砂漠の鷹匠

砂漠の鷹匠①

 クリスタリスは翼を広げて高く飛んだ。蒼天にひとつぽつんと白い点が円を描いているのが見えるだけで、鷹なのかもわからないくらいに遠い。

「……ほんと、遠いなあ」

 サニーは思わずつぶやく。その声がクリスタリスに届くはずもなく、高潔な翼で日の光を散らしていた。強い風が吹いた。舞い上がる砂を避けるようにして、ヴェイルを顔におろした。ヴェイルで覆われると、近くの視界は見えるものの、高く飛ぶクリスタリスの姿はもはや見えなくなる。

 ピューっと、指笛を吹き、肘を高く掲げる。しばらくすると白い影が空から近づいてくるのがわかる。飛ぶ角度によって、綺麗に太陽を反射するため、ヴェイル越しでも眩しさがわかった。そして美しい。

 サニーの飼育する鷹の一種、フェザーウィンド・ホークの中で、クリスタリスの飛行能力は卓越していた。それだけでなく、ゴールデンサンドデザートという過酷な環境をものともせず、オアシスからオアシスまでを軽々と飛び、手紙のやりとりを自由にしてくれる。クリスタリスが十分な知性を備えている証拠だ。この距離を他の鷹に任せたのでは途中で引き返してきたり誤配送してしまったりと、おそらく仕事にはならないだろう。何度か実験的に飛ばせている個体もあるが、クリスタリス以外でオアシス間を飛んだ鷹はまだいない。

 郵便のために改良された種である以上、どんな個体においても、フェザーウィンド・ホークは優れた能力を発揮する。あえて加えるならば、その美しさにおいても目を引くものがある。翼は白く、個体によっては金や銀が混ざり、近くでよくみると、複数の色が重なり合っているようにも見える。人によっては彼らを「銀色の風」と呼ぶ。ゴールデンサンドデザートに吹き荒れる砂嵐、「金色の風」との対象で、一方を良きもの、一方を悪しきものと考える人が名付けたのだろう。実際、金色の風はオアシスに甚大な被害を及ぼし、反対に、銀色の風は良き知らせをもたらすことが多いのも事実だった。もちろんそれらの価値は反転することもあり、人によってはフェザーウィンド・ホークを死の知らせを運ぶものとして嫌悪し、「白い死の風」と読んだりもする。誰になにがもたらされたか、それによって人の見方が変わる。それだけのことで、鷹にとっては何一つ問題にはならない。

 クリスタリスがサニーの腕に降り立った。一瞬だけその重みを感じるものの、実際には大した体重ではない。羽を広げると大きく見えるものの、畳んで仕舞えば非常に小さな鳥だった。だが、体の小ささに対して胸の筋肉がほかの鳥よりもはるかに発達している。筋肉が大きいということは、その分だけ栄養が必要になる。ほとんど常になにかを食べていないと、フェザーウィンド・ホークはその体力を維持できない。それがこの種の唯一の欠点だったのだが、クリスタリスには、なぜかその特徴が見られない。サニーはクリスタリスの翼が他の個体とどこか異なることまでは理解していたが、どう違うかまではわからなかった。

「ほんと、不思議な翼だね」

 サニーは銀色の翼に触れた。白い氷が表面を覆っていて、かるく触れると、玉のように輝きとともに散る。高く飛びすぎだ。その表面の氷が、サニーの体力と持久力、体温維持の秘密に関わっているらしいことはわかる。他のフェザーウィンド・ホークには見られない性質だからだ。それがわかれば、他の個体もオアシス間を飛べるかもしれない。飛べれば、オアシス間の交流も増える。そうすれば、砂漠全体にひとつの大きな通信網ができあがるはずだ。となれば——。

 ピーっとクリスタリスが鳴き、サニーの思考を遮った。食べ物を催促しているのだろう。手持ちの餌は少なかった。

「帰ろっか」

 サニーがいう。クリスタリスは再びピーと小さく鳴く。二人はオアシスに向かって目印のない砂の道を歩いていった。


 兄のフロストからの手紙が途絶えたのは、彼が家を出て数年が経った頃だった。兄が家を継がないと知った父が、妹であるサニーに鷹匠としての仕事を教え始めたのもちょうど同じ時期だ。最後の手紙にはこう書かれていた。

『旅は順調。砂漠は広いが、世界はなお広い。未知を求め、より遠方へ赴く故、手紙の届かぬ機会は増える。心配無用。 フロスト』

 ——くそ勝手な兄。

 サニーは手紙を思い出すたびに腹を立てていた。次の手紙が届いたならば、ぜひとも文句の一つや二つ言ってやらなきゃ気が済まない。と思っていたのに、その機会はまだ訪れていない。

 オアシスが見えてくる。金色の砂漠の中で、ぽつんと浮き上がるように緑が豊かに生い茂っている。地下水が湧くだけでなく、それを利用した灌漑農業も行われていて、もちろん外からも食料は仕入れられるが、自給自足するには十分なほどの生産量があった。周縁の小麦畑とオアシスとの境界は曖昧で、納屋とも家とも判別のつかない白い家がぽつぽつと現れると、その辺りからは人の姿もはっきりと目につくようになる。

