Claudeと遊ぶ——夢渦の彼方——②

「やば……。なにこれ」

 夢の世界は想像を絶する美しさだった。空には太陽がなくても虹が輝き、果てしなく広がる大地には見たこともない珍しい花々が咲き乱れていた。

 身体は軽い。物理的な軽さに比例するように、心も不思議と軽くなっていた。なにに煩わされていたのだろうか。なにが私を苦しめていたのだろうか。淡い心の疼きだけが残っているけれど、根拠となる人も出来事を同じ場所に探し求めても見つからない。なにもかも、夢に溶けてしまった。

「さいっこう」

 ソラは夢の世界を自由に飛び回り、不思議な景色に酔いしれた。鮮やかな色彩に彩られた森の上を飛び、遠くに架かる大きな虹を滑り台にして何度も急降下のスリルを味わった。

 心臓が高鳴る。興奮が、快楽が、喜悦が、そこにある。

 虹の麓には宝石でできたみたいな滝壺があった。滑るたびにそこへ落ちた。きらきらと太陽の光を受けて輝いていて硬そうなのに、落ちても痛くはなかった。水に落ちるよりも柔らかくて、冷たくもなかった。吸い込まれるみたいに光に包まれてから、誰かに抱かれたときの温もりを感じた。そして、じんわりと口の中にチョコレートのような甘さがひろがる。

「あっまー」

 目をつむれば、また空にあがっていた。なんの苦労もなく場所を移動できる。落ちる心地よさ、飛ぶ心地よさを感じたければ、思いのまま。意思や意図、思考がそのままここでは現実になった。

 遠くに水の流れる音が聞こえて、ソラは吸い寄せられるようにふらふらと音の源へと飛んでいった。

 案の定、そこには川がある。水底にはダイヤモンドが沈んでいて、太陽の光をはげしく弾き返している。水は透明で、流れの作りだす波が光を綾なしては、織ったばかりのシルクのような艶やかな面をひろげていた。

 ちょうどカーブになった川の瀬の反対、淵にはしんと静まった鏡のような水がとどこおっていた。ソラは覗き込んだ。

 そこに映っていたのはアヤナそっくりのきれいな女の子だった。

「ほわー」

 水を手ですくってみると、たちまちそれは銀色の手鏡に変化した。それを手に、あらためて顔を確認する。やっぱり、アヤナだった。

 日の光をすべて吸い込んでしまったかのように肌は白く輝いている。冬の静かな朝に、夜のうちに降った雪が世界を一色に染めてしまうような、そんな感覚の白。澄んでいて清い。顔の左右に歪みはなく、すっと一本鼻筋がとおり、やや切長の二重。ゆみなりの眉、ぷっくりとやわらかそうなピンク色の唇。

 アヤナというより、これはソラが理想としている顔だった。ぱっと見たところ、性別の区別のないような顔立ちで、女性的な男性にも、男性的な女性にも見える。中性というのは少し違う。両性という方が近い。角度や表情によって、いずれの性もにじみ出てくる、うつくしい顔立ちなのだ。

「やばぁ……」

 すぐに誰かに見せたい。そう思った。

 ふと顔を上げると、川の対岸に誰かいる。望めばそれがすぐに叶う、それがこの世界だ。同じ年頃の、平凡な見た目の女の子が立っていた。ソラは手を振った。

「おーい」

「おーい」

 同じ言葉が反響するように返ってきた。

 彼女は濡れるのも気にすることなく、川を渡ってこちらにやってきた。そして笑顔でソラに向かって手を差し出した。

「私、カガミ」

「私はソラ」

 カガミの手を握った。川を渡ってきたせいで、手は冷たく濡れていた。これも望んだことだろうか、などとソラは考えてみる。夢の細部に現実味を求めるのは、どこか矛盾している、などと思っているうちに、カガミの手は温かく、乾いていった。

「ここら辺に住んでるの?」

「うん。ソラは?」

「私はここに来たばかり。他にも、誰か住んでる?」

「もちろん。優しい人ばかりだよ。喧嘩もなければ競争もない、争いのない平和な村なの。誰かに変な噂を立てられたり、悪口をいわれたりもしないし、話したこともない人から勝手な評価を下されたりってこともない。とにかく、平穏に暮らせるの。未来永劫にね」

