第30話




 闘技場は遮魔で作られている。つまり魔力が感知できない、地下から斬撃が放たれたとしても。


 恐らくマモンが地面に響かせた攻撃が合図となっていたのだ。


「…………ッ!」


 遠目から見ていたイーリス達の顔は驚愕に染まり、レオンの死を覚悟した。


 ヴィネは闘技場の地下を思い出して後悔する、詳しく調べようとしなかったことを。


 人通りの多い剣武祭なら、忌み子を自然に闘技場まで運べる。そして劣勢になれば闘技場に相手を誘き寄せ、真下から不意打ちすることも可能だ。


 騎士団は人の多い場所で派手な戦いを好まない。であれば、人が集まる闘技場近くで戦いは避けるはずだ。


 つまり闘技場なら安全に忌み子を潜ませられる。


 だが大魔術の規模を考えると、かなりリスクの大きくてリターンが少ない策だ。


 そして馬鹿みたいに大胆過ぎる策であり、オロバスがいたなら必ず止めていたはずである。


 馬鹿の思いつきで窮地に追い込まれ、イーリスとヴィネは言葉を失った。


「く……!」


 レオンは全身から血を流し、足の肉は骨が見えるほど削ぎ落とされていた。


 傷に構わず炎を撃ち放つが、剣は砕かれて構築も乱れている。


 威力が激減した炎など、マモンは容易く炎を斬り裂く。


「…………ッ」


 レオンは下から迫りくる複数の気配を察知し、眉間にしわを寄せる。


 深手を負った今、レオンの纏う魔力は僅かに乱れている。そこにマモンは容赦なく絶空を浴びせ、レオンは全く対処できなかった。


 体感時間が引き延ばせなくなれば、斬撃を上手く受け流せない。


 この状況で全方位から斬撃を叩き込まれたら、レオンは確実に死ぬ。


 勝利を急いで油断したなと、マモンは容赦なく剣を振るった。


「――――ッ!!」


 霞む視界でレオンを見つめ、レイラは嫌な予感に胸を締め付けられる。


 レジーナは言っていたのだ、足を負傷すれば圧倒的な不利に陥ると。


 レイラが兄の名を叫ぼうとした瞬間――眩い光が一帯を染めた。


 二度目の不意打ちと大魔術。


 大魔術は連発できないという長年の常識が、マモンの思考を鈍らせていた。


 その上、雷属性は初動が速い。


 殆どの者は間合いを見誤り、僅かながら対処が遅れてしまう。


 重傷を負っているが、それでもマモンの方が魔力が高い。土壇場とはいえ、冷静に彼は魔術を発動して死を免れた。


 しかしマモン以外の魔族は雷で跡形もなく消滅する。


 勝利を急いで油断したなと、レオンは拳を引く。


「――――ッ!!」

 