 その道すがら、ミラージュ・サイファーに会った。いつも手紙を届けてくれる商人だ。砂漠最大のオアシスであるシェイドスプリングを経由し、ほとんどの手紙はミラージュの手でここまで届けられる。サニーとは競合し、かつ、協力関係にもあった。

「やあ、サンフラリス・ホークハートじゃないか。あんたのとこに余所者が訪ねてるってアクアサーフォーではすっかり噂になっちまってるよ」

 ミラージュはアクアサーフォーのオアシスに住む人々を家名と一緒に呼ぶ。そうすることで家のない者、身分の低い者、浮浪者とを区別している。アクアサーフォーに限らず、ゴールデンサンドデザートでは身分による階級差があり、家や仕事のない者は苗字を持たず、卑しいものとされた。

 サニーは愛称で、本来の名をサンフラリス・ホークハートといい、代々砂漠の鷹匠の仕事をする家に生まれた。主に狩に用いる鷹を育て、それを求める貴族や商人に売る。アクアサーフォーのオアシスだけでなく、近隣一帯のオアシスに居を構える名家には必ず優れた鷹がいるもので、その全てがサニーの家で育てられた鷹だった。ホークハートの鷹を飼っていることは名誉であり、地位の証明の一つだった。

 鷹を育て、売ることに加え、ミラージュの依頼で手紙を飛ばすこともある。中間でミラージュに利益を抜かれたとしても、有り余る程の報酬が得られる割りのいい仕事だった。それだけに、ホークハート家にとってミラージュとの関係は重要だった。

 サニーは歩みを緩め、ミラージュの隣に立って大きな荷を見上げた。二頭立ての駱駝の砂橇で運べる限界の量だろう。どこからか仕入れてきたのか、あるいは、今からどこかへ売りに行くところだろうか。いずれにしても砂漠を行き来するには多すぎる荷だ。ミラージュはいつだって命を賭して商売をしている。彼とて、遊びで商売をしているわけではない。

「こんにちは。ミラージュ・サイファー。また変な噂が立ってるわけ。本当に勘弁してほしいわ」

 ホークハート家に限らず、狭いオアシスで噂は絶えない。鷹が手紙を届けるよりもずっと速く、噂はオアシスを走っていく。サニーはその情報の速度にはいつも驚かされる。

「ああ、そうだよ。噂というか、確かなことらしいがな。最初は未知の獣だって遠くではみんな警戒していたけど、近づいてみるとそれは人間だってわかってとりあえずオアシスへ招じ入れたってんだ。そいつはどこからか手紙を届けにきたんだとよ。ったく、俺の商売を横取りしやがって。嫌んなるぜ」

 強い風で口に砂が入ったのだろう、ミラージュはピッと鋭く唾を吐いた。

 手紙という言葉をサニーが聞き逃すわけがなかった。待ち続けた兄からの一報かもしれない。だが、ここでうかれてみせればきっと、またいらぬ噂がたつ。サニーは心の揺れをひた隠した。

「ふーん。で、獣と間違えられるって、いったいどんな人だったわけ?」

 話題を逸らした。

「どんな人って、毛むくじゃらで、ふかふかしていて。ここいらには不似合いなほど生い茂っている、まるで熊のような男だったよ」

「……熊か」

 砂漠に熊はいない。熊と聞いてサニーの頭にまっさきに思い浮かんだのは、兄が手紙に描いてくれた絵だった。簡単な線で描かれたそれは、砂漠で見られる馬や山羊、驢馬や駱駝とは似ても似つかぬ生き物だった。かといって、人間ともまるで違う。強いていうなら、サニーの知っている動物であれば犬が一番近い。オアシスには誰のものかもわからぬ犬が何匹か住み着いていた。

「ピュー」

 クリスタリスが立ち話をするサニーを咎めるように鳴いた。実際、帰り道では一度も食事を取らせていない。腹が減ったのだろう。

「お、ちょうど良いものがあるぞ」

 こちらからなにを言ったわけでもないのに、ミラージュが荷の山から生きたままの鼠を取り出した。

「さっき罠にかかったばかりでね。どこかの家で売ろうと思ったけど、こりゃちょうどいい」

「ありがとう。いただくよ」

 ミラージュが鼠を宙に放ると、それが下に落ちる間もなく、クリスタリスは旋回して爪で捕らえた。白い石畳に押し付けるようにして、鼠の肉を啄んでいく。小さいそれでも鼠はまだ死んではいないらしく、ぴくぴくと耳を鼻を動かしていた。

「次の手紙の代金から引いておいてよ。ほら、クリスタリス」

「ああ、そうしておくよ」

 ミラージュとはその場で別れた。

 風はなくとも、高い太陽が照りつける中では、街に人は多くなかった。中央広場の噴水の近くに何人か知った顔を見て歩みを緩めたものの、誰もがサニーと目を合わそうとはしなかった。

 鷹匠は変な噂を立てられることがある。高貴な人、裕福な人と関わる機会が多いとなると、どうしたって庶民からの嫉妬を買いやすい。面倒ではあるが、そうした人々との関係があるのは確かだったし、彼らがいるからこそ、鷹匠という仕事が成立しているのも事実だ。どうせまた、手紙を持った訪問者に関して、なにか変な噂でも立ったのだろう。

 クリスタリスがピーと鳴いて催促する。急がなければ。サニーは中央広場を通り過ぎると、家までの道を早足で歩いた。

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