リオンと森のエルフ③

 パキンッ、と木の弾けるような軽い音で目が覚めた。暖炉にくべられた薪が、勢いよく割れる音だ。リオンは枕元の循環水時計に手を伸ばした。淡い青はまるで東雲のような弱い光を放っている。朝だ。

 エメラルディアはとっくに起きていたようで、すでに朝食の準備が済ませてあった。

 ふと、リオンの頭に昨日の質問がよぎる。

「どうしてあのクリスタルを肌身離さず持っていなかったのか」

 詰問するようではなかったが、リオンにその事実を突きつけるには十分すぎる言葉だった。はっきりと答えないまま眠ってしまったため、顔を合わせるの少しだけ気詰まりだった。

 リオン自身よくわかっていた。アルディアンのクリスタルを懐に忍ばせていればきっと罠にだって気付いたし、結界返しにあわてて崖の中腹から落ちることなどなかったはずだ。わかっている、慢心と驕りが生んだ過ちなのだ。

「おはよう、リオン。よく眠れたかい」

「おはよう、エメラルディア。おかげさまで、身体もだいぶ軽くなったよ」

 そう言ってみてから、全身の痛みがほとんどなくなっていることに気づいた。エルフの育てる光茸や森の植物には特殊な力が備わっていると聞いたことがある。よく眠れたのも回復しているのも、そのおかげかもしれない。

 リオンはベッドから起き上がると、そのまま縁に腰掛けた。脇の戸棚にパンとスープが用意されていた。エメラルディアに促されると、リオンは小さく会釈してから、パンを口に運んだ。

「で、今日はどうするつもり?」

「もちろん、まずはオークをどうにかしなきゃ……でも」

「そう、結界を張って封じるってんじゃ上手くない。一度やって失敗しているんだからね。で、なにか他の計画はあるの?」

「それは……」

 リオンはパンを口に含みながら思案する様子を見せた。考えがまるでないわけではなかった。

 アルディアンのクリスタルを使えば、自制心と意志とでもって祠の力を、アルモニウスの力を借り、罠よりも強い魔力で結界を作ることができるだろう。これには危険が伴う。もしリオンの限界よりもずっと強い魔力で罠が仕掛けられていたとしたら、一度目と同じ轍を踏むことになる。

 エメラルディアの助けを借りられるならば、それも一つの手段だろう。エルフが戦いにどこまで向いているかはわからないけれど、どうやら魔力は満ち満ちている。リオンよりも、あるいはアルディアンよりも強い魔力を持っているかもしれない。

 奇襲をしかけるというのも考えてみたが、そもそも一度目で失敗しているのだから、それは難しい。オークといえでも今は警戒しているはずだし、もしかしたら森の中に見張りだって立てているかもしれない。そうなれば不利なのは攻め入るこちらのほうであって、彼らではない。

 リオンはおもむろに話し始めた。

「クリスタルの力に頼ろうかと思ってる。オーク、というよりシャドウフォージの連中だってクリスタルで罠を張っていたんだ。こちらも自らの魔力だけじゃちょっと頼りない。本当は使う気なんてなかったけど……こうなったら他に仕方ないから」

「昨日も聞いたけど、どうして使うことをためらうの? それだけの魔力があればオーク退治なんて簡単な仕事だったと思うけど」

 エメラルディアは手を止め、リオンに向かって真剣な表情で訊いた。リオンを揶揄う様子はまるでなく、また、咎めるようでもない。リオンの言葉を、その尖った耳をピンと立てて、しっかり聞こうとしているのだ。

 リオンはエメラルディアの翡翠色の瞳を見た。森の声が聞こえる。やはり、どうしたって気の置けないエルフだった。その瞳で真正面から捉えられると、正直に答えずにはいられなかった。

「自分一人の力で成し遂げたかったんだ。見習い期間が終わったとはいえ、まだ師匠には遠く及ばないから……。自分の力で依頼を完遂できるってことを証明したかった。証明して、師匠を喜ばせたかったんだよ」

 それを聞いたエメラルディアはふっと笑みを漏らした。なんとなく懐かしい笑顔だった。

「大丈夫だよリオン、君はまだ若い」

「……なんだよ。エメラルディアだってそんなに歳は離れていないくせに」

 エメラルディアは少し驚いて見せてから、また静かに微笑んだ。子供を見守るシルヴァンクロークスの母親のような、真に優しい瞳をしていた。

「君は知らないのかい。エルフってのはねえ、歳を取らないんだよ」

「あっ」

 目の前のエルフを十六、七歳くらいの少年だと思っていた。アルディアンからそんな話を聞いたことがある。そもそもエメラルディアは男だろうか、女だろうか。あんまり美しいものだから、そんなことすら気に留めやしなかった。リオンは随分と失礼をしてきたんじゃないかと思い、急に恥ずかしくなった。

「大丈夫だよ。僕らの世界の考えでは年齢で優劣を決めるようなことはないから。だから、僕が君よりも偉いなんてことはないんだよ、リオン。君はアルディアンにそう教わらなかったのかい」

「そっか、でも、ごめんなさい。助けてもらったっていうのに、ずっと失礼なことしていたかもって思って」

 リオンはなんとなく違和感を覚えながらも、笑みを見せるエメラルディアにつられるように、ふっと笑いを漏らした。


 朝食を終えると、リオンは戦いの準備を始めた。ブーツを履き、ナイフを腰に備え、ローブを羽織った。もちろん、アルディアンのクリスタルは懐に入れた。木製の扉を開けると、朝の森のしめったにおいがするのがわかった。

「今日も気持ちがいいね」

「うん」

 エメラルディアがほんの少しだけ先を行き、二人は連れ立って歩いた。昨日足を踏み入れた時とは違い、森は賑やかだった。虫や鳥の気配、どこかで流れる水、梢を揺らす風、葉擦れの音。昨日は緊張のせいで聞き逃していたのか、それとも、エルフとともに歩いているからだろうか。

 リオンは朝の光に照らされるエメラルディアの髪が、ほとんど空気に溶けてしまいそうなくらいに輝いているのを見た。川の水のように澄んでいた。吸い込まれるように後について歩いた。不意に、エメラルディアが足を止め、振り返った。

「さあ、僕が案内するのはここまでだよ。もう、ここからの道はわかるだろう。無事に仕事が終わったら、帰りに寄って行ってよ」

「うん、ぜひともまたお邪魔するよ」

 祠までの道のりは明らかだった。昨日と道はまるで変わっていたけど、樹々の開かれた通りに進んでいけば辿り着くはずだ。エメラルディアと一緒に歩いていたせいか、そういうことがわかるようになっていた。リオンは足を踏み出し、そしてすぐに気づいた。鳥の声が消え、風もなくなった。振り返ると、そこにエメラルディアの姿はもうなかった。

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