第29話 親友の弟と、顔を合わせられない理由。

 ハルくんと“ひと悶着”あったあの日から数日後。


 万智さんから再び連絡があった。


「『アンセム×コード』のアフレコ? あれ、バラシになったんじゃないの?」

「制作側から申し出があってね。ピンでいいから収録できないかってオファーがあったの」


 ――『アンセム×コード』。


 私が初めて主演を演じた作品。

 棒演技と叩かれ、屈辱を味わったけれども、いまの私のベースになったと胸を張って言える思い出深い作品である。

 

 だから『アンセム×コード』の劇場版が決まったと聞いたときは死ぬほど嬉しかった。涙を流し、両腕をあげてガッツポーズをした。

 

 本当だったら、今月に収録が行われる予定だった。

 てっきり代役を立てて、収録が進むと思っていたのに。


「……ピンってことは抜き録り?」

「そう。ほかの共演者はなし。シオンのペースに付き合うってさ」


 抜き録りとは、共演者を交えず、自分の担当パートだけ収録する形式を意味する。


 システム系のボイス収録も行うゲームの収録現場ならいざ知らず、アニメの場合は共演者を交えて収録されることがほとんどだ。

 

『アンセム×コード』の劇場版も後者で収録体制が組まれていたはずだが、制作側は私の事情を鑑みて、わざわざ抜き録りを提案してくれたらしい。


 私に何があってもいいように。

 それだけ『アンセム×コード』には私が必要だと考えてくれているのだ。


「どうする? アンセムはシオンも思い入れあるタイトルでしょ?」

「そりゃ、そうだよ……」


 なんといっても初主演作なのだ。

 成長した自分の声で、新しいALICEを見せられる。そう意気込んでいた。

 もうチャンスは失われたと思っていたのに。

 向こうから手を差し伸べてくれた。


 こんなにありがたい話があるだろうか。


 私はすぐに答えたかった。


 ありがとうございます。

 絶対演ります。


 なのに、喉まで出かかった言葉がなぜか口から出てこない。


「……やっぱりキツい?」 

「違うの、万智さん。演りたいの。演りたい、って答えたいんだけど……」

 

 できるという確信が持てない。

 踏み出す覚悟がまだ持てない。

 

 それらの感情がないまぜに、私が一番発したい言葉を邪魔してくる。


 なんて私は弱いのか。

 あまりの自分の弱さに情けなくなってくる。


 ……けど、弱さにくじけてばかりもいられない。


 まずは自分の弱さを直視するところから始めないと。


「ゴメン。ちょっと時間が欲しい。演りたいけど、正直まだ怖さもある……」

「怖いのは発作のこと?」

「うん。マイクの前に立って、もしもまた台詞が言えなかったら……って想像が頭から離れないの」

「予期不安ってやつだね」


 万智さんは電話越しに考えこむように言った。


「シオンがいま不安なのはそれ? お母さんのことではなくて?」

「……あの人のことは考えても仕方ないから」


 あの人の顔を思い浮かべると、まだ心の柔らかい部分が痛む。

 しかし耐えられない痛さではない。


「確信が欲しい。もっと私はできるって確信が。私のことを気遣ってくれるのはありがたいけど、それ以上に私のためにスタッフのみんなに負担がかかるのが耐えられない」

「なるほどねぇ」


 ふむふむ、と万智さんは相槌を打つ。

 

「次のクリニックの診察はいつだっけ? わたしも付き添って話を聞くよぉ」

「うん、ありがと。まだ時間はあるし、焦らずにいこう」

 

 万智さんは優しく言った。


「いい傾向だね。前向きになってきている」

「……どこが? 弱音ばっかり吐いてるのに」

「問題から逃げなくなった。投げやりな態度がなくなった。間違いなく前進してる。わたしが太鼓判を押してあげよう」


 おどけているが、余計な期待を持たせることを言う人ではない。

 この太鼓判は、万智さんの本心なのだ。


「まぁ、復帰第一弾としてはいい仕事だと思うよ? シオンの原点でもあるんだからさ。原点回帰はみんな好きでしょー?」

「……嫌いなオタクはいないだろうね」


 長期シリーズの1作目。2期、3期と続いたアニメの最終回クライマックスで流れる1期OP。ラスボスを初期フォームで倒す変身ヒーロー。

 原点回帰という言葉で思いつく例なんていくらでもあげられる。


「気持ちが固まったら、いつでも連絡して。待ってる」


 それを最後に電話が切れた。

 私はベッドに寝転がり、天井を仰ぐ。


 前向きになった。本当に?

