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 そんな騒ぎを経て訪れた公爵邸は敷地面積が広大で、まるでちょっとした街のようであり、邸というよりか城である。しかし同じように広大な後宮に住んでいたナジュマからすれば「外庭があるのねえ」くらいのもの、外国らしい造りを珍しがる程度だ。

 何せナジュマ、後宮の女達から「目に見える空から砂漠から全てが王の物であり、つまり姫の物と同義である」と教えられていた。実際にはそんなことはなく女達の希望であったのだが、ナジュマの中では当然のこととして根付いており、ここで誰ぞに「公爵邸は広いでしょう」などと声をかけられていたらきっと「へえ〜」とやる気のない返事をして反感を買っていただろう。だがヒネビニルの差配してくれた護衛騎士はきちんと教育がなされていて、馬車内の貴人に対し無闇に声がけなどしない。

 さて、辿り着いた邸内では公爵一家がお出迎えしてくれた。王宮でそうであったままベールで全身を覆ったナジュマ達は異文化を体現してこの場で一番に異質だ。しかし流石はサンスクワニの妹、公爵夫人は堂々としたものである。

(公爵夫妻、それから……弟夫婦)

 目にも鮮やかなほど美しい男が一人いるが、これが例の傾国のヨナビネルであろう。

 とはいえ、ナジュマは美しい者など見慣れているので然したる反応もしない。粛々と公爵と挨拶をするその無反応さを女達がじっと見ている気配を感じるが、一方のナジュマは公爵夫人が一家の最高権力者という形にはなっているな……と捉えるばかりだった。


【ラディンマラ・デレッセント】

 大皇国皇帝の妹。政略で最終的にはその国を掌握する目的を持ってグランドリー王国王太子へ嫁したが、諸事情によって最終的にデレッセント公爵の妻になった。国内社交界の頭。とはいえ家族が大好きで夫には弱い。


(うーむ、実際の最高権力者は公爵なわけか)

 かといって公爵から懐柔しようとすれば夫人の怒りを買うだろう。ナジュマは何がなんでもこの夫人の義理の娘という立場に入り込みたいわけだし、まずは順序立てねばならない。

「来て早々に息子がいないという始末で申し訳ないわ。あの子が帰還するまで長いけれど、その間にどうかこの家に馴染んでちょうだいね」

 如何にも覇気のある声音は大皇国皇帝の血筋を感じさせる。しかし怯むナジュマではない。

「では早速失礼して」

 ルゥルゥの手を借り、ナジュマは被っていたベールを取り払った。中からは大柄でありながらメリハリの付いた身体に宝飾品を山と飾り付けた女が出てくるのだ、漂う戸惑いも然もありなん。これもまた、ベールを纏ってこそ得られる攻撃力である。

「ヒネビニル殿が帰られるまでに、貴女達との仲を深められたら嬉しいわ」

 それと、社交とやらも色々教えてちょうだいね。

 重ねたそれに、表情には出さずラディンマラ夫人と次男の嫁が食い付いた気配を感じる。うむ、当たり。


【テルディラ・デレッセント】

 デレッセント公爵家次男ヨナビネルの妻。子爵家の生まれだが幼少期に見出され、ラディンマラ夫人に教育されながら伯爵家、侯爵家へと縁を繋ぎ公爵家に嫁いだ。次代の社交界の頭。なお子爵家一家は既に爵位を事実上剥奪、──。


(なるほど、運命とは実に面白いじゃないの)

 にっこりと笑い、ナジュマは女性陣に誘いをかけた。

「積もる話もあるもの、よければ女だけでお話させていただきたいわ」

 かくして場所を変え男達を廃し、女三人は中庭の臨む茶室でカップを傾けることになる。視界には盛りの花が見事満開で、それを楽しむ為に茶は香りの穏やかな物だ。

「お口に合うかしら」

「大丈夫、素敵な香りよ。この国は水が綺麗なのね」

 ヨノワリでは濃いスパイスで煮出した茶が一般的だったが、これはこれでスッキリしていて美味しいと思う。それに雑味のない水はそれだけ水資源に苦労をせずにいるということでもあろう。後宮では水に苦労したことはないが、外では苦労するものだと夫人達から学んでいた。グランドリー王国は地図的にも砂漠はなく緑豊かな山岳地帯を有し、水には苦労していないように見える。

 勉強のおさらいはそこまで、ナジュマはジャラリと宝飾品を鳴らしながら身体を傾けてこう宣言した。

「早速なのだけれど、こちらの要望を言うわね。わたし、公爵夫人としてのお仕事は出来ないと思うの」

 これは以前にもきちんとサンスクワニに伝えていたことだ。ナジュマは後宮に育っていた女である。ヨノワリは男以外を後継者として育てることをしないから、夫人達が寄ってたかって様々な知識を与えてくれはしたがそれだけ。他の国での一般的な教養も社交もどれだけ満足かはわからないし、そもそもどこぞの王侯貴族として生きるだけの満足な力量があるとは言えない。

 しかも王女として育ったが故に金がかかる女であろう。どうしたって平民らしい暮らしは出来ず、政に関わることも出来ない。そんな微妙な立場の女を迎えられるような男がいるだろうか。

 しかしサンスクワニはヒネビニルならば問題ないと判断した。つまり彼に嫁げば金の問題もなく政務は勿論、社交に問題もない。

 ……代わりにそれを行う者がいる、という証左である。

「社交界を纏めるのは引き続きお願い致します。そちらにはわたし、手を出しません」

 夫人達は静かに話を聞いている。何故社交界を率いているのが二人であることを知っているのか、サンスクワニからある程度を伝えられているのか、様々に考えを巡らせているところだろう。

「むしろあれもこれもお願いすることになるでしょうから、その分幾らでもわたしをお使いくださいな。わたし、ちょっと得意なこともあるからきっとお役に立つわ」

 胸を反らして言うナジュマにラディンマラ夫人が目を細めた。

「あら、どんなことかしら?」

「人を誑し込むこと」

 即答に、夫人達は揃ってなんとも言えない視線を向けてきたが、ナジュマは「ほうら、女ばかりの後宮育ちだけれど、後宮でも一番に持て囃されていたつもりよ」と笑う。

「ねえルゥルゥ」

「ええ、姫様は後宮で一番の星でございました!」

 口を挟むことを許可され、意気揚々とルゥルゥも返す。

 ルゥルゥはナジュマに続いてベールを払い、先ほどから足元に座り込んで控えていた。彼女は唯一の侍女にして現時点で護衛、ナジュマの傍を離れはしないという意思表示だろう。その距離と控え方に皆が若干戸惑っていた気配は察したが、ナジュマは特に何も言わない。

「それは王女という肩書きなら当然ではございませんの? その侍女の献身と同様に」

 とうとう口を挟んだのはテルディラで、ナジュマは「そうでもないのよね」とそれを否定した。

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