出発

 八咫烏が帰ってくるまで数分はかかるだろうと玖々璃は話していた。従来の結界を張るよりかは簡単に済ます方法をとっているのだが、術をかける霊が一体では時間はかかってしまうものだという。小うるさく叫びながら帰ってくるだろうから、と、心配していない様子だった。


「そういえば、玖々璃様」


「ソテル様どうなさいました?」


「私たちは一度教会に行った方がいいのでしょうか」


「いえ、大丈夫ですよ。私のほうから司祭に直接、総会に出向いていただく旨を伝えておりますゆえ、心配ございません」


「あ、ありがとうございます。司教はいかれるのでしょうか」


「あの方は毎回来ないですから、今回もないでしょうね」


 あの方は何か私たちには顔を合わせたくないものがあるのかもしれません、そんな意味深な言葉を息を吐くと同時につぶやいていた。深くまで聞いてはいけない、俺は横に座っているメアリーが寝ないように揺さぶっていた。その揺れは、子供にとってはゆりかごにいるような感覚と似ていたらしい。俺の思惑とは裏腹に、静かに寄り掛かった状態で眠り始めていた。


「寝る子は育つ、とも言いますし、寝かしてあげましょう」


「ですが…」


「今日はたぶん、この後体力をお二人とも消耗する人なります。今は少しでも温存しておかないと、つらいだけですよ。ソテル様、あなたは一度それを経験しているはずです。一度総会に顔を出した日のことを覚えていますか?」


 玖々璃に聞かれたときに目の裏に情景が浮かんだ。『あなたはもう守られているのかもしれない』そう言われた時のことを。床に張り巡らされた術式と魔方陣、その上に立って天を見上げる。少しずつ体の意識が抜けていく感覚と、死を覚悟するあの感情。多くの国を跨いだ聖職者がまわりを取り囲み、祈りを捧げているあの記憶。


「思い出されましたか?」


 やはりすべてを見透かすように見つめ、すべてがわかっていると答えてくるように声を発する玖々璃。俺はただただ、茫然と思い出した景色の余韻に浸っていた。玖々璃は位としては高い地位の方なのだろうと、考える。ここまでいろいろなことをわかったかのように接してくる人とは会ったことがなかった。


「またあれを…?」


「ええ、今回に関しては、もう少しレベルは上がったものとなりますが、似たような感覚だと思います」


「メアリーも?」


「そうですね、彼女に関しては、聖職者ではないため、少し違うとは思いますが行うことは似ているかもしれません。詳しいことは後程」


 遠くのほうから叫び声とともに八咫烏が帰ってくる。玖々璃の方にとまって、終わったぞと告げていた。周囲一帯には悪魔はおらず、アルカディアが仕組んだように総会を行う場所から遠くにすべてを集めきっていると上空から確認ができたと話していた。しかし、時間の問題でもある。悪魔たちは神の力を感じれば寄ってくる傾向にあると推測されている。周囲は各国の聖職者たちで厳重体勢になっていることも確認済みだと話していた。


 玖々璃が取り出した小型の液晶パネルに何かを打ち込んでいる。瞬時に俺のノートパソコンの通知が鳴った。完全に電源を切っていないパソコンを立ち上げる。全員通知の勧告が届いていた。


『主と聖母の移動を開始する』


 書かれた勧告に多くのものが反応を示した。


「行きますよ。家の前に車が来ています。お乗りください」


 玖々璃は急いで立ち上がった。俺は、メアリーを抱え立ち上がる。


「八咫烏様、上空からの監視をよろしくお願いいたしますよ」


「わかってるよ!!なんかあったら叫ぶから、聞き逃すなよ!!」


 八咫烏は上空に飛び立っていく。家の前にとまっている黒い要人用と思われる車の後部座席に入り込む。玖々璃は、助手席に座っていた。運転手がいる。しかし、それは生気を感じなかった。


「行きますよ」


 声とともに車が動き始める。着実にスピードを上げて道を進んでいっていた。横で眠るメアリーを支えながら俺は流れゆく景色を、何も浮かばない頭でただ眺めるしかなかった。

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烙印に口付けを ぬい。 @nui_guru

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