エピローグ 姉の親友(=現役の超人気声優)と、一緒に暮らしてます。

 姉の親友と、一緒に暮らしている。


 親友の名前は千川詩織せんかわしおりさん、29歳。

 相手のたっての希望で、しーちゃんと呼ばせていただいている。

 

 しーちゃんはおっとり系美人の皮を被った最強メンタルのつよつよお姉さんであり、不動の超人気声優・霧山きりやまシオンその人である。


 ――そんなしーちゃんに俺はいま、耳かきをしている。


「しーちゃん、どう? かゆいトコない?」

「……ん。もっと奥……。ハルくんの太いので、入り口の壁を、引っ搔いてくれたら……」

「んー、ここ?」

「あっ♡ いい……、そこぉ……」

「…………」


 都内にある3LDKのマンション。

 そのリビングで、すっぴんにスウェット着用&ヘアバンドを雑に巻いたしーちゃんが、俺に膝枕をされながら横になっている。


 しーちゃんの注文どおり、耳かきで耳の穴の入口をほじる。

 

 おっ、取れた取れた。

 カサカサに乾いた白いのを、広げていたティッシュに捨てる。

 よし。左耳は大丈夫だな。


「じゃあ、反対側の耳をやって――」

「ハルくん!」


 俺の膝枕で気持ちよさそうにしていたしーちゃんがガバッと起き上がる。

 綺麗なアーモンド形の目を吊り上げている。

 めちゃくちゃご立腹のようだ。


「……ちょっとは反応してくれてもよくないですか?」

「なにが?」

「私の! 声に!」


 抗議するようにバンバンと膝を叩いてきた。


 叩きすぎ。

 めっちゃ痛い。


「天下の霧山シオンの喘ぎ声だよ! お金が動く声だよ! もーちょっとありがたがってもよくない!?」

「商売道具の安売りはよくないと思うけど」


 昔ならいざ知らず、いまとなってはすっかり耐性もついてる。

 いちいち反応するには慣れすぎてしまった。

 

「ほら。しーちゃんの声がすごいのはよく知ってるから。反対側を向いてねー」

「……ハルくん。最近、私への扱いが雑になったよね」

「しーちゃんも、昔みたいな年上お姉さんムーブしなくなったよね」

「……おばさんになったって言いたいの?」

「じゃなくて、遠慮がなくなった」


 しーちゃんは昔のように笑顔の仮面を被ることはなくなり、いろんな感情や気持ちを素直に吐き出すようになった。


 彼女のそんな変化をとても嬉しく思ってるけど、ちょっと困ったこともある。


「……ハルくん。なにニヤニヤ笑ってるの?」

「笑ってないよ。気のせいじゃない?」

「どーせ、さっきの私の声でエロい妄想してたんでしょ。このむっつりえっちマン」

「誰がするか」

「えいっ」

「!?」


 いきなり俺の股間を掴んでくる。


 こっそりライジングしてたジュニアに触れたしーちゃんはジト目でこちらを見た。


「このムッツリえっちマン」

「……こ、殺してくださいっ」

「そうだなー。どうしてくれようかなー」


 なんだか楽しそうに鼻歌を口ずさみながら、ふたたびしーちゃんは俺の膝に頭を置いた。


 ……たぶん気のせいだろうが、しーちゃんの振る舞いが時折、姉と重なることが増えているように思える。


 姉も今は小児科医として忙しく働いており、多忙なしーちゃんとはめっきり会う機会も減ってるはずなのに。


 まぁ、いいか。


 しーちゃんが楽しそうであれば。


「あ、『情熱列島』、そろそろ始まるんじゃない?」

「おっと。そうでしたそうでした」


 リビングのテレビをつける。

 番組の開始を告げるバイオリンのソロ曲と共に、アフレコブースに立つ女性の姿が映し出される。


 ショートヘアのウィッグに、吊り目のメイクをした女性。

 番組のナレーションが始まる。


『霧山シオン。いま、業界を躍進する若きエース声優。押しも押されもせぬ、超人気声優である』


 カメラは収録に挑むしーちゃんこと、霧山シオンをとらえ続ける。


『透明の声の持ち主、数多の世界を生きる声優と、様々な評価をされるが、これまでメディア取材に応じることはほとんどなかった。今夜はそんな超人気声優・霧山シオンの素顔に迫る』


