リオンと森のエルフ④(完)


 リオンは祠への道を歩きながら考えていた。もしオークたちがシャドウフォージの連中に操られているなら、なにか仕掛けがあるはずだった。穴の入り口の結界返しの罠といい、そこにちりばめられたクリスタルといい、あらかじめそこには魔法がこめられている。

 考えられる可能性は二つ。オークの個体ごとに支配するためのクリスタルを持たせているか、祠の周辺全体に魔力の込められたクリスタルを配置して、それを通じてオークを動かしているのか。

 後者であれば、細かな支配はできないはずだ。エーテリアの人々が襲われたのは祠のすぐ近くではなく、セレスティア山の近くだった。ならば、個体ごとにクリスタルを持たせていると考えて間違いない。祠の近くのクリスタルが、セレスティア山の麓にまで及ぶわけがないからだ。

「……だが、どうしていつまでも魔力が尽きないのだ。定期的に魔力をここまで供給する魔法使いがどこかにいなければ辻褄が合わないじゃないか」

 リオンは立ち止まった。いつのまにか祠の近くまで来ていたことに気づいた。危うく敵の本拠地に無防備なまま突っ込んでしまうところだった。森にオークの見張りが立っている様子はない。祠を迂回するようにして、木々の影に隠れながらオークの住み着いた洞穴に近づいていく。昨日と同じように、入り口には誰も立っていない。

「おかしい」

 昨日の今日で、十分に警戒しているはずだ。だが、オークの気配が感じられない。おそらく眠っているのだ。そんな呑気なことがあるだろうか。オークの知能は人間にはるかに劣るとはいっても、状況が理解できないほど愚かではない。

 音を立てないように斜面に近づいていき、穴から見えない角度で崖をのぼっていく。慎重に、音を立てないように、入り口まであと数歩というところまで近づくと、リオンは懐のクリスタルを握りしめた。

「まだ大丈夫、大丈夫」

 魔力を使わずとも、アルディアンの力がそこにあると思えば、それだけで安心できる。それに、どこかでエメラルディアが見ている気がする。これは驕りじゃない、信じる力は、意志を、自制を助けてくれるのだ。

 入り口に立った。中でオークが眠っているのか、静かな地響きのような、ごうごうと鳴る音が聞こえた。いなくなったわけではないらしい。気のせいか、昨日より入り口のクリスタルの数がずっと少なくなっている上に、魔力もほとんど感じられない。

「セイルド・エクリプス」

 リオンは結界の呪文を唱えた。結界返しの罠があるとわかっているなら、それを出し尽くさせてしまえばいい。こっちにはいざという時のアルディアンのクリスタルがある。それまでは、なんとか一人の力で。リオンのその考えは変わっていなかった。

 白い光が糸を編み、蜘蛛の巣のようになって入り口を塞いでいく。前回よりもずっと弱い結界にした。どうせ破られてしまうなら弱くてもいいと思ったからだ。

「……あれ」

 結界が破れない。結界返しの魔法が解かれているのだ。

「セイルド・エクリプス」

 リオンは結界を重ねがけした。弱すぎる結界ではオークに破られてしまう。さっきよりも強くかけた。

「やっぱり、おかしい……」

 結界返しの魔法が解かれているだけでなく、周囲のクリスタルから魔力の反応が一切なかった。魔力を使い切ったのか、あるいは誰かが回収したのか……。

「連中はすでに気づいている?」

 結界を張られたことにようやくオークたちが気づいたのか、穴の中が騒がしくなっていた。だが、そんなことに構ってはいられない。すぐにでもアルディアンに知らせるべきだ。このままではエーテリアとシャドウフォージとの間で一悶着起こりそうだった。あるいは、それを望む誰かがいるのか

 オークたちが入り口まで辿り着いた頃には一足遅く、もはや彼らにその結界を破る術はなかった。エメラルディアだったらこのオークたちをどうするだろうか。自分が助けられたように、オークたちですら救ってしまう気がする。このオークたちだってもはや危険はないのかもしれない。しかし、自分一人でその判断を下すことはできない。結界はそのままにして、リオンはその場を立ち去った。


