第24話 姉の親友は、秘密を打ち明ける。

 詩織さんがいま使っているのは元・姉の部屋。

 といっても、沖縄の大学に進学した際、ほとんど荷物を引き払っていたので空っぽに近かったのだが。


 そしていまは詩織さんの荷物で埋め尽くされているため、詩織さんの部屋と言ってほぼ差し支えない。


「だいぶ模様替えしましたね」

「うん。カーテンつけたり、ラグを敷いたからね。雰囲気はだいぶ変わったかも」


 俺と詩織さんはローテーブルを挟んで、向かい合って座り込む。

 詩織さんはクッションを膝に抱え、体育座りの格好をしていた。

 雰囲気もだが、部屋の匂いがそもそも違う。

 爽やかなハーブの匂いで部屋の空気が満たされている。


 ここに入ったのは引っ越しで手伝って以来だった。

 自分の家なのに、他人の家にあがったような錯覚を抱く。


「……ごめんね。いきなり万智さんが来て、ビックリさせちゃったよね」

「いえ。姉が忘れてたのが悪いので。気にしないでください。……姉のこと、よく知ってるみたいでしたけど」

「私とハルくんの同棲を提案したとき、万智さんとも話をしてたからね」


 こういうときの姉の行動力にはいつも感心させられる。

 いったい、どうやって姉は行本さんの信頼を勝ち得たのだろう。


「アサちゃんが高い泡盛をお土産に持って行ったからじゃないかな。すごい喜んでたしね」

「それ、お酒で買収されてません?」

「ちなみにいまでもたまに、リモート飲みしてるらしいよ」

「もう、ただの飲み仲間じゃないですか」


 どおりでうちの事情に詳しいと思ったら。

 酒コミュニケーション最強すぎないか???

  

「ううん。万智さんと打ち解けるアサちゃんがすごいんだよ。万智さんは人を見る目が厳しいからね」


 そこでようやく詩織さんは微笑んだ。


「たぶん万智さんはハルくんのことも気に入ったと思うよ?」

「そうなんですか?」


 むしろ詩織さんをここから引き離そうとしているように見えたけど。


「たぶん、万智さんの提案は私を試そうとしたんだと思う」

「詩織さんを? 俺じゃなくて?」

「うん。万智さんは私のこと、よくわかってるから」


 詩織さんはそこでひとつ、深呼吸をした。

 気を落ち着かせようとしているかのように。

 

「ハルくん、言ったよね。私といるのは全然迷惑じゃないって」

「……はい。言いました」

「いまからね、聞いてもらいたい話があるの。……アサちゃんにもしてない話なんだけど」

「姉にも?」


 俺は戸惑った。

 姉にもしてないような話を俺が聞いてしまっていいのだろうか。


「それでね。聞いたうえで判断してほしい。本当に私がここにいていいのか。ハルくんのそばにいていいのか」

「そんな……。俺が判断することじゃあ……」

「お願い、ハルくん」


 詩織さんは頭を下げて、俺にお願いをした。

 その声は泣いている子供のように震えていた。


「ハルくんに聞いてほしいの。話さないと、いけないと思う」


 あまりにも必死の頼みに、俺は詩織さんの葛藤を垣間見る。

 

 詩織さんがなにを抱えているかなんてわからない。

 ましてや親友である姉にも打ち明けられない話がなんなのか。想像もつかない。


 だけど、いま詩織さんは腹を割って話そうとしてくれている。

 自分の苦しみも包み隠さずさらけだそうとしてくれている。


 ひどい話だけど。

 それが、なにより嬉しかった。


「わかりました。聞きます。ちゃんと最後まで詩織さんの話を聞きます」


 俺が言うと、詩織さんは小さく「ありがとう」と呟き、話を始めた。


◇◆◇


「私ね、昔は子役をやってたの」


 子役?

 テレビに出てたんですか?


「そうだよ。アサちゃんと知り合った頃には引退してたから、ハルくんは知らないと思うけど。CMやドラマにも出てて、結構売れっ子だったんだよ?」


 じゃあ昔からタレントの素質があったんですね。


「どうだろう。物心ついた頃には、もう芸能の世界にいたからなぁ。私の意思なんて関係ない。全部、あの人がやりたかったことだから」


 あの人?


