第32話 姉の親友と、初主演作を見る。


『アンセム×コード』

  監督:大林一郎  制作:ブレバス



 遥か未来、人類が滅んだ世界を旅するアンドロイドの少女ALICEが「自分の作られた意味」を求めて旅をするSFアニメである。


「こうやってアンセム見るの久しぶりかも。まだ出演作が少なかった頃は何度も見返していたけど」

「声優さんって、自分の出演作ってどれくらい見るものなんですか?」

「うーん、人によるかな? 私は絶対チェックする派だけど、全く見ないって人もいるし」

「なんで突然アンセムを?」

「……まぁ、アレですよ。原点回帰をしてみたくなったんですよ」


 それ以上のことは話そうとしなかった。

 詩織さんにも事情があるのかもしれない。


 せっかくの機会ではあるので、俺も詩織さんと一緒に『アンセム×コード』鑑賞に付き合うことにする。


 1話の冒頭シーン。

 

 人間が誰もいなくなり、草木が侵食した街の残骸を、ひとりの少女が徘徊しているる。

 精緻な西洋人形のような見た目の少女。彼女こそが500年ぶりに起動したアンドロイド、ALICE。

『アンセム×コード』の主人公であり、詩織さんが声を担当したキャラだ。


「アンセムはさ、状況を説明する台詞がほとんどなくてね。1話ごとの台詞もすごく少ないから、どういう感情をこめればいいのか、すごく難しかったなぁ」


 1話を一緒に見ながら、詩織さんは懐かしそうに話した。

 よほど気に入っている作品なのか、その声は心なしか弾んでいる。


「画が綺麗ですね。もの静かで、ずっと世界に浸っていたくなるというか……」

「見やすいアニメではないね。わかりやすい筋もないから、画面に集中しないと何が起きているか見落としちゃうかも」

「……というかALICE、全然喋んないですね」

「あ、1話はちゃんと喋るのラストだけだよ」


 アニメという共通の話題ができたためか、俺も詩織さんもようやく普通のテンションで会話ができるようになった。


 というか、主演声優と一緒にアニメを見るなんて、とても贅沢な時間を過ごしている気がする。

 

 映画のブルーレイに、監督やキャストのオーディオコメンタリーがつくことがあるけど、あの感じに近いかも。

 制作の裏話を聴けるのは興味深い。

 

「はー、ここの背景、最高。さすが世界の八雲工房さん。いい仕事するなぁ!」


「ここのメカのCGえぐいよね。今西さんのメカデザインは『クロノバイス』が至高だと思ってたけど、これは更新しちゃったと思うんだよね」


「ねぇねぇ。いまの手の動き、見た? あれ、あの天才アニメーター井草誠司が担当してるんだよ! あっ、ちょっと巻き戻す?」


 ……いや、これはただのオタクの鑑賞会では?