 来た道を戻った。途中、エメラルディアの家へと続く細い、樹々の隙間の道を横目に見たが、まずはアルディアンに伝えるのが先だと思い、一瞬だけ落とした速度をまたすぐに速めた。

 ぐにゃぐにゃと曲がりくねった道を戻ると、御影石の道標がある。ようやく戻ってきたのだ。風が吹き、森の梢からやわらかな光が糸のように垂れ下がって揺れていた。エメラルディアの髪のようだ。光を透かした淡い緑の葉は、あの瞳を思い出させる。森を出てしまうのが惜しい気がした。そんなことを考えている場合ではないはずなのに。

 森を出て、『立ち入るべからず』と古代文字で書かれた立札を通り過ぎてしばらくまっすぐ歩けば、よく知っている街道へとぶつかる。そこからさらに西へと進んで一時間ほどのところにエーテリアの街の入り口があった。門のところでミルドレッドとすれ違った。彼は村一番の商人で、シャドウフォージとも無関係ではない立場だ。クリスタルの件でなにか知っているかもしれないと思いつつも、やはり先にアルディアンに伝えなければ、と思う。ミルドレッドが「ごきげんよう」と挨拶すると、リオンはそれに早口で「あとで話したい」といって、すぐに去った。ミルドレッドは目を丸くして、去っていくリオンを見送った。

 アルディアンの家は西の外れの、小さな雑木林の中にあった。そこには胡桃や柘榴、柿、林檎、枇杷と様々な樹木が植えられていて、彼はそれらを用いてよく薬を作り、村の人と食料や衣服などの生活に必要なものと交換していた。中でも、セレスティアル・スターと呼ばれる木の実は特別で、魔力を肥料として与えなければ実をなすことはないといわれている。その実が、ちょうど一つ低いところになっていた。リオンはそれをもぎ取ると、走りながら一口かじった。

「師匠!」

「ああ、リオンか。早かったなあ、もう終わったのか」

「師匠、どうやらオークは魔法をかけられていたみたいです。オーク自身が悪さをしていたってんじゃなくって、背後には別の誰かがいるかもしれません」

「……そうか」

「きっとシャドウフォ——」

「まあ待て、慌てるでない。無闇に誰かの責任にしては悪い。それに、村外れとはいえ、誰が聞いてるともわからんじゃないか」

「すみません。……でも」

「とりあえず落ち着かんか。座れ。座ってなにがあったのか、順番に、ゆっくり話すのじゃ」


 リオンは昨日と今日で起こったことを話した。順調に祠に辿り着いたこと、オークの棲みついた穴には結界返しの罠が仕掛けられていたこと、崖から落ちたこと、エルフのエメラルディアに助けられたこと、今朝にはもう結界返しの罠が解かれていたこと。

 アルディアンは話を聞くと、うーん、と低い声で唸った。

「まず第一に、お前は昨日とか今日と言っているが、まだお前が家を出て一日と経っておらんぞ。それと、エルフに出会ったと言ったが、その名は確かにエメラルディアで間違いないのか」

「……一日と経っていない? どういうことですか。エルフの家で一晩過ごしたはずですが」

「ほれ、暦を見てごらん」

 水暦と呼ばれる、水の蒸発と魔力のバランスで日の進みを測る道具がある。その目盛りを見やると、確かに、まだ一日と経っていないどころか、数時間しか経っていないではないか。リオンは混乱した。

「お前が出会ったのはエメラルディアで間違いないか?」

「ええ、そうです。翡翠色の瞳のエメラルディアです。『秋の葉のような金色の髪、風のような軽やか歩み、翡翠の瞳に宿る森の囁き』という師匠に教えてもらった詩を思わず口にしたくなるような、そんなエルフでした。自分にとても親切にしてくれたのに、こうして恩返しもせずに急いで帰ってしまったのですが、一件が終われば、すぐにでもお礼に参りたいと思っています」