 拳が直撃する。マモンは両腕と胸の骨を砕かれた。


 剣と異なり、体に纏わせた魔力は殆ど乱せない。だからこそ体術による攻撃は魔力を受け流しても防げず、マモンは体内に深い傷を負う。


 しかし彼はレオンの打撃を想定していた。


 骨を砕かれながらもマモンは、あえて踏み止まらず吹っ飛ぼされる。


「ごは…………!」


 レオンは口から大量の血を吐いた。彼が負った傷は真下から受けた斬撃だけではない。


 オロバスのようにレオンは斬られながら大魔術を発動させていたのだ。


 マモンの攻撃は臓器を貫いていたらしい。全身から血の気が引き、視界が橙色に染まる。


 脳裏に死が過ぎり、手の感触がじわじわと失われていく。


 大魔術で闘技場は地面ごと抉れ、消滅している。刃が失われた柄を落としながら、レオンは魔力で足場を作る。


 魔力が著しく低下し、肉を削ぎ落とされた足は満足に動かない。そんな中でレオンは心の底から安堵していた、この戦いは自分の勝ちだと。


「ははは……!」


 勝利なんて幾らでもくれてやると、マモンは全力で駆けた。空気を蹴るより、足場に魔力を込めて走ったほうが早い。


 瓦礫の山や建物を足場に彼は加速していく。


 レオンの魔力が低下したことをマモンは感知している。これなら後ろから魔術を撃たれても貫通は避けられると判断し、堂々と真っ直ぐ突っ切る。


 彼はレオンに止めを刺さない。


 重傷を負っているのはマモンも同じであり、範囲を制限して攻撃されたら怖い。


 それに深追いすれば殺されることを、マモンは先程の打撃で予感していた。


 後ろから迫る魔術に備え、薄く炎を纏おうとした。だが――レオンから放たれたのは魔術ではなく、絶空であった。


 強烈に打ち込まれた拳によって、マモンの纏う魔力は未だに乱れていたのだ。


 その小さな隙をレオンは見逃してくれなかった。


 真後ろから刺されるように、マモンは絶空を直撃してしまう。


 これにより彼は体感時間を引き伸びせなくなった。


 だが焦りはなく、顔色一つ変わらない。既に彼は思考を放棄し、予め出した逃走という結論に従って行動していた。 


 体感時間に関わらず、走り抜けるという選択は揺るがない。


 薄く炎を纏うと、このまま駆け抜けようと力強く踏み込んだ。


 その時だった、周囲が氷の景色に変化したのは。


 容易くマモンは氷漬けにされた。これはレオンから放たれた大魔術である。


 水の魔術は殺傷能力が乏しい。だが防御と拘束に特化している。マモンの纏っていた炎は一瞬のうちに消え失せていた。


 それでもマモンに焦りはない。彼は既に理解しているからだ、これ以上レオンが大魔術を連発できないことを。


 短時間に同じ属性は連発できない。だったら恐れるべきはレオンではなく、イーリスやヴィネだとマモンは判断する。


 纏っていた炎の力で体内は凍っていないので、彼は即座に魔力で氷を割って脱出する。


 そして気づく、後ろから迫る気配に。怖気が走ってマモンは振り返ると、そこには氷の破片を握ったレオンの姿があった。


 大魔術を放つと同時にレオンは駆け出したのだろう。氷漬けにされていたマモンでは、迫りくる魔力の気配に気づけなかったのだ。


「…………ッ!」


 レオンは掴んでいた氷の破片を剣に変え、勢いよく地面に突き刺す。


 恐ろしい錬成速度と技の冴えに目を奪われながら、マモンは死を受け入れた。


 そして彼は理解する、足に傷を負ったレオンが動けた理由を。


 魔力は筋肉に近い。その性質を利用し、魔力で筋肉を代用したのだ。それは単純で確かに理論上は可能だが、決して容易い芸当ではない。


 簡単にできるのなら、誰もがやっている。


 類稀な才能を持つイーリスですら、負傷した足を魔力で補うなんて不可能だ。


 訓練すれば何とか習得できるかもしれないが、土壇場で成せる技ではない。


 それくらい非現実的なことをレオンはやってのけたのだ。


「く……、そ……!」


 周囲の氷や建物ごと、マモンは斬り裂かれた。


 肉片と化す中で彼は笑う、レオンが言っていた『凡人と天才の差を教えてやる』という言葉を思い出して。


「うぐ……」


 大量の吐血を口から垂れ流し、レオンの視界は暗く狭まる。


 顔の向きが自然と下がり、彼は自分の口から流れ落ちた血を見つめる。


 心臓の近くを負傷している所為か、血が止まらない。ドクドクと鼓動が早まる。


 回復に専念すれば死にはしないだろう。


 だが、意識が薄れる状態では精神的に辛い。全身から血の気が引き、嫌な汗が流れる。


 もう立つことすら面倒で、レオンは両膝を突いて胸を押さえる。


「兄様……!」


「レオン……!」


 駆けつけたアリスとレイラが、悲鳴のように叫んだ。


 イーリスは両膝を突き、真正面からレオンを抱き締めた。


 吐血で汚れることなんて構わず彼女は、体を押し付ける。「随分と暴れましたね……」と悪戯の様に微笑して、彼女は魔力でレオンの自然治癒に助力する。


「…………」


 本当は笑い返して軽口を言いたかった。だがレオンは朦朧とする意識の中で、声を発する気力すら残されていない。


 意識を手放せば死ぬ。だから全力で意識を保つことを考え、魔力の制御に集中していた。


「……呼吸が浅い。きちんと息を整えなさい。魔力の制御に集中しすぎです」


 男が嫌いだ。それでも抱き寄せたら安心できると、イーリスは目を伏せる。


 レオンは他の男と違う。


 イーリスの中で小さな信頼が芽吹いていた。


「…………」


 レイラとヴィネはレオンを信用していなかった。しかし血塗れで苦しむ小さな少年の姿を見て、彼女達は自分の浅はかさを痛感した。


 ここまでしてくれて、初めてレオンを信用する気になったことに、彼女達は自己嫌悪する。


 彼女達は恐れていたのだ、レオンの底知れない才能を。結局、レオンの過去など言い訳に過ぎない。


 自分達が太刀打ちできない存在が恐ろしい。だから出る杭を打ちたくて、相手を悪者に仕立て上げていた。


 恐らくカーヴェルを裏切った者達も、同じ気持ちを抱いていたのだ。


 それを自覚した彼女達は、恥ずかしさと罪悪感で目を伏せる。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る