砂漠の鷹匠③(完)

 鷹小屋に父の姿はなかった。こういう時に父が向かう先を知っている。オアシス一番の酒場であるサンセットリッジだ。兄が出て行ったときも同じだった。母が死んだ時も同じ。今日もそう。サニーはいつも置いていかれる。父はその悲しみや怒りを自分だけのものだと勘違いしている。言葉にしなければ伝わらないのに、伝わらないことを恐れて言葉にしないなんて本末転倒だ。

 ——馬鹿な父。

 クリスタリスはサニーの姿を認めると、ピーっと軽快に鳴いた。父に餌を与えられていたようだった。他の鷹たちもクリスタリスに続くようにピー、ピーと鳴いた。彼らはもちろん、フロストの死のことなど知らない。伝えたところで、その意味だって理解できるはずがない。でも……。

「ねえみんな、あのフロスト・ホークハートが死んだってさ。山で、空に近い場所で死んだんだってさ」

 餌の時間と勘違いしたのか、多くの鷹たちが高い声をあげて鳴き始め、一瞬にして大合唱になった。そんな中、クリスタリスだけは、じっとサニーの方をを見つめていた。理解したのだろうか。クリスタリスが愛した、あるいは、クリスタリスを最も愛した一人の人間が、この世界から空に旅立ったのだ。他の鷹たちだって例外なく愛を注がれたはずなのに、どうしてだろう、失われたことがわからないのだ。

 サニーは声を張り上げた。

「ねえ、聞いてる? フロスト・ホークハートが死んだんだよ。あんたたちが愛した、あんたたちを愛したあのフロスト・ホークハートが死んだんだって!」

 ほとんど叫びのようだった。サニーの異常な様子をようやく察した鷹たちは、にわかに静まり返った。朝のオアシスのような静謐が小屋を満たした。

 サニーは膝から崩れるようにして尻餅をつき、わっと泣き出した。涙は目からとめどなく流れ、サニーの頬を濡らした。嗚咽が小屋に響くと、呼応するようにして鷹たちもピー、ピーと控えめに鳴いた。サニーの思いが伝わったのか、それらは寂しい時に鳴く声だった。

 帰りを待ち続けていたのに。旅で成長した兄が再び鷹匠を継ぐと、そう思っていたのに——。

 父はまたしばらく働かなくなるだろうとサニーは思った。母を失った日から数年は、兄が実質的に引き継いだようなものだった。父が再び働き始めたかと思えば、いつのまにか兄が去り、また働かなくなった。だからサニーが仕方なく、こうして鷹匠の仕事を続けているが、まだ父から正式に継いだわけではない。

 涙はぴたりと止まった。

 ——やれること、やるべきことがある。

 濡れた頬を乱暴に拭い、立ち上がった。さっき来たばかりの通路を引き返し、家へと戻った。

「アルディウスさん!」

 意外にも、家にはアルディウスだけでなく父もいた。サンセットリッジで酒を飲んでいるだろうと思っていたのに、驚いた表情でサニーを見ていた。サニーは父の目の前で一瞬は躊躇ったものの、熊男に切り出した。

「アルディウスさん。私を山まで連れてってください。兄の死んだ山に」

 アルディウスと父はなにも答えず、顔を見合わせた。父が言葉もなく頷くと、アルディウスもそれに応じ、サニーに向き合うと、その瞳をじっと見つめた。

「ちょうど今その話をホークハートさんとしていたところだよ」

 サニーは驚きに目を見張る。

「フロストの手紙に書いてあっただろう。山の鷹と砂漠の鷹とでは性質が異なっているが、共通する部分もどうやら多い。砂漠の鷹は日光と冷気、乾燥、そして風に強いと聞いた。一方で山の鷹は高度と冷気、雨や雪、雹などの悪天候に強い。山では、雲を抜けると雨や雪などの心配は少なくなるが、直射日光と雪の照り返しが激しくなり、鷹の体力が余計に消耗される。その問題が、あるいは砂漠の鷹のフェザーウィンド・ホークとの交配で解決されるかもしれないと、やつはそう話していた」

「じゃが、そう簡単な話ではなかろう」

 父が口を挟む。サニーの記憶の果てで消え去ろうとしていた過去の父が、にわかに蘇ったかのようだった。金色に近い色の瞳には、あの時の輝きが戻っていた。

「まずはクリスタリスを連れて行くのが賢明だろうな。やつならば過酷な旅も耐え抜けるであろうし、立派な子孫も残す。そうして二代、三代と時を経るうち、さらに優れた個体も現れようが、劣る個体だって同じように現れる。その選別の目次第で、愚息の願った新しい風も吹くだろう……」

 父がサニーを見た。金色の瞳がなにを言わんとしているのか、サニーにはまだわからなかった。サニーは恐るおそる尋ねた。

「……行っていいの?」

「勝手にせい。己の道は、己で定めるものじゃろうが」

 怒りなのか苛立ちなのか、あるいは喜びか。父の声に張り詰める力強さの意味が、やはりわからない。でもいい、それでいい。わからなくても、関係がない、サニーはもう決意したのだから。あらためて、アルディウスに向き合った。

「何年かかるかわからない。無事に辿り着けるかもわからない。それでも一緒に来るなら、私は別にかまわない」

「はい。よろしくお願いします」

 サニーは深々と頭を下げた。再び、涙がこみあげてくるのがわかった。

 兄がしようとしたことがなんだったのかはわからない。山の鷹、砂漠の鷹を交配させて、もっと高い空を飛ばせたかったのだろうか。もっともっと遠くへ、手紙を、言葉を届けたかったのだろうか。でも、違うんだ。兄の願いを叶えるためではなく、自分は、自分の願いを叶えるためにアルディウスについていくんだ。手紙を届けたい。言葉を届けたい。遠く、砂漠の風と山の風が出会う場所へと、ただ「ありがとう」の一言を。

 サニーは奥歯をかたく噛み締めると、顔をあげて、二人に向かって満面の笑みを見せた。

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