第30話 親友の弟と、続けたい関係。

 心臓の鼓動が一瞬で跳ねあがった。

 こちらの動揺を気取られないようにしながら、私は話した。


「どうしたの?」

「姉からLINEが来て。詩織さんが、大ピンチだって聞いてきたんですけど……」


 謀ったな、アサちゃん。

 すぐに私はなんでもないよ、と答えようとして、ハルくんと目を合わせた。


 久しぶりに見るハルくんの目は不安で揺れている。


 何をやってるんだ、絹田詩織。

 いまはごまかしてる場合じゃないだろ。


「ごめんなさいっ!」

「えっ!?」


 私は頭を下げたまま、まくしたてるように言った。


「ハルくんのこと、この頃、避けてた。でもハルくんがなにかしたとかじゃないの。こないだのことで私が勝手に気まずくなっただけで……。ほら、らしくない話をたくさんしたでしょ? それで恥ずかしくなっちゃって、はははっ。あー、違う違う。いまのは言い訳だよね。ええとね、つまりね……」


 言いたいことが全然まとまらない。

 ちょっと前までは毎週何本もラジオを掛け持ちしてトークをしていたのに。

 私、いつの間にこんなに喋るの下手になったんだろ?

 

 不甲斐なさと申し訳なさで頭がグルグルしている中――


「ええと、つまり……?」


 恐る恐るといった様子で、ハルくんは尋ねた。


「いま、詩織さんは別にピンチではない、ってことですか?」

「……うん。それはアサちゃんがハルくんをけしかけるために言っただけ」

「そうなんですか……」


 それを聞いたハルくんは心底安堵したような顔になった。


「よかったぁ~~~っ」

「……ハルくん?」

「詩織さんに何かあったのかと焦って……。何もないならいいんです、うん。詩織さんがいつもどおりで安心しました」


 ハルくんは優しげな眼差しを私に向ける。

 アサちゃんによく似た目つきなのに、ハルくんの視線はずっと柔らかい。


「それに、嬉しいです。またこうして話ができて……。俺、詩織さんにあんなこと言っちゃったから、怒らせたのかと思って――」

「ち、違うよ! なんで私が怒るの!」


 むしろ怒られるのは私のほうだ。

 私が勝手にハルくんを遠ざけて、振り回しただけなのだから。


「でも、こないだ無茶苦茶言いましたし。さすがに詩織さんが怒っても仕方ないんじゃないかと……」

「怒ってないよ、全然。……むしろ、嬉しかったよ」


 だって、ハルくんのくれた言葉で、私は前を向けた。

 

 仮面をかぶらなくてもいい、とハルくんは言ってくれた。


 顔立ちも、通底する価値観も、2人はよく似ているけど、全然違う個性の人間なんだと改めて実感する。


 そんなハルくんだからこそ、私は――


「……あー、そういえば、ピンチな件がひとつあったのを思い出した」

「え、なんですか!?」

「それはね――」


 ここで不意打ち、とばかりにハルくんの耳元に顔を寄せた。


「お腹がペコペコなの。一緒にご飯食べない?」


 ハルくんは漫画みたいにその場で飛び上がり、まじまじと私を見返した。

 いいリアクション。


「いきなり耳はやめてください! なにするんですか!」

「おっ、いい反応。ハルくんのその顔、久しぶりに見た」

「……また悪い癖でてません?」


 ハルくんは呆れたようにこちらを見ているが、その顔は真っ赤になっていた。


 相変わらずリアクションが素直だな。

 そういう点が好ましく思える。


「そんなこと言ってー。ハルくんもホントは好きでしょ? また今度、耳かきしてあげるから。あ、次やるときはダウナー系お嬢様とかどう?」

「だから、それは俺じゃなくて、詩織さんの趣味でしょ?」


 そんなツッコミを入れるハルくんだったけど、急にその顔が緩んだ。

 大人びた優しいまなざしを私に向ける。


「……なんかこんなふうに話すのも、久しぶりですね」

「だね。そうだ。『久しぶりに話せたぜ』記念に今日はウーバー頼んじゃう? 私が奢ってあげる」

「えー、いいですよ。俺が作りますから」

「たまには、大人の贅沢も味わいなって! ほら、下に降りよ」


 私は半ば強引にハルくんの背中を押し、下へと降りた。


 改めて後ろから見ると、肩幅があることに気づく。

 一見華奢に見える身体も背中は骨ばっていて、男の子の身体なんだと実感する。


 ごめんね、ハルくん。またからかったりして。

 でも、こうやって年上マウントを取らないと、耐えられそうにないの。


 油断すると、とっても恥ずかしい私の姿を見せてしまうことになりそうだから。


 昔のハルくんは、可愛らしい天使に見えた。

 ほんの少し前までは、健気なシベリアンハスキーみたいだと思った。

 

 でも、もうそんなふうにハルくんを捉えることはできないだろう。


 どうして、ハルくんと顔を合わせられなかったのか。


 そうだよ。わかってる。

 本当にしょーもない理由なのだ。


 私はただ、高鳴りが止まらないこの鼓動の正体に気づかないふりをしていたかっただけ。

 ハルくんの顔を見て、あまつさえ心配されたときに沸き上がった気持ちに名前をつけたくなかった。

 

 でもこの胸の高鳴りを感じていると、なんでもできそうな気がしてくる。

 あれだけ不安だった未来にも、希望を持てるんじゃないかと思ってしまう。


 まだ、この気持ちを言葉にはしたくない。

 だからそれまでは意地でも年上マウントを続けないと。


 穏やかな凪のように、私たちの関係を続けていくために。

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