げて思った。いつの間にか、ミキの両手は、しっかりとヒロの背中を抱きしめていたのだ。

「誰だ?邪魔をするつもりか?怪我をするぜ!」

と、タケシと呼ばれた男がいった。

「邪魔をするよ!僕の大事な『相方』だからね!」

「相方?漫才コンビかよ?」

「アッ!マサ君!」

と、ミキが叫んだ。

「マサ?一高のマサか……?」

と、チビがいった。

「何だ?ケンジ!こいつを知っているのか?」

と、ノッポがチビに尋ねた。

「いや、直接は知らねえよ!ただ、大学生の兄貴が通っている剣道道場に、一高の生徒がいて、刑事の息子で『マサ』って呼ばれているんだ。そいつ、初段らしいんだが、二段、三段の大学生や社会人を相手に、無敵だそうだぜ……!」

「たかが、剣道初段だろう?俺は空手道場に入ったぜ!」

と、デブがいう。

「カンタ!おまえ、初日の石段上りと、うさぎ跳びで、イヤになって、辞めちまったじゃねぇか!三日坊主にもなれないぜ!」

と、ノッポがいった。

「けどよう、剣道なんて、木刀とか、竹刀とか持ってなけりゃあ、怖くねぇだろう?」

「アホウ!手刀でも致命傷になるぜ!その辺の木切れでも、人を殺せるんだ!」

「四人がかりでも……か?」

「おまえが、空手初段なら、なんとかなるかもな……?」

「何、揉めているんだい?大人しく、引き上げないなら、遊んでやろうか?ただし、どちらかの腕は、当分、動かせないぜ!」

と、マサはいいながら、地面に落ちている、30センチほどの桜の枝を拾い上げ、片手で正眼に構えた。

中背のタケシが、そっと地面から、少し大きめの石を拾い上げ、マサに向けて、投げつけた。

マサは、軽く首をひねって、それを避けると、一瞬で、タケシの正面に駆け込み、石を投げた右手首に、桜の枝の一撃を入れた。

「ギィヤアー!」

「た、タケシ!大丈夫か?」

「ヤベエ!逃げるぜ!」

「シンタ!待ってくれぇ……」

四人がそれぞれ、異なる言葉を発して、脱兎の如く、公園を反対方向に駆け抜けて行った。

「ヒロ!大丈夫かい?ミキさんは……?」

と、未だ、芝生の上で、ミキの身体の上に乗って抱きしめている、ヒロにマサが声をかけた。

「痛くない!痛くない!『心頭滅却すれば火もまた涼し』だ!」

ヒロは、マサが暴漢四人を追い払ったことに気づいていない。ただひたすら、念仏のような、独り言を繰り返している。

「ヒロ君、ありがとう!もう大丈夫よ!あいつら、諦めて、逃げたわ!ヒロ君、わたしを守ってくれたのよ!」

と、ミキが、ヒロの背中を叩きながらいった。

「エッ?諦めた?」

と、ヒロが、顔を上げて、首を曲げる。

「アッ!マサ?何でおまえがいるんだよ!」

「君と同じだ!図書館からの帰りだよ!公園の前を通りかかったら、変な声が訊こえてね!様子を覗いたら、君がヒーローを演じていたんだよ!ヒロがヒーローか……」

「チエッ!クダラない駄ジャレだ!あいつら、ミキさんにイタズラするつもりだったのに、僕が邪魔してやったんだ!諦めたらしいな……!」

「ウン!ヒロ君!わたしの恩人よ!でも、わたしの身体を抱きしめて、オチ✕✕ンを大きくするんだもの……。わたし、感じちゃった……。ありがとう!わたし帰るね!これ以上、ヒロ君の側にいたら、ヒロ君に惚れちゃいそうだから……」

バイバイ!といって、ミキは何事もなかったように、公園を出て、明るい街路灯の中に消えて行った。

「ヒロ君!君、今、最大のモテ期だね!スズカちゃんにミキさんか……。ふたりとも、可愛いタイプだね?」

「スズカちゃん?アッ!あいつら、ラヴ・レターを持って行っちゃったぞ!僕の大事な宝物を……」


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