Claudeと遊ぶ——夢渦の彼方——③
星は空に含まれる。宇宙は空に含まれる。ソラに含まれるならば、世界のなかに私がいるのではなく、私のなかに世界があるのではないか。などとソラは思う。
夢の中でソラはなにもかもを思い通りだ、川も森も、村も人も、すべてが望んだ通りに生まれ、動き、変化していく。ということは、ソラはソラの中でソラでいることになる。だとしたら、ここにソラを存在させているソラはどこにいるというのだろう。おかしなことだ。
夢というものは、最初から破綻している。
「まあ深く考えたってしかたないよ。夢が余計にこんがらがるだけだっての」
カガミは言葉がなくともソラの考えることがわかるらしかった。心が読まれているというより、どこまでがソラで、どこまでがカガミなのかもよくわからない。
「そりゃそうだね。それにしても村のみんなが歓迎してくれて良かったよ」
すっかり夜になっていた。というより、ソラがそう口にした瞬間に夜になって、天をまばゆいばかりの星々が埋めた。三大流星群の季節よりもずっと多くの流れ星が見られる夜だった。
村の広場ではソラの歓迎会が催された。中央の噴水をぐるりと木製の机が囲み、そこには色とりどりの料理や飲み物が供されていた。ソラの大好きなチキン南蛮もあるし、カレーやチャーハン、天丼や蕎麦だってある。極め付けはマックとファミチキだ。
「なんともとんちんかんな並びだね……」
「でも、ソラさんが望んだんでしょ? 気にせずに食べようよ」
ビハムはそういうと、まっさきにファミチキに手を伸ばした。家畜の世話をするビハムはきっと、鶏だって世話をするだろうに、いかにも美味しそうに頬張っていた。ぴゅっと油がかぶりついた口の端から飛ぶが、ビハムは気にもとめず、続けてもう一口かぶりついた。
「そうだ、ソラ。これはお前を歓迎するためにひらかれた催しなんだから、難しいことは忘れてとにかく楽しめ。この世界ならジャンクフードだっていくらでも食べ放題だぞ」
サダルバリがぞんざいにいった。
彼はどこからか包丁をとりだすと、近くにあった果物の山から林檎を手に取り、器用にうさぎの形に切っていく。次にグレープフルーツ、次にスイカ、キウイ、イチゴと、小さいものから大きなものまで、手をやすめずに次々と切り刻んでいった。スーパーの売り場のようなあじけない果物の山はあっという間に祝宴を飾る絢爛豪華な装飾へと生まれ変わった。
荒っぽい彼の態度からは想像できないほど、繊細な手捌きだった。
「すっごぉ……」
とカガミが無邪気に感動をもらす。
自分が思ったことをカガミが先にいうのが気に食わない。ソラは目を伏せ、篝火に照らされた石畳の地面をにらんだ。
——ここは私の世界なのに、どうしてカガミが私の感想をいうわけさ。
そうは思ったものの、口にはしない。どうせ自分で作り出している世界なのだから、放っておいても思い通りになるんだ。気に病むようなことではない。そう自分に言い聞かせて、うちに湧いてくる苛立ちを鎮めようとした。
「さあ、ソラ。なにか食べなよ」
ホマムがソラの肩を親しげに抱く。さすがは村の英雄、とても堂々としているのに、嫌味なところがまるでないし、触られても不快じゃない。
「そうだよね。せっかく好きなものを好きなだけ食べられるんだから、こんな機会は滅多にあるもんじゃないもんね」
「そうそう。俺が作った果物や野菜なんかもたくさんあるんだから。遠慮せず食べてくれ」
そういうマタルのとなりには、顔のよく似た二人の女の子がいた。ソラは、彼女たちがサルムとアルカラブだとすぐにわかった。
「もしかしてあなたがサルム、あなたがアルカラブ?」
「ええ、兄のマタルと共に作物を作るのを手伝っているわ」
サルムは革製の釣瓶、アルカラブは釣瓶のひもを意味する。二人で一対となり、地下に染み渡った水を操っている。また、兄のマタルは雨の幸運という意味に由来する名で、この三人の兄妹は夢の世界の水をすべて支配しているといっても過言ではなかった。
「じゃあ、このゆたかな作物はあなたたちのおかげなんだね」
「まあ、そういうことになるかな」
マタルは胸を大きく張って、得意になっていた。その横で、二人の妹は恥ずかしげに彼の服の裾を引いた。兄がいちいちソラに対して誇らしげなのが、二人にはかえって恥ずかしかったのだ。
——この二人とは仲良くなれるかも。
近くにあったイチゴのジュースとリンゴのジュースを手に、二人に渡した。
「ねえ、あなたたちも一緒に食事しようよ。みんなで食べたほうが、きっと楽しいよ」
二人は顔を嬉しそうに顔を見合わせると、うんと深く頷いた。
宴は夜更けまで続いた。まだ名のない村人たちも集まっていたものの、だんだんと少なくなり、最後に残されたのはソラを含めた七人だけだった。
「あれ、カガミは?」
「彼女ならさきに帰ったよ。当然だろ」
——当然?