 アルディアンは何か難しいことでも考えるように眉をしかめてから、顔を伏せた。そして手を腹にあてると、湯が沸くようにくつくつと笑い始めた。リオンが不思議そうにその様子を見ていても、笑いは大きくなるばかりだった。

「師匠、なにがおかしいんですか。事態は一刻を争うんですよ!」

 リオンは腹がたった。緊急事態に師匠が呑気でいるのも、まるで自分の言葉が真剣に受け取られていないように感じた。

「わかっておる。だが、お前はエルフに一杯食わされたのだろう。いや、お前だけじゃないな、わしたち人間が一杯食わされたといったほうがいいだろうな。おそらく、オークなんて初めからいなかったんじゃよ」

 リオンにはアルディアンのいっていることが今ひとつわからない。オークは確かにいたし、シャドウフォージが裏で画策しているのだって明らかではないか。

「お前、もうひとっ走りする体力は残っているか」

「……ええ、まあ」

「では、ミルドレッドに追いついて言伝を頼む。あるいは、ミルドレッドに連れ立ってシャドウフォージまで赴いても構わないだろう」

「彼は今からシャドウフォージへ向かうのですか?」

「そうだ。商売ついでに、近頃巷で耳にする噂の真相を確かめてもらおうじゃないか。シャドウフォージが本当に反映しているのか、クリスタルをみだらに掘り荒らして富を築いているのか。どんな悪党でも商人のミルドレッドの目は誤魔化せまい」

「……わかりました。言伝、ミルドレッドに届けます」


「あいつは古くから知己の仲じゃよ」

 ミルドレッドに言伝を託し、アルディアンの小屋に戻ったリオンは、いかにもいたたまれない様子で隅の椅子に腰掛けていた。その様子を気にするでもなく、アルディアンは昔話を始めた。

 アルディアンの話によると、五十年以上も前にまったく同じような出来事があったのだとか。アルディアンが魔法使いになったばかりのころの話だ。師エルミン・サイルバークロウによる命で、アルディアンは森の奥に住み着いたオーク退治に向かった。

「まるで一緒ではないですか」

「ああ、そうだ。それでだ——」

 リオンがしくじったように、アルディアンも同じ過ちを犯した。自らの力を過信したアルディアンはオークにひどくこらしめられ、そこをエルフに助けられた。そのエルフの名前が——。

「エメラルディアなんですか!」

「そうじゃ。あやつ、久方ぶりに名を聞いたかと思えば、まだそんなことをしておるのか」

「でも、悪いエルフには見えませんでしたが」

「そうじゃ。彼らには悪意というものはない。善意がないのと同じようにな。彼らにとっては善し悪しなど問題ではなく、森と、その調和だけが価値なのだ。アルモニウスが象徴するものと同じなのだ。調和は、厳密には均衡とは異なる。音楽を思え。詩を思え。それは、そうしたものと根を同じくするものであり、量や質とは無関係に生じる。また、してやられたな」

「……どこからがエルフの魔法で、どこからが自分でやったことなのでしょう?」

「どれが夢で、どれが現か、という話か。それはわしにもわからんわ」

 村一番の賢者と名高いアルディアンには珍しく、彼は声をあげて笑い出した。リオンもつられて笑う。そんな馬鹿げた話があるものか、でも実際にあったのだ。この世界は魔法で溢れている。魔法は嘘に満ちている。夢と現実と魔法を区別する術が何一つとしてないならば、今こうして見ている現実だと思っているこれだって、エルフの見せる幻かもしれないじゃないか。

「あはは、まったく、馬鹿げていますね」

「ああ、馬鹿げておるじゃろう。ま、ミルドレレッドからの知らせを待とうじゃないか。きっとそれはまた、わしらを大いに笑わせてくれる知らせとなるだろうよ」

「ええ、きっと、そうなると良いですね」

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