「……なんでこんなに超人気声優を連呼してるの?」

「番組側に頼んでたの。大事なとこだから、このワードは使ってくださいって。万智さんにあとで叱られたけど」

「万智さんのてを煩わせちゃダメよ。あの人、事務所のえらい人なんでしょ?」

「役員だけど、いつも現場にいるよー。いっつも新しいプロジェクトを立ち上げてて忙しそう。……わっ、すごい。『超人気声優』、トレンド入りしてる」


 しーちゃんは番組を見ながら、スマホでSNSを追いかけている。


 まさか取材班の人たちも、すっぴんにスウェット着用&ヘアバンドを雑に巻いたしーちゃんと、堂々と取材に応じる霧山シオンが同一人物だとはきっと思うまい。


「あ、この衣装。こないだの『アイドライブ』の武道館ライブ?」

「そうそう。久しぶりだったから、順番大変だったけど。盛り上がってよかったなー」

「たぶん、最前列に市原もいるな」

「乃亜ちゃんが!? えー、言ってくれたら関係者席を用意したのに」

「聞いたけど、そういうのは自分で取るからいい、って断られた」


 市原も在学中にベンチャーで起業して、忙しいはずなのに。どうやって時間を捻出してるんだか。


 ライブの映像も終わり、今度は打ち合わせをしているシオンが映る。


『業界トップを走る霧山シオンだが、6年前、病気療養のため、休業に追い込まれたことがあった』


 ナレーションが休業時の話に差し掛かる。

 しーちゃんは素知らぬ顔でスマートフォンのほうを眺めていた。


『半年の休業を経て、劇場版アンセム×コードの大ヒットと共に復活を遂げたのは、関係者の間でも語り草になっている。しかしシオン本人は引退も頭の片隅に付き纏ったという』


 カメラの前で霧山シオンが笑う。少し恥ずかしそうにしながら、シオンは取材班の質問に答えていた。

 

 Q:休業当時、なにを思っていた?


『あの頃は、もう終わったと思ったんですよ。だけど、親友に助けられて、無理やり起こされまして。自分の原点を思い出せたんです』


 Q:休業前と後、変わった実感は?


『自分を支えてくれるモノが何かは昔よりもハッキリ見えるようになったと思います。本質は何も変わってないですけどね。うん、でも、おかげで大切なものは思い出せたんです。だからあの仕事ができなかった時間は、自分にとって必要な時間だったと思ったんですよね』


 あの約束を交わしてから6年。


 声優に復帰後のしーちゃんは、本人が懸念したとおり、なかなかオーディションが通らない日々を過ごしていた。


 一度、病気で倒れた声優を使いたがらないチームも少なくなかったという。

   

 それでもしーちゃんはめげなかった。


 風向きが変わったのは、劇場版アンセム×コードのヒット、そして『アイドライブ』におかる東上エレンの復活ライブでの大盛況である。


 これにより、霧山シオンは逆境から復活を果たした声優として注目を集め、怒涛の快進撃を続けた。


 超人気声優になるのにそれほど時間はかからなかった。

 俺たちは結局、爆弾を使うことは一度もなく、3年くらい前からふたたび一緒に暮らすようになった。


 そして、まー、面倒な手続きはさっさと先にやっておこうか、くらいの軽いノリで、婚姻届を提出したのだ。


 まだ『超超超人気声優』にはなれていない。しーちゃんの旅はまだ続いている。


 画面で、シオンはアフレコを続けている。


 最近人気のアニメでSNSでも話題になっていたシーンだ。


 熱演する姿を演じるシオンを眺めていたとき、急に肩に重みを感じた。


「しーちゃん、寄りかかるのは行儀が悪い」

「いいでしょ? 私、この位置が好きなんだから」


 全体重を預けて寄りかかってくるしーちゃん。俺は寄り掛からせるままにする。


 たまにしーちゃんはこの体勢になる時がある。こうなると俺は身動きが取れなくなり、支え棒の役割をするしかなくなってしまう。


 だけど、それが全然イヤではなかった。

 

