夜明け⑤

 豆は空気と会話する。

 エルフたちの中では昔からそう言われてきた。植物たちにはそれぞれの特性があり、その特性と上手に関わりながらちょっとした力添えをしてやれば、味はずっと良くなるし、収穫量だって格段に増える。エルフはそれを、植物と直接に触れ合うことで理解する。

 人間たちは異なる。

 人間たちは長い時間をかけて知識を積み上げ、経験によって、組み合わせの意味や物と物との関係を解き明かしていく。小麦と豆の組み合わせも長い歴史のなかで農業生産を向上させてきた過程のひとつだった。

 アリアンは両方の視点を併せ持っている。

 豆の収穫のあとの土には栄養が必要だった。秋の豆の収穫と並行して、小麦の種を蒔いていた。年中、畑の休まる暇はない。だが、芽吹いたばかりの背の低い小麦が風に揺れながらささやくのがわかる。「お腹がすいた、お腹がすいた。ご飯が食べたい、ご飯が食べたい」と。冬になれば休眠して越冬に備えるが、小麦だって森の動物たちとそう変わらない、秋にはたっぷり栄養を蓄えなければ、春を見ることはない。

 カラスミロスが秋に吹くことは少なかった。西からの風はこの季節、はるか北を迂回してから山脈へとぶつかる。だが、北に迂回する風がときどき南下して、初夏のような陽気になる日がある。その折を見て、アリアンは空に囁く。「シンディリス・アルカラミア」と。風を南に引き込むための呪文だ。

 風は南下し、砂漠の砂を運ぶ。まだ小さな小麦が砂をかぶってしまうと、あっというまに痛んで枯れてしまうため、風の次には雨を呼ばなければならない。じゃがいも畑はまったくの手付かずで、マルコやレナートに任せきりだった。アリアンにできることが多いと同時に、すべきことが山積していく。一人の手では追いつかなくなりつつあった。

「ネア・アクアリスティア」

 と、アリアンは周囲で働く奴隷たちにも聞こえるくらいの大きな声で空に向かって叫ぶ。しばらく経つとぽつぽつ雨が降り始める。雨が小麦の葉を洗い、土が栄養素をたっぷり吸い込み、そうして畑は豊かになっていく。


「少し難しく感じているよ」

 昼食のためにグレイの家に戻ると、アリアンは彼にいった。

「おそらく今が一番大切な時期なんだけど、僕一人の力ではどうしたって足りないと思う。もう一人、できれば二人くらいは必要だと思う。できるだけエルフの血が濃くて、古代の知恵を持つ人が。もちろん、贅沢なことはいえないのはわかっているけどさ」

「そう簡単に見つかるものではないだろう」

「でも、心当たりはある。ね、マルコ」

 マルコは部屋の隅の椅子にかけ、本を手にし、まるで二人の話を聞いていないかのように振る舞っていた。アリアンの言葉に本から視線をあげると、躊躇いがちに頷いた。

「確かに、奴隷農場にはそれなりのものが何人かはいる。とはいっても、国王の直轄地の奴隷を賜ろうなど、そう容易いことではない。アリアン一人だって収穫量を急増させろという任が課されたのだ。二人、三人となればその限りではないだろう」

「そうじゃなくってさ。……この農場にだって奴隷はいるわけじゃないか。それも、五人も」

「なるほど。だが、彼らにエルフの力が備わっているなら、とうに私が活用しているとは思わんか?」

「それはそうだけど、そうじゃないんだよ。エルフの魔力ってのは感化し合うものだから。森から力を得ているエルフの魔力は、また、エルフからも魔力が得られ、増えていく。森の樹々の葉擦れが互いに囁きあうように、魔力もまた、伝え合うものなんだよ」

「それは理解できるが……奴隷の中にはまるでエルフの血を引かないものだって混ざっているのではないか」

「それくらい、僕に見分けがつかないと思う? それに、あなたたちにだってきちんと見分けられているから、あの五人を選んだんじゃないの」

「……マルコ、そうなのか?」

 グレイはマルコに尋ねる。マルコは節目がちに、言葉もなく頷いた。

「そなたは初めからそのつもりで奴隷を選んだというわけか」

「まさか。ただ、エルフの血の濃い者の方が、ずっと畑を良くすることを心得ているからだよ」

「それにしても、お前は卓越した慧眼の持ち主のようだな。私には、エルフの血の濃淡などさっぱりわからんわ」

「そりゃあ、だって——」

「アリアン、もういいだろう。十分にわかった」

 アリアンがなにか口にしようとしたのを途中で遮り、マルコがいった。

「まずはあの五人のエルフの力を引き出すことをしてもらおう。それから、奴隷たちも力を合わせて事にあたる。さすれば、来年の小麦を二倍にするのも叶うかもしれないからな」

「そうこなくっちゃ」


 グレイを家に残し、二人は畑に戻った。アリアンはすぐにでも五人の力が借りたかったのだ。それに、レナートに説明する必要もある。

 レナートは奴隷たちに食事を運び、監視しながら彼らと共に昼食をとっているところだった。

 監視人と奴隷たちが気安く会話をすることなどないが、レナートの肉体を見れば一目瞭然、歯向かうものなどいないことがわかる。そのせいか、かえって関係は良好のようだった。レナートがその腰の鞭を用いることもなかったし、奴隷たちは鞭を振るわれないと理解しているからこそ、いきいきと働くことができる。階級差や強い上下意識はあるものの、効率の良い農場だ。とマルコは思った。