 というか詩織さん、めちゃくちゃ喋るなぁ。オタク気質がない人だと思ってたけど。


 俺が尋ねると、詩織さんはさらっと答えた。


「え? だって自分の仕事に関わった人だよ? どんな仕事してるか気になるじゃん。もともと人よりアニメは観てたしね」


 やがてアニメは1話のラストを迎える。

 朽ち果てた図書館でALICEは一体のロボットLaViと出会う。


「あ、ここ。LaViとの出会い。ここがいいんだよねー。LaViの声を担当してる瀧本涼子さんが素敵な人でさ。仲良くさせてもらったなぁ」


 LaViは球体のようなフォルムのロボット。アンドロイドの修繕機能を持っており、人間の文明に関する知識も持っている。


 ころころと転がったり、跳ねたりしながら、にぎやかに話しかける様はさながらマスコットであり、このアニメである意味、最も感情移入しやすいキャラクターかもしれない。


 そしてLaViの解析により、ALICEは自身の名前と、自身に施されたプログラム、“アンセム・コード”の存在を知る。


 LaViは問いかける。


「ALICEはなんのために創られたんだ?」


 そこで初めてALICEは言葉を発する。


「なんのため?」

「なんのために、私は創られた?」


 拙いが、透明感のある声で、ALICEは呟く。

 それを合図に『アンセム×コード』のタイトルバックが映しだされ、OP曲と共にエンドクレジットへと移る。


 派手な展開があるわけではない。セリフだって少ない。しかしゆったりとした時間の流れがどこか心地よく、いつの間にか作品の世界に引き込まれていた。


 なにより、ラストで放たれたALICEの台詞の印象が鮮烈で、まるでアンドロイドに命が吹き込まれたかのような錯覚さえ抱いた。


「すごいアニメですね……。特に詩織さんの声なんて完璧にALICEに合ってて……」


 と俺は詩織さんの方を振り返ると、詩織さんは物凄い顔で頭を抱えていた。


「どうしたんですか?」

「……気にしないで。下手くそすぎる過去の自分を直視できないだけだから」

「そうですか?」


 普通にいい演技だったと思うけど。


「わかってる……。あの当時、私に求められていたのは洗練されてない生っぽい質感の声。いい意味での素人感。それがALICEのキャラとシンクロして、人間でない彼女の存在感を際立たせているのは。私はちゃんと求められた仕事をした。作品だって誇りに思ってる。でも、でも、やっぱり昔の自分の演技を聞くと……うぐわあああああっ!」


 物凄い呻き声を発しながら、懊悩を始める。そんなに苦しむんだったら、見なきゃいいのに。


「……1話でやめておきますか?」

「いや、見る。このまま全話見る」

「全話!?」


 今から全話見てたら、日付変わるんじゃなかろうか。


「私のことは気にしないで先に寝ててもいいよ」

「いや、いいです。俺も付き合います」


 目を離してるとどんな状態になるかわからないし。


 ……それに、好きな人とこうして並んでアニメを見てる時間を少しでも堪能したかったし。


「そっか。了解」


 詩織さんはなんでもないふうな様子で答える。俺のことを意識してるからどうかはわからない。


 そして動画配信サービスの自動再生により、2話目がスタートし、俺たちは引き続き『アンセム ×コード』を鑑賞し続けた。


◇◆◇


 最終話を観終わった頃には深夜の1時を回っていた。


『アンセム×コード』、やばかった。神作だった。お陰で号泣してしまっている。


「ALICEぅぅぅ……ALICEがぁぁぁ……!」


 俺ではなく、隣の詩織さんが。


「やっぱり、このラストはすごいわぁ。関わった人、みんな神。この作品をこの世に生み出してくれてありがとう!」

「詩織さん、自分が主演声優だってこと忘れてません?」

「大丈夫! 霧山シオンの演技は下手くそだなって感情はちゃんと持ってるから!」

「なにが大丈夫なんです??」


 まーしかし、一気見したからというのもあるだろうが、すごい作品だった。

 アニメや映画を見ても滅多に泣かない俺ですら、涙腺にきている。


 まさかALICEやアンセムコードにあんな秘密があったなんて。

 そしてあのラスト!

 

 凄すぎて言葉にならない。見てない人はいますぐ見てほしいな!

 

「しかし、ほんとにいいアニメでしたね、詩織さん」

「……うん、そうだね」


 詩織さんはそう答えてから――


「はぁーーーーー……」


 なぜか心底がっかりしたようなため息をついた。


「詩織さん?」

「……ああ、ごめん。なんか改めて凹んじゃってね」


 詩織さんは自嘲気味に笑った。


「私さ、『アンセム×コード』の頃の自分の演技がずっと嫌いだったの。技術的にも未熟で、考えも全然足りなくて。だからずっと見返すことができなかったんだよね」

「……自分の作品であんなに号泣してたのに???」

「私の作品じゃないよ。アニメはみんなで作るものなんだから。私はALICEの声を担当してるだけ。ALICEって女の子に魅力を感じてくれてるなら、それはALICEを動かしたアニメーターさんや、キャラデザの人、彼女の人生を作った脚本家さん、演出家さん、監督のおかげでしょ」

「だったら、なんで凹むことがあるんですか?」

「……ええとね」


 気まずそうな顔をしながら、詩織さんは言った。


「自信を、取り戻したかったの」

「自信?」

「うん。自信。下手な頃の自分の演技を見れば取り戻せるかなーと思ったんだよねぇー……」

「あー、なるほど」


 あれかな。

 テストの点数が悪いとき、自分より低い点を見て安心する、みたいな心境かな。


 それを過去の自分相手にやると。

 なるほど、なるほど。


「……そんなしょうもない理由で見てたんですか?」

「しょうもなくない! 大事なことなの!」


 詩織さんは顔を真っ赤にして怒った。


「大人はねぇ! 勝手に体が成長してく思春期の子とは違うの! 自分が成長したって! 実感できる振り返りが必要なの!」

「どういうキレ方ですか……」

「ふんだ。成長性がSSRのハルくんにはわかりませんよーだ」


 怒ってる割には、俺の伸びしろにスゲー期待してくれてる。

 喜んでいいのだろうか?