 体重を預ける無防備なしーちゃんの有り様に、限りない信頼を感じるから。


「ここまでありがとうね。ハルくん」

「なんの、なんの。まだまだ旅の途中でしょ」

「そうだね。私も、ハルくんも、旅の途中だ」


 やがて番組が終了する。


 しーちゃんは俺の肩を頭で小突き、戯れる猫みたいに頭を擦り付ける。


 俺はしーちゃんの額に唇をつけ、うなじを撫でた。

 最近のしーちゃんのブームである。


「ふふふ、ふふふふっ」


 画面の霧山シオンが凛々しい表情で演技をするのとは対照的に、しーちゃんは蕩けるよう笑顔を浮かべていた。


 そんな彼女に向かって、ふと俺は思いつきで呼んでみる。


「なんて顔してるんですか――詩織さん」


 しーちゃんはパチクリと目を瞬かせた。

 それから、ツボに入ったように笑う。


「詩織さんって。また懐かしい呼び方だね」

「俺も久しぶりに使った。違和感がすごい」

「不思議だよね。6年前は、しーちゃんって呼ぶのあんなに嫌がってたのに」

「子供の頃は、しーちゃん呼びなんだから、元に戻っただけなのにね」


 俺たちは変わる。

 関係性も、呼び方も変わる。

 互いに対する接し方も、感情の表し方も。


 だけど、変わらないと確信できるモノもある。それが何か、今の俺たちは知っている。

 

 視線を絡ませ、微笑みあいながら、俺たちは接近し、どちらからともなくキスをした、


「……キス、上手くなったよね」

「誰かさんが、キス魔なせいだよ」

「そういう誰かさんは今も昔もおっぱい星人だけどね」

「触られるの、好きなくせに」

「そんなことないし。……あ、コラ」

「エロ声の演技で挑発してくるしーちゃんが悪い」

「やっぱり、あてられてんじゃん。もうっ。こうなったら、いっぱい跡をつけてやる」


 と、お互いの身体をまさぐりあっていたその時である。


 いきなりスマートフォンが鳴った。

 しーちゃんのスマホだ。


「……、……、……、……」

「しーちゃん。一旦中断。仕事の電話かも。待たせるのは相手に悪いよ」

「……はーい」


 渋々俺から離れたしーちゃんはスマートフォンの通知を見て、目を見開いた。


「どうしたの?」

「……鈴香ちゃんからだ」


 しーちゃんは嬉しそうにスマートフォンを手に取り、電話を始める。


「もしもし、鈴香ちゃん。どーしたの? ……えっ、番組見てくれたの。ありがとう。なんか、自分の姿が地上波で映し出されるのって恥ずかしいね」


 楽しそうに、しーちゃんは話を続ける。


 鈴香ちゃん。

 彼女はしーちゃんの歳の離れた妹である。


 いま、鈴香ちゃんは母親の元を離れて、里親のもとで暮らしている。

 

 こんなふうにしーちゃんが彼女と笑って話せるようになったのは、つい最近のことだ。


 まだ今でもぎこちなさが残ってるけど、それもいつか時間が解決してくれることを願うしかない。


 と、そこで俺のスマホにまで通知が来る。

 姉からの通話だ。


 まだ、しーちゃんは鈴香ちゃんと電話をしている。邪魔をしないよう、俺はベランダを出た。


「遥生ぃ。詩織いる? 電話かけても全然捕まらなくて」

「今、部屋にいるよ。鈴香ちゃんと電話で話してる」

「なんだ、そうなのか。てっきりリビングでヤってる最中かと思ってた」

「はははははっ」


 我が姉ながら怖い。

 野生の勘か?


