第25話 姉の親友の、罪と罰。
俺はなにも言えなかった。
詩織さんもしばらく黙っていた。
正直、かなり動揺はしている。
しかし表情には出さないように務めた。
最後まで詩織さんの話を聴くと決めたのだから。
いまは聞き役に徹しないといけない。
「……詩織さん、妹さんがいたんですか?」
「うん。そのときまで全然知らなかったんだけどね。私と別れたあと、父とも離婚して……、男の人の家をふらふらと渡り歩いてたみたい」
詩織さんは肩肘をつけながら、その場で俯いた。
いま詩織さんがどんな表情をしているかはわからない。
あくまで淡々と、詩織さんは話を続ける。
「一目見てわかったよ。目元や耳の形がそっくりだったから。あの人は、女の子を連れながら、私に訴えかけたの」
いま親子の生活はとても苦しい状態にある。
私のことはいい。どうかこの子のことは助けてやってくれないか。
血を分けた、あなたの妹なんだから。
「……それで、詩織さんはどうしたんですか?」
「万智さんに相談して、事務所を通じて話をしてもらったの。一度お金を払えば、同じ行為を続けてきそうだったしね。弁護士を立てて、これ以上は近づかないよう警告してもらったの」
それはおそらく正しい対応だっただろう。
実際、弁護士があいだに立ったことで、母親からの接触はそれっきりぴたりと止んだという。
「ほんとはね、親子の縁を切りたかったんだけど。いまの日本の法律だと、それはできないらしくてね。まぁでも、変なふうに話がこじれないのはよかった。うん」
「じゃあ、お母さんとの問題は解決したんですね?」
詩織さんは俯いたまま、なにも答えなかった。
時計の針の音が部屋中に反響している。お互いの息遣いまではっきりと聴こえてくる。
「私の妹ってね、私のファンなんだって」
詩織さんは震えながら言った。
「その日はお姉さんに会えるって楽しみにしてたみたいで。しかも私が声優の霧山シオンだって聞いて、すごく喜んでた。これからも仲良くしてって言われて、私」
振り絞るように、詩織さんはつぶやいた。
「あんたなんか知らない、ってあの子に言っちゃった」
詩織さんの肩が震えている。
嗚咽をもらしながら、せきを破ったように話し始めた。
「いまでもあの子の顔が頭から離れないの。すごくショックを受けて、私を見つめてるあの子の目が」
「詩織さん、もういい。もういいよ」
「なんで手を差し伸べてあげられなかったのかな。いまでもわからないのっ。あの人が、私の母親がさ、あの子にすごく優しい顔しててさ。私にはそんな顔、一度だって見せてくれたことないのに。すぐわかっちゃった。この子は、私と違って愛されてるんだって。だから私、あの子に嫉妬して……」
「詩織さんっ」
俺はたまらず叫んだ。
そこでようやく詩織さんは顔をあげた。
真っ赤にはらした目で、すべてに絶望した表情で。
「だから、罰が当たったんだよ」
ぽつりと詩織さんは言った。
「母と会ったあとの収録で演じたのがね、妹想いのお姉さんの役だったの。すごいいい役だったのに、私、演じることができなくなっちゃって。台無しにしちゃった。妹を見捨てた私が、妹を大事にするお姉さんの役なんて演じられるはずなかったんだ」
詩織さんは壊れた機械みたいに話し続ける。
「おかげで収録の現場をとばしてっ。今度はそのときの記憶が頭から離れなくなって……。収録スタジオに行くことすら、できなくなった。せっかくここまで積み上げてきたのに、いろんな人の信頼を全部ぶち壊しちゃったっ」
「全部じゃないよ。行本さんだって、詩織さんの復活を信じてる。それに詩織さんには、うちの姉だって……」
「アサちゃんに言えるわけないっ」
詩織さんは言った。
「アサちゃん、子供好きだもん。子供を拒絶した私を許すはずない」
子供好き。
そうだ。うちの姉は顔に似合わず、子供が好きだった。
小児科医なんて柄でもないモノを目指そうとするくらい、子供が好きだった。
ようやく合点がいった。
どうして詩織さんはこの話を姉にできなかったのか。
どうして詩織さんが姉との同居を拒んだのか。
「姉には、知られたくなかったんですね。詩織さんの身に起きた本当のこと。詩織さんがしてしまったことを」
詩織さんは力なく頷いた。
弟の俺から言わせてもらえば、詩織さんの告白を聞いたところで姉が詩織さんの親友を辞めるとは考えづらい。
あの人は傍若無人の癖に、身内の痛みには人一倍敏感だ。
詩織さんが拒絶した理由を理解できない人じゃないし、きっと詩織さんの苦しみだって理解するはずだ。
だけど、そんなことじゃないのだろう。
子供を拒絶した人間だと、姉に知られること自体が詩織さんにとっては恐怖なのだ。
そしていまも詩織さんは罪に苛まれている。
大好きな仕事ができない罰を受けている。
「いまの話をしたところで、姉は詩織さんを嫌いになんてならないと思いますよ」
「……だとしても、私が妹を拒絶した事実は消えない。母親の影をこれからも背負い続けることになる」
詩織さんは諦めたように笑った。
「これから先、こんな私が声優なんて仕事を続けていいのかな? アサちゃんやハルくんたちに関わっていいのかな?」
詩織さんはすべてを聞いたうえで判断してほしいと言った。
本当に詩織さんがここにいていいのか。
俺や姉のそばにていいのか。
自分のすべてをさらけ出したうえで、俺に裁かせようとしたのだ。
いったい、俺はなんと声をかければいい。
俺がここでいくら気休めを言っても、詩織さんは自分を責めることを辞めない。背負ってしまった十字架をこれからも背負い続けるのだろう。
詩織さんの辿ってきた苦しみを知ってもなお、俺は詩織さんの心のうちに触れられない。抱きしめてやれない。
だって俺が知っている詩織さんの姿なんて……。
――毎日規則正しく起きて、飯食って、寝て、詩織と話をすればいいんじゃね?
――たった、それだけのことで救えるものだっていっぱいあるんだよ。
いつかの姉の言葉が頭をよぎる。
俺は肩の力を抜き、息を吐いた。
重い話を聞いて、力が入っていたのかもしれない。
構えることはない。
これは、ただのおしゃべりだ。
ただ俺が思っていることを詩織さんに伝えればいいのだ。
「詩織さん、いいですか?」
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