第18話 何もしない部に、君と その⑨


「あたし、ママに言われてるから今日はもう帰るけど、また明日も会いましょう。そして同じオタクとして語り合うのよ!」

「うん。僕も楽しみだよ」

「良かったら暇なとき、あたしの家で観賞会しない? まだ見てないシリーズがあるのよ」

「それもしかして、一番新しいやつ? 『ガンダム ~減光のパサウェー~』だっけ?」

「そう、それよ! わー、あたし嬉しいな。こんなに楽しいの久しぶり!」

「あ、そうだ。部活には入ってくれるんだよね?」

「当たり前じゃない! 申請書は明日会ったときに書いてあげる。それじゃ、またね!」


 山田さんはスキップをしながら、どこかへ去っていった。


 そして僕は、強烈なプレッシャーを感じて後ろを振り返った。


 そこには全方位に邪悪なオーラを放ち佇む橘さんの姿があった。


「……ずいぶん楽しそうだったわね、宇津呂くん」

「やりました橘さん。部員一人確保です。あと二人集めれば晴れて何もしないでいい部活を立ち上げることができますよ」

「言い直すわ。私をのけ者にして、二人だけでずいぶん楽しそうだったわね、宇津呂くん」


 橘さんは無表情のまま、眉一つ動かさない。


「……あのお、山田さんの家、一緒に行きます?」

「遠慮しておくわ。宇津呂くんは私なんかより、そのよく分からない名前のアニメが好きらしいから」

「怒ってるんですか?」

「怒ってなんかいないわ。宇津呂くんの言う通り部員を一人確保することができたのだから上出来よ。ありがとう宇津呂くん。私をほったらかしにしておいた甲斐があったわね」

「やっぱり怒ってますよね?」

「何度も言わせないで。私はあなたより四つも年上なのよ。子供じゃあるまいし、このくらいで怒るはずがないじゃない。全然まったく、ちっとも気にしていないわ。それよりも、そろそろ帰りましょう。残り二人をどうやって集めるかも考えないといけないし」


 そう言って橘さんは速い足取りで歩いて行った。


 やっぱり怒ってるよな……。


 二十歳だというのに大人げない。


 なんてことを思っていたら、向こうで橘さんが転ぶのが見えた。


 大人げないというか、むしろ子供っぽい?


「橘さん、待ってくださいよ」


 彼女を追いかけるべく僕も少し速足で歩いた。



 帰り道、結局橘さんはほとんど僕と口をきいてくれなかった。


 そして次の日、橘さんは家から出て来さえしなかった。


 一応家まで行って玄関のチャイムまで鳴らしたんだけど。


 インターホンに出た橘さんの母親らしき人によると、部屋から出てこないのだとか。


 部員集めのこともあるし、橘さんに休まれちゃうと少し困るのだけれど、具合が悪いのなら仕方がない。あの美澄とかいう風紀委員の女子生徒も、具合の悪い橘さんを引っ張り出してまで学校へ連れて来いとは言わないだろう。


 山田さんも申請書に署名してくれたし、僕の計画は順調に進んでいる。万事オッケー問題なしだ。


 ――なんて、僕は気楽に考えていた。


 しかしすぐにそれが間違いだったことが分かる。


 分かるというか、分かってしまった。


 橘さんが休んだ日の、次の日の朝。


 こうして橘さんの家の前で、彼女の変わり果てた姿を見た、今この瞬間に。


「おお、宇津呂氏。待っていたでゴザルよ。いやーお変わりなく。とは言っても一日空いただけでは変わりようもありませんなあ、わっはっはっは」

「……あなた、橘さんですよね?」


 分厚い眼鏡をかけていて、ぼさぼさの髪の毛にバンダナを巻いている。制服も皺だらけで、どこか貧相な様相をしたその女子生徒は、僕の知っている橘さんとは似ても似つかなかった。


「何を仰るか! 拙者こそ橘楓でゴザルよ。まったく、宇津呂氏も冗談がキツイ」

「ほ、本当に橘さんなんですよね? どうしてそんなことになっちゃったんですか?」

「そんなこと? よく分かりませんなあ。一体どこが変わったというのか」


 どこがって、何から何まで全部だ。


 あの優等生で美少女、そしてちょっと抜けたところのある橘さんを返して欲しい。


 これじゃまるで一時代前のオタクじゃないか。


「昨日、部屋で何やってたんですか?」

「昨日? 拙者はただ、アニメを見ていただけでゴザル」

「アニメ?」

「そう、稼働戦士ガンガムのシリーズを。ようやく今朝、第3シリーズのガンガルダブルシータを見終わったのでゴザルよ。いやあ、作画もさることながら後半の怒涛のシリアスな展開は見ものでしたなあ。ぐふふふ」


 なんということだろう。


 劇的なビフォーアフターだ。


 橘さんが見違えるように変わってしまった。


 こんなの橘さんじゃない。


 いや、今の彼女を否定するわけではないのだけれど、それでも悪い意味で刺激が強すぎる。


「な、なんでアニメなんかを、今更……?」

「なあに、簡単なことでゴザルよ。宇宙の心が拙者に教えてくれたのでゴザル。稼働戦士ガンガルを見よ――とね。ところで宇津呂氏」

「は、はい」

「案外反応が薄いでゴザルなあ。ガンガムの話をすれば泣いて喜ぶと思っておりましたのに。それとも、未だ拙者が宇津呂氏の求めるレベルに達していないということですかな?」


 達していないどころか、むしろカンストしている。


 どうしよう。どうすれば橘さんは元に戻ってくれるんだろう。


「え、えーと、とりあえず学校に行きますか」

「なるほど、学校でゴザルか。ダブルシータでは、主人公が妹を学校に通わせるために奮闘する話がありましたな。あの回は珍しく戦闘シーンがなく、人間ドラマに重点があれられておりましたが、宇津呂氏的にはアレはアリなのでゴザルか?」

「ええ? いや、まあ、アリと言えばアリですし、ナシと言えばナシなんだじゃないですか? それよりも部員集めの話ですけど」

「ガーン! まさか話をすり替えられるとは! この橘、ショックでありますよ……まさに稼働戦士ガンガム第十八話「高熱のマッシモ・リーダー」で電磁パルス兵器の直撃を受けてショートしたガンガムのように……!」


 わなわなと体を震わせ、膝から崩れ落ちる橘さん。


 こんな橘さんを僕は見たくはなかった。


 というか、もしかして彼女がこうなっちゃったのって僕のせいなのか? 


 僕がガンガムの話題で山田さんと盛り上がっちゃったから、橘さんは……。


 だとしたら、こうなってしまった彼女を元に戻す義務が僕にはある――のか?




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