 しかしこのタイミングで電話をかけてきた理由は大方予想がつく。


「『情熱列島』見たの?」

「おう。見た見た。あいつ、まだあんな格好で声優してるんだな」

「あれは鎧みたいなもんだからね。一生貫くかも、って話してた」


 詩織さんがもともと霧山シオンという芸名をつけ、あんなメイクをしたのは、子役時代の過去と切り離したかったかららしい。


 もう今は吹っ切れてるはずだが、霧山シオンのスイッチを入れるために、半ばルーティン化しているとのことだった。


「ふーん? 変なメイクしてんなぁー、って昔から思ってるけど」

「さぁ。なにか理由はあるんじゃない?」


 ちなみに俺はその理由を知っている。

 ある人物を参考にしたメイクらしい。

 が、それを本人には伝えないほうがいいだろう。


 もしかしたら、気づいてるかも知れないけど。


「そっちはどうなの? 今は離島に勤務だっけ?」

「おう。地元のユタとしょっちゅう揉めてるけどな。楽しくやってる」

「なんで、揉めることがあるんだよ」

「こっちには東京じゃ、想像つかないことがたくさん起こるんだよ」


 姉は笑いながら言った。


「忙しいだろうけど、たまには詩織と一緒にこっち遊びにこいよ」

「ん。わかった。しーちゃんのスケジュール調整できないか相談してみる」

「弁護士の卵さまと人気声優じゃ、調整も大変そうだな」

「そうだね。まだまだ慣れないことだらけだ」

「だけど、お前が弁護士って未だに実感ねーな。人助けとか興味ないと思ってた」

「法律は詳しいことに越したことはないからね。それに、何かあれば、しーちゃんを守れるかもしれないし」


 しーちゃんのそばにいた時、一番しーちゃんの力になれる職業は何かと考えたとき、浮かんだのが弁護士の道だった。


 大学在学中に死ぬほど勉強して、司法試験を突破し、ようやく去年、法曹の資格を得た。


 今はクリエイターの権利関係に強い弁護士事務所に所属している。 


 最前線で戦い続けるしーちゃんと違い、俺はまだまだスタートラインに立ったばかり。


 戦うのはこれからだ。


「へー。一丁前に言いやがる」

「何かあったら、相談してよ。家族割で弁護するから」

「調子乗んな、バーカ」


 そこで一瞬沈黙が降りる。

 やがて、姉は尋ねた。


「遥生。お前、いま幸せ?」

「えっ?」


 尋ねられた俺は反射的にリビングの方を振り返った。

 

 しーちゃんは電話で鈴香ちゃんと話し続けている。よほど盛り上がっているのか、表情をコロコロと変えていた。


「幸せだよ。これからもっと幸せになるけど」

「そっか。ならよし」


 姉は満足そうに言った。

 それから俺たちは他愛のない話をして、電話を切った。


「ハルくん、電話終わった?」


 ベランダを開け、しーちゃんがこちらを覗き込む。


「うん。姉さんからだった。テレビ見たってさ」

「ホント? あ、それで電話くれたのか。あとでかけ直そ」

「忙しそうだから、すぐじゃなくても大丈夫だよ」

「そっかー」


 しーちゃんは返事をしながら、もじもじと身をよじらせている。


 それなりに俺はしーちゃんと年月を過ごしている。こういう時の仕草の意味も了承済みだ。


 スイッチが入ったらしい。


「……とりあえずベッド行きますか」

「うんっ」


 しーちゃんは嬉しそうに頷き、俺の腕をとった。今日は何回戦までいけるだろ。


 そろそろ子供のことも相談しないと。


 

 旅の途中。

 俺たちはまだ、旅の途中にいる。


 これから先、どうなるかなんて全然わからない。俺たちも、世界も、めまぐるしく変わり続けているから。


 それでも、俺たちの約束は続いてる。


 一緒に暮らそう。死ぬまでずーっと。


 この約束が俺たちを縛り、生かし、幸福へ踏み出す勇気をもたらしてくれる。


 だから俺は今、ここにいる。

 しーちゃんの隣にいる。


「ハルくん」

「なに?」


 俺の腕を取っていたしーちゃんは、こちらに向かって笑いかける


 こっそり内緒話を打ち明けるように、耳元に顔を寄せて言った。


「愛してるよ」


 知ってる。



〈了〉



 ――――――――――――――――――――


 本編はこれにて完結です!


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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 また次の物語で会いましょう。

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姉の親友(=休業中の人気声優)と、一緒に暮らしてます。 久住ヒロ @shikabane-dayo

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