砂漠の鷹匠②

「こんにちは」

「ああ、あんたがサンフラリスさんか」

 熊はアルディウス・モーニングスターという名で、はるか北の山脈地帯から来たのだという。はるか北の山脈、といわれても、砂漠からみた北側には山脈など見当たらない。それくらい遠い場所から来たということだ。

 ミラージュのいうとおりの、毛むくじゃらの大男だった。背丈は駱駝の体高くらいだろうか、今まで見てきた人間のなかで一番大きい。大きな毛皮のコートが部屋の隅に置かれていた。それを着てオアシスに立ち入ったのだとしたら、確かに獣と見間違えられても不思議ではない。波立つ茶色く長い髪が肩まで伸び、頬は同じ色の髭で覆われている。眉は太く、眼底の奥にある瞳には、井戸を覗き込むような鈍い輝きを宿し、そこには声や言葉にならないような強い意志を秘めていた。

「ええ、はじめまして。サニーでいいわ」

 左足を引き、深々と頭を下げてから、相手を見ないまま両手を彼の前に差し出した。ゴールデンサンドデザートのほとんどのオアシスで通じる初対面の挨拶だった。アルディウスは素直にサニーのその所作に従うようにして、手を握り、挨拶に応じた。

 ——これが熊の手か。

 違う、熊ではない。人だ。兄のフロストの描いた熊を頭の中に思い描こうとするが、もはやそれはアルディウスに置き換えられてしまっていて思い出せなかった。

「サニー、お父上とあなたに渡すべきものがあってここまで参った」

「わしは鷹の世話に出る。またなにかあったら呼んでおくれ」

「じゃあクリスタリスにご飯あげといてよ。さっき鼠一匹食べたっきりだから、お腹空いてるはずなの」

 父は返事もしないまま、全身を覆うための白い衣を頭からすっぽり被ると、その場から逃げるように家を出ていった。

 ——きっと、兄からの知らせだろう。

 父は兄を嫌っていた。正確には嫌っていたのではないかもしれない。父と兄はよく似ている。探究心や好奇心が強く、新しいものを常に追い求め、日夜そのための努力や研鑽を重ねていく。その方向が異なっていただけだった。父は内に、兄は外に。その違いが二人の歩むべき道を別れさせ、また、仲違いさせた。本当ならば、鷹匠の仕事だって兄は嫌ってなどいなかったはずなのに、どうしてか、いつからか噛み合わなくなってしまった。二人が上手に付き合う方法もあったのだろうけれど、これはこれで、仕方のないことなのだ。

 サニーは父の背を見送ると、再びアルディウスに向き合った。熊男。それにしても大きい。こうした大きすぎる男は砂漠に不向きだ。体内にこもった熱を逃すのに体力を多く割く。むしろ、よくここまで辿り着けたものだ。根底にある体力というか気力というか、自然を生き抜く上で必要な力が特別に優れているのだろう。でなければ、今頃その肉体は砂に埋もれてからからに干からびているはずだから。

「で、渡すものって?」

「ああ、サニーさんには、これを」

 銀の足環だった。それに便箋が一枚。兄の字だとすぐにわかった。

「お兄さんから預かっていたものです。彼は山で亡くなりました」

 アルディウスは感情をわずかばかりも見せずに告げた。あまりに淡白な声の調子で、今日は晴れだとか、風が強いだとか、その程度のことを伝えているのかと錯覚するほどだった。

 サニーは「そうですか」と口にしてから、便箋を手に取った。


『山登る。困難多々あり。故に、手紙と足環を我が妹へ残す。山の鷹と砂漠の鷹、差異多く、新種改良も可能か。我が意志、空にあり、君が意志、共に空にあり。砂漠の風と、山の風とが出会う場所で。 フロスト』


 ——馬鹿。

 父の仕事を継ぐことを拒んだくせに、山登りなんかしていたくせに、鷹匠の血を継いでいるし、いつまでも、どこにいっても鷹のことばかり考えていたのだろう。

 サニーは腹が立った。どこまで勝手なのだ。兄も、父だって、この目の前にいるアルディウスという熊男だって同じだ。夢を追いかけて、明るい光を求めて、高い場所へ、もっと高い場所へと遠ざかってします。そうして自分だけが砂だらけの小さなオアシスに置いていかれる。馬鹿だ。男なんでみんな、ろくでなしだ。

「サニーさん、あんたの兄さんは強い男だった。鷹を愛していたし、山も、砂漠も愛していた。山小屋で何度もこの砂漠の話を聞かせてくれたよ。金色の砂の舞う砂漠だと、そこを銀色の翼の鷹が飛ぶのだと」

「あんなやつ、ただの馬鹿だよ」

 熊男に八つ当たりしたところで兄は戻ってはこない。わかっているのに、苛立ちが抑えられなかった。

 サニーは便箋を放り投げると、銀の足環もそのまま、客人であるはずのアルディウスだけを家に残して、外に飛び出した。

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