ホマムが眉をひそめてそんなことをいう理由が、ソラにはわからなかった。まさか、ほんの少しだけソラを苛立たせたからだろうか。彼女は、自分の力でカガミを消してしまったのではないかと思って、少し怖くなった。
——でも、消せるなら、また出すことだってできるよね。
「まあカガミのことはいいじゃん。夜はこれからだって。まだまだ楽しまなきゃ!」
ビハムはまるで、おもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃいでいた。夜の篝火に照らされているせいか、頬が赤い。いや、違う。ビハムはお酒を飲んでいる。
いかにも朴訥とした印象だった少年からは、酒の甘いにおいが漂っていた。覚えのあるにおい。
——現実のどこかで嗅いだことのあるにおい。
ソラは引き戻されそうになる。夢にいるはずなのに、ここにあるものはすべて、現実から作られている。その部分が顔を見せるたびに、胸にとげが刺さるような、小さな痛みを感じた。
——逃げ出したつもりなのに、どこにいても逃げ切れないのかな。
「大丈夫だ、ソラ。俺がいつだってこの村を守ってやるんだから」
ホマムが肩に触れた。その手の感触がまた、なにか遠い現実の記憶を換気するかのような気がして、思わず払いのけた。
ソラは黙ったまま、石畳の地面に視線を落とした。
いつのまにか藍色の空に煌めいていた星々は消え去り、雨が降ったのだろうか、地面は真っ黒に濡れているのがわかった。篝火が表面でゆらゆらと淡い紫の光を放っていた。
「……おい、どうしたんだよ、ソラ」
マタルがいう。彼に習うように、サルムとアルカラブがソラの顔を覗き込む。ソラは急に怖くなって、目をつむった。サルムとアルカラブの瞳が、井戸の底のように深く見えたのだ。奥底に沈んだ濁った心を見透かされているのかもしれない。
綺麗だったはずの夢の世界は、またたくまに現実に汚されていく。不倫して帰らない父、あてつけばかりで反抗しない母、学校でのかすかな摩擦、忘れられない過去のトラウマ……。
——夢は記憶でできている。
「ごめん、なんだかちょっとはしゃぎ過ぎて疲れちゃったみたい。今日はもう休むことにするよ」
広場のすぐそばに、煉瓦造りの小さな建物があった。今、この瞬間にどこからか生まれたのに、ずっと以前からそこにあったかのように堂々と居座っている。外壁には蔦が巻きつき、煉瓦にはところどころ亀裂が走っていた。ゲームのファンタジー世界で見るような煉瓦造りの小屋だ。
「まあ、それなら仕方ないかあ。もっと遊びたかったけどね」
ビハムは酔っ払ったまま、自分が育てたであろう家畜の肉を際限なく貪っていた。となりにいるホマムは、英雄である証の剣を鞘から抜いて、ホマムのために肉を切り分けてやっていた。サダルバリは器用な手つきで果物に彫刻をほどこしていた。マタルとサルムとアルカラブは、ありとあらゆる杯が乾くことがないようにと、絶えず酒を注ぎ続けていた。
「俺たちはまだ眠らないからね。ソラはひとり、先に眠るといいよ。俺たちはまだ眠らないからね。俺たちはまだ眠らないからね」
誰がいったかわからない。その声だけが、夜の小さな闇のなかで震えるようにずっと響いていた。
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