「レナート、ちょっと話したいのだが」

 マルコがさっきの話の説明をしている間に、アリアンは奴隷たちのところへ向かった。

 五人はマルコから少し離れた、畑に残された一本のプラタナスの下に集まっていた。アリアンは近づき、彼らを穿つように観察した。

 奴隷たちの誰一人として、尖った耳もしていなければ、エルフ独特の翡翠色の瞳や、金や銀の髪も持っていない。それでも、時におおきな力を持つ人間もいるため、エルフの血の濃さだけが魔力の多少を決めるわけじゃない。そもそもエルフと人間が太古にわかれ、今、ふたたび出会っているという、それだけの話だった。もともとそれらは、遠い昔は一つだった。一方は森を殺し、一方は森と生きた。反対をぐるりとまわって、この星で、出会ってしまうこともあり得るのだ。

「みんな、少し話をさせてもらってもいいかな。知っているかもしれないけど、僕はアリアン、もともと君達と同じ奴隷だ」

 奴隷たちは食事の手を止め、身を正した。元は奴隷とはいえ、同じ立場ではないと理解していた。アリアンははじめの慇懃な態度はどこへやら、すっかりマルコやレナート、グレイと打ち解け、随分と気軽に話すようになっていた。それを見ている奴隷たちにとっては、アリアンも彼らと同等の地位にいると考えるのは自然ななりゆきだろう。

「それで、君たちにも僕らがここでやろうとしていることに協力して欲しいんだ」

「……協力? 私たちが?」

 そう反応したのは、いかにも若い、少女といってもいいような女だった。茶色のうねる髪を後ろで一つに束ねて、濃い眉の下には髪と同じ色の瞳が輝いている。

「ああ、そうなんだ。君の名前は?」

「レイラです」

「レイラ。君たちにはエルフの血が流れている。それはわかっているね。……僕が君たちの力を引き出したい。そして、この農地をより豊かにしてほしい。そうすれば自由だって手に入るかもしれないよ」

「……自由といっても、私たちはここの仕事に満足しています。三食と寝床と身体の休まる時間と。これ以上のなにを望めば良いのでしょうか」

「君は?」

「私は、ケインと申します」

 黒い短髪の青年で、五人のなかではもっとも大きな体格をしている。声は太く、低く響くが、落ち着いた印象だった。

「それはケインが望むままを生きればいい。今は望むところがなくとも、いずれはなにをすべきか、君自身が見つけることになろうだろうから。君たちも名前を教えてくれるかな」

「アリア」

 銅色の髪に灰色の瞳。人とエルフとの混血に現れることがある特徴で、一見すると赤い髪は、光を吸うように静かに光る。声はとろんとまどろむような穏やかさで、黄昏の空のような夜の予感を抱かせるような響きだった。

「トマス」

 小柄で、赤褐色の肌の少年だ。成長過程なのか、背は低く、アリアンとそう変わらない。力仕事ではケインには敵わないものの、その俊敏さは、種蒔きや収穫の時期に大いに役立つ。

「リリス」

 この少女がおそらく、一番の力を持っている。見た目はトマスと同じくらいの歳の頃、十代の前半か半ばくらいだろう、艶やかな薄茶色の髪は耳の下くらいの長さで綺麗に切り揃えられ、前髪のしたからは黒い瞳がのぞいている。肌が赤みがかっていて、よく日に焼けていた。見た目にエルフらしいところはないが、彼女から発せられる空気に、アリアンはふと森の中で休息するような安らぎを感じることがあった。

「アリア、トマス、リリス。よろしく」

 三人はそろって頭をさげた。

 アリアンが話を終える前に、マルコとレナートの話が終わったらしい、二人がプラタナスの木陰に近づいてきた。レナートは少し距離を取っている。奴隷たちとの関係性をどうすべきか、考えあぐねているかのようだった。

「二人に紹介するよ。彼はケイン。こっちがトマス、リリス。彼女はレイラで、で、こっちがアリア」

「ああ、俺はマルコだ。みんな、よろしく頼む」

 マルコがアリアンに並ぶように立ち、朗らかな声でいった。どうしてか、彼は奴隷の前に立つ時だけは堂々とし、しかも優しげだった。監視人としての権威が彼に自信を持たせるのか、あるいは、これが本来のマルコの姿で、他で見せる顔が本来の彼とはかけ離れたものなのか……。

 レナートは二人に少し近づくと、威厳を込めるような声音でいった。

「知っているだろうが、私はレナートだ。これからは対等な関係とはいわないまでも、今まで以上に近い距離で働くことになる。お前たちの力が必要なのだ」

 五人は不安気にアリアンを見やる。中心にいるのはアリアンだった。奴隷でもないが、奴隷に近く、監視人でもないが、監視人にも近い。アリアンだけが、この場の純粋な仲介役に相応しかった。

「ってなわけで、これからやってもらいたいこと、やるべきことを色々と説明するから。簡単なことではないけど、できたら、ここいら一体の奴隷とか農業とか森とか、そうしたものが一変するかもしれない。みんな、力を貸して」

 五人を順番に見て、そして、マルコ、レナートを見た。誰もが希望に満ち、日の光に瞳を輝かせていた。

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