 というか、それが理由だとしたら、道理に合わないと思う。

 さっき、散々自分の演技をディスっていたのに。


「下手だって感想は変わらないよ。いまの私のほうが、ずっと、ずーっと上手い」


 でもね、と詩織さんは続ける。


「あの頃の私だからこそ、ALICEを演じられたってことをわからされちゃったからねー……」

「今の方が上手いのに、ですか?」

「こういうのは技術だけの話じゃないんだよ」


 そうだなぁ、と考えてから詩織さんは話す。


「たとえば漫画とかでさ、線が整った綺麗な絵よりも、下手だけど荒削りな絵の方が生き生きとして見えることってない?」

「あー、なんかわかります」

「それと同じ。経験を積んだからこそ、失われたものもある。それがわかっちゃったのがねー」

「難しい話ですね……」

「あーあ、原点回帰は失敗かぁ」


 詩織さんは力なくソファの背もたれに身体を預けた。


「……もともと声優を始めた動機も失恋だからなぁ。根が不純なのかな、私」

「失恋?」

「ううん、気にしないで。こっちの話」


 いったいなんの話だろう。


 ただ、先ほどからの詩織さんの様子を考えると、詩織さんは『アンセム×コード』を見て、なにかを掴もうとしたのかもしれない。


 それが何なのか、俺にはまるで見当もつかなかったけど。


「ねぇ、ハルくん」


 詩織さんは片膝に頬を乗せ、俺の方を向いた。

 何かを期待するように詩織さんの目は潤んでいる。


「私、どうしたら自信を取り戻せると思う?」


 突然の問いかけに、俺は息を呑んだ。

 そんなことを詩織さんが俺に尋ねるなんて想像もしていなかったからだ。


 と同時に、詩織さんが自分を頼ってくれている事実に尻尾を振る犬みたいに喜んでしまう。我ながらチョロすぎて死にたくなる。

 

 しかし、なんて答えればいい?

 俺みたいな人間が、詩織さんにアドバイスできることなんてあるのだろうか。

 正解がわからん。


「ふふふっ、ハルくん、めっちゃ悩んでるー!」 

「詩織さんが悩ませてるんでしょ!」


 なにを呑気な、と思ったが、詩織さんがあまりにも屈託なく笑い続けるので、すっかりこちらの毒気も抜け落ちてしまった。


「……俺の悩んでる顔、そんなにおかしいですか?」 

「おかしいんじゃなくて、嬉しいんだよ。私のために一生懸命に悩んでくれてるのが」


 詩織さんはそう言って、俺のほうに手を伸ばす。

 ほっそりとした白い手のひらに頬をそっと包まれた。


「正しくなくてもいい。間違ってもいい。ハルくんが感じたことを教えてよ」


 詩織さんは言いきる。


「ハルくんの言葉が欲しいの。ハルくんのくれた言葉なら、なんだっていいの。だから、教えてよ」


 頬に触れる手がじんじんと熱を帯びている。それが詩織さんの手の体温なのか、言葉の温度なのか区別がつかない。


 正体のわからない熱に浮かされて、頭の奥がじんと痺れるような感覚を抱いた。

 ぽわぽわした頭で、俺は答える。


「……やったことない経験をしてみる、とか?」


 何言ってんだお前。

 頭の片隅に残っている理性が冷静にツッコミを入れてきた。


 詩織さんが口にした、成長の実感とか、経験というワードに引っ張られたのかもしれない。Chat-GPTのほうがもっといい答えを出力できるぞ。


「やったことない経験かぁ」

「なにか思い当たること、あります?」

「……うーん」


 詩織さんは考え込みながら、俺の頬を優しく撫で続ける。


 やがて撫で飽きたのか、すっとその手が引かれる。

 手の感触に名残惜しさを覚えたそのとき、トスンと、詩織さんが俺の膝元へと倒れ込んできた。

 膝の上に詩織さんの小さい頭が乗っかっている。そのまま仰向けになり、俺の顔を覗き込んでいる。


「詩織さん……?」


 尋ねる声が震えた。

 こちらの動揺を射抜くような視線を向けながら、「ハルくん」と桜色の唇を動かした。


「私と、えっちしてみる?」

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