 全然自覚がないけど。


 でも、以前よりも息をするのはラクになった。

 

 こうやって一人になっても、ネガティブの嵐が吹き荒れることは少なくなった。

 代わりに思い出すのは、ハル君の言葉だ。


 ――だから、声優は、絶対にやめないっ。

 ――いまよりもーっとすごい、超・超・超・人気声優になってやるんだからっ! 


「なーにが、超人気声優になる、だよ」


 ついこないだ、ハルくんにあんな大見得を切った癖に。

 胸の内の苦しみとか、怒りとか、どす黒くてグチャグチャした気持ちをぶちまけて、さらけだして、空っぽになったと思ったのに。


 まだまだ前進には程遠い。

 現実はアニメのようにはいかない。


 劇的なイベントがあっても人間は都合よく成長しないし、おなじ過ちを繰り返し続ける。


 これから先も、私は母親の影に勝手に苦しんで、積み上げてきたものを全部壊してしまうという不安は拭い取れない。

 

 未だに私は未来が良くなるという希望を持てずにいる。


 原点回帰と言われても、自分の原点がどこなのかもよくわからない。


 やっぱり子役時代になるのかな。

 うーん、あんまり回帰したくないなぁ……。


 ――詩織さんは、俺の推しですよ。

 ――俺は絹田詩織のメイトなんです。だから、詩織さんをこれから先も推し続けます。


 本当に私に、推される価値なんてあるのかな?

 ハルくん……。


 なーんて、問いかける資格は私にないのだけど。


 ……さすがにハルくんも怒ってるかな。

 全然顔を合わせられてないしな。


 ハルくんはまったく悪くない。

 悪いのは何もかも私。


 わかってるけど、どうしたらいいのかわからない。


 いろんな問題がゴチャゴチャに絡みついて、身動きが取れなくなっている。

 私は枕に顔を押し当て、「うーっ」とどうにもならない呻き声をあげた。


 と、そこへ再び電話の着信が鳴った。

 万智さん、伝え忘れたことでもあるのかな?

 手を伸ばし、スマートフォンに表示された名前を見る。


 アサちゃんからの着信だった。


◇◆◇


「おっすー、詩織。元気かー?」

「……アサちゃん。いきなりビデオ通話はやめてよ。すっぴんなのに」

「別にいいだろう。友達同士なんだから」


 アサちゃんはニヤニヤと笑ってる。

 なにか面白い話を仕入れた顔つきだ。

 