「……へえ、素敵ね」

「ぜひ、村まで来てよ。きっとみんなもあなたを歓迎すると思うわ」

「そっか、うん。それならぜひ」

 カガミは手を右と左で握り換えると、そのまま川を渡ろうとした。

「待って、濡れちゃうよ」

 ソラが慌ててそういうと、カガミは不思議そうに首を傾げた。

「なんで、だって、私はもう濡れてないでしょう? だから平気。ソラだって、もうそれはわかっているはずだよ」

「……そっか、そういうことね」

 川を渡った。確かに濡れたが、濡れた服や髪、肌が不快だなと思った瞬間にはもうそれは乾いていた。結局、この夢の世界ではソラがなにを望むかがすべてなのだ。

 対岸の奥へと進むとそこは緑豊かな森だった。梢をリスかなにか、小さな動物が動き回り、ときどきその影が落ちるのが目に映る。木の実を食べているのだろうか、その殻も落ちてくることがある。単なる殻だと思って拾ってみれば、それはヒスイだったり、エメラルドだったりして、梢を行き交う小動物はなにを食べているのだろうと疑問に思った。

「それはね、もちろん石を食べているんだよ。甘い石だね。飴みたいなものなんだけどさ、本物の石でできているんだ。ここらではヒスイやエメラルドが中心だね」

 尋ねなくても、カガミは勝手に説明をしてくれる。

 森のことはよくわかった。リスやネズミ、ムササビ、あるいはツグミやジョウビタキ、ルリビタキ、カワセミなどの野鳥なんかが多く棲んでいるらしい。

「で、村まではどれくらいあるの?」

 森のことが一度わかってしまうと、急に物足りなさを感じる。なにせ、それは自分自身が作り出した幻想なのだ。知っているもの、見たことあるものだけが、ここに現れることができる。この世界の限界はソラ自身なのだった。

「もうすぐだよ。それは、ソラが一番よく知ってるはずだよ」

 いちいちそんなふうに言われるのは腹がたつ。が、確かにその通りだ。

 もうすぐ到着すると望めば到着するし、まだまだ森を探索していたいと願えば、その通りに、森が続くだけだ。

 ソラはもはや、森が続くことを望んでないどいない。カガミの言葉がそれを証明していた。

「そだね。ってことは、そろそろ村の入り口につくってことだね」

「まあそういうこと」


 村の入り口が見えた。村と森との明確な境目があるわけではないが、家がひとつ、ふたつ、みっつと視界の中で次第に存在感を増していったかと思えば、いつしか中央に噴水のある広場に出ていた。

「ここが村の中心ね。あ、ちょうどいい。あの人を紹介するわ」

 一人の少年がこちらに歩いてきているところだった。カガミが彼を呼び止めた。

「この人はマタル。村の農業に関することは彼に一任されているわ。マタル、この人はソラ。詳しく説明するまでもないわね」

 マタルはほんの少しだけ驚いた様子を見せたが、すぐに微笑んで見せると、さっきカガミがしたのと同じように、手を差し出した。

「よろしく、ソラ」

「こちらこそよろしく、マタル」

 と、ふたりが挨拶した折を見計らったかのように、三人の少年が近づいてきた。ソラは紹介されるまでもなく、彼らの名前がわかった。ひとりはホマム、村の英雄だ。サダルバリは村一番の職人で、ビハムは家畜の世話に長けている少年だった。

「なんだか男ばかりね」

「誰だよ、こいつ」

 サダルバリのいかにも粗忽な物言いに、カガミは顔をしかめた。

「わかるでしょう。ソラよ。今日ソラが来ることは、初めからわかっていたはずよ」

「ソラ……本当に来たのか、すごいな」

 ホマムが嬉しそうに手を伸ばして、ソラの両肩をつかんだ。背が高く、筋骨隆々としたその体躯は、いかにも英雄然としている。

「こんにちは、ソラさん。ホントにこの村に来たんだね。そりゃ羊や山羊たちもきっと喜ぶよ、ありがとう」

 ビハムは穏やかな表情を浮かべながら、ソラに対して丁寧に頭を下げた。どうやら、四人の中では一番の年長者らしかった。といっても、ソラとそう離れていないのはわかる。せいぜい二十歳くらいだろう。

 彼が近づくと、乾いた藁のようなこうばしいにおいがした。嫌いじゃない。田舎道の夕暮れを、ひとり歩いている心持ちになってくる。

「他に、マタルの妹がふたりいるわよ。サルムとアルカラブ。私たちを含めれば、全部で八人ね。まあ、ソラが望むならばいくらでも増えるでしょうけど」

「いや、これくらいいれば賑やかで楽しいと思うよ。それに、そんなにたくさん覚えられないから」

 すべて星の名前だ、とソラは思った。wikipediaの『国際天文学連合が固有名を定めた恒星の一覧』の星を、ちょうど意味もなく覚えていたところだったのだ。

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