「万智さんから聞いたよ。遥生が暴れ散らかしたらしいな」

「暴れ散らかしてはないよ。頑張って引き留めてくれただけ」

「へー、あいつが?」


 意外そうにアサちゃんは答えながら、チューハイの缶を開ける。

 相変わらずほれぼれするくらいサマになる飲みっぷりを見せつけながら、アサちゃんは問いかけた。


「それで。お前はあいつの引き留めにほだされてしまったと」

「うん。ほだされました。千川家の血筋かなぁ。変なとこで強引なのは」

「お前が勝手に千川家堕ちしてるだけだろ」

「私は千川家推しだからねぇ~」


 アサちゃんと話すとさっきまで落ち込んでいた気持ちが自然と上向いていく。

 久しぶりに、肩を張らずに話せている気がする。


「なぁ、詩織」

「なーに?」

「悠生となんかあった?」


 反応するのが一瞬遅れる。

 長年の付き合いがある親友は、この遅れを見逃してくれなかった。


 アサちゃんはジト目でこちらを睨んだ。


「……もしかしてあいつとヤッた?」

「さすがに怒るよ?」

「なんだ、違うのか」


 当たり前だ。

 なにを言い出すんだ、この親友は。


 ほっとした様子で胸をなでおろしながらも、アサちゃんはなおも探るような目になる。


「でも悠生絡みで問題を抱えてるのはホントだろ?」

「問題ってほどじゃないけど……」


 私は唇をかみしめる。

 観念して、その場に突っ伏した。


「……ハルくんと顔を合わせられなくなった」

「なに? 喧嘩でもしたの?」


 突っ伏しているので、アサちゃんの顔は見えない。

 優しい声に問いかけられて、私は首を振った。


「万智さんが来た日にね、ハルくんにいろいろぶちまけたの。私が抱えてるもの、ネガティブ気持ちとか、昔のこととかも全部」

「……それで?」

「面倒くさいタイプですね、って言われた」

「ほーん」

「あと、年上マウントとか、すぐからかうとか、負けず嫌いとか、すぐ笑顔で誤魔化すとか」

「あいつ調子乗ってんなぁ。今度〆るか」

「……アサちゃんに対する感情が気持ち悪いとか」

「ぶっはぁ!」

「笑うなっ」


 何がツボに入ったのか、アサちゃんはその場で腹を抱えて、馬鹿みたいにひーひーと涙を流しながら笑い続けた。

 目の前にいたら、チョップを入れてたかもしれない。


「ほかには? なんか言ってなかったの?」

「……しんどかったら声優なんかやめてもいい、ってさ」

「マジで? 言うなぁ、あいつ。それで? 詩織はなんて言い返したんだ?」

「超超超人気声優になるからやめない、って言っといた」

「なるほどねぇ」


 アサちゃんはとても嬉しそうだった。


「うん。だったら大丈夫そうだな」

「大丈夫って何が?」

「お前が顔を合わせられない理由だよ。どんな顔して会えばいいかわかんない、とか、くっだんねーことでゴチャゴチャ考えてるだけだろ?」

「なんでそう言い切れるの」

「だって、あたしの時もそうだったじゃん」

「あたしの時?」


 そうだよ、とこともなげにアサちゃんは答える。


「高一の時だったかなぁ。あたしと詩織でおソロのピアスつけたじゃん? そしたら急にお前、あたしのこと意識しだして、露骨に避けてきたじゃん」

「わっ」

「しかも一人で思いつめて告白してきてさー。そういう関係はメンドい、ってあたしが言ったら、スゲーショックを受けてさ。で、声優オーディションを受けて、そのまま――」

「アサちゃんっ!!!」


 思わず大きな声が出た。

 羞恥心で顔が真っ赤になる。


「人のっ! 黒歴史をっ!! 弄るのはっ!!! よくないっ!!!!」

「別に隠すことないじゃん。あたしにとってはいい思い出よ?」

「つまんない女に用はないとか言ったのはアサちゃんじゃん!」

「そうだっけ?」


 クックックと悪戯っぽくアサちゃんは笑う。

 怒りの念を目いっぱい送りこむ。


「ハルくんには、アサちゃんに勧められたオーディションを受けてデビューした、ってことにしてるから。……そのことはハルくんには言わないで」

「わかってるって」


 若気の至り、というか思春期の暴走だ。

 アサちゃんを見返すつもりで、あれほど忌み嫌った芸能の世界に飛び込み、そしていつのまにか声優という仕事にのめり込んでいた。


 恋愛とも友愛ともつかないアサちゃんへの熱病のような気持ちも、どこにでもいる「親友」という間柄に落ち着いた。


 私の目は自然とアサちゃんの左耳を見つめていた。


 アサちゃんの左耳を飾る二つのピアス。

 そのうちの片割れは、かつて私の右耳に付けられていた。


 あの頃に開けたピアスの穴はとうに塞がっている。


 だけど、あの頃の想いは私の心の中で残滓として息づいている。

 

 痛みを伴った輝かしい記憶として。

 私にとってもいい思い出であり、過ぎ去った物語である。

 

 これから先、誰かに語ることはない。

 ハルくんにも。


 ……もしかして、私の原点ってそれなのか?

 

「……なぁ、詩織。ひとつ聞いていい?」

「なに?」

「詩織はさ、――悠生のこと好き?」


 以前、問いかけたのとおなじ質問。

 あのとき、私は笑いながら「違う」と答えた。

 自分の気持ちに向き合う勇気がなかったから。


 いまはどうだろう。

 勇気がないことに変わりはないけど。


 ごまかすことはできそうにない。


「今度、会ったときに話す。その時までには答えられるようにする」

「……ん。わかった」

「アサちゃんに伝えないといけないことは、他にもあるしね」

「他に?」

「うん」


 母親のこと。血が繋がらない妹のこと。

 次に会うときまでには、ちゃんとアサちゃんに伝えたい。


「ハルくんのことも、ほかのことも準備ができたらちゃんと話すよ。それまで待っててくれる?」

「……わかった」


 アサちゃんは目いっぱい伸びをすると、満足げな顔になった。


「今度帰ってきたときには、土産話を聞かせろよ。なるべく面白い奴で頼む」

「わかった。努力する」

「あと、悠生の件は自分でどうにかしろよ。理由はどうあれ、女子に無視されるのはあいつだって応えてるぞ、たぶん」

「……だよね」


 改めて自分の行いの最低さを思い知り、落ち込む。

 次、顔を合わせたら、ちゃんと謝らないと。


「じゃあ、こっちでけしかけとくから。あとは頑張れー」

「けしかける?」


 私の問いには答えず、アサちゃんは唐突に通話を切る。


 なんなんだろう、と思っていると、急に廊下のほうから慌ただしい足音が聴こえくる。続けざまにドアが激しくノックされる。


「詩織さん! いますか、詩織さん!?」

「ハルくん?」


 驚いた私は扉を開ける。

 目の前にはひどく焦った顔のハルくんがいた。

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