「私の母親」


「とても、とても綺麗な人だったよ。もともとモデルをしててね。本人は全然売れなかったんだけど、芸能界への憧れをずっと持ち続けてたの」


「だから自分が果たせかった夢を私で果たしたかったのかもね」


「まぁ、別にどうでもいいけど」


「……さっきも言ったけど、子役としてはまぁまぁ成功してたの。年収もエグくてね。6歳の女の子が家族の扶養を支えてたの。すごくない? 父親も全然働かなくなっちゃったし」

 

「だけど、それも長く続かなかった。子役の世界は移り変わりが激しくてね。あっというまに需要がなくなったの。よくある話だけどね」


 でも詩織さんは成功したでしょ?

 ちゃんと声優で人気になったんだから。


「……結果的にはね。けど、すんなりと進んだ道じゃなかったよ。一度は芸能界から完全に引退してたし」


「私が売れなくなってからね。家庭が壊れちゃって。子役の活動なんてできる状況じゃなくなっちゃったの」


 家庭が壊れた?


「うん。収入源が途絶えちゃったから、もうメチャクチャ。挙句の果てに父親は不倫で家族を捨てちゃって。私はずっと母親になじられ続けた。こんなふうにも言われたっけ」


「お前なんか、産むんじゃなかった」


「……私が幸いだったのは、すぐ児相の人たちに保護してもらえたことかな。おかげであの人たちとすぐ引き離してもらえた」

 

 ……そのあと、どうなったんですか?


「父方のおばあちゃんの家に引き取ってもらったの。で、転校してアサちゃんたちに会えたってわけ」


「最初に会った頃は、そんなに仲良くなかったんだけどね。ずけずけと距離を詰めてきて、なんだろう、この子、って思ってた。でも、気がついたら仲良くなってた」


 うちに遊びに来るようになったのも、その頃ですよね。


「うん。アサちゃんやハルくんとも遊んでね。楽しかったなぁ」


「私ね、千川家のファンなんだよね」


 ファン?


「うん。アサちゃんと、ハルくん。おじさんも、おばさんも本当にいい人で、こんなに温かい家庭が本当にあるんだってビックリしたもの」


 買いかぶりすぎですよ。

 うちはただの放任主義の家庭ですよ。


「ハルくんは自分が持ってるモノの尊さをもっと自覚したほうがいいね。これはアサちゃんにも言えるけど」


 そういうものですかね。


「そういうものだよ」


 ……それじゃあどうして詩織さんは声優になったんですか?


「ああ、それはね。アサちゃんがネットで見つけた声優オーディションの告知を教えてくれたんだよ。『これ、出てみたら』って」


 姉が? なんでまた。


「前から私の声を褒めてくれてたからね。たぶん深い意図はなかったんじゃないかな」


「それにやっぱり未練はあったのかもね。親のプッシュなしで、自分の力でどこまでやれるのか試したくなったの。私のことを信じてくれる人もいたしね」


 ……詩織さんって、本当にめちゃくちゃな負けず嫌いですよね。


「ふふ、そうだね。よく言われる」


「でもブレイクするまでは苦労したよ。運がよかったのは認めるけど」


「早い段階で主演をやらせてもらってね。『アンセム×コード』ってアニメなんだけど、知ってる?」


 初主演作ですよね。うちの生徒会長が至高って言ってました。


「おっ、ハルくんの学校の生徒会長さん、お目が高いね。そうなんだよ。至高なんですよ、『アンセム×コード』は」


「人間が滅んだ世界で、アンドロイドの女の子が人間の痕跡を辿りながら旅をしていくアニメでね。監督はあの大林一郎! いまはリューサツで跳ねたブレバスの初元請なのもあって、作画も気合入ってたんだ。岡崎由紀子さんがキャラデザしたALICE、あ、私が演じたアンドロイドの子ね。その子がまた可愛くてっ!」


「……ハルくん。いま『この人、めっちゃ語るなぁ』って思ったでしょ?」


 思ってないです。


「ウソだよ。いま絶対そういう顔してたよ。まぁ、いいけど」


「でも、その『アンセム×コード』も放送当時は全然ヒットしなくてね。特に声優の演技がめちゃ叩かれた。私の演技ね?」


「棒声優だ、素人だ、やる気出せだ、キャスティングミスだ好き勝手に書かれてさ。もう散々だったよ」


 よく折れませんでしたね……。


「うん。エゴサしながら思ったからね。『ここで叩いた奴ら、絶対に私の声で堕としてやる』って」


 うわぁ、闘争本能。


「闘争心なきゃ声優なんてできないよ。バケモノだらけの業界だもん」


「ちなみに『アンセム×コード』はそのあと、海外の配信サイトでヒットして、今度劇場版の制作も決まりました」


 リベンジしてる!


「まぁ、上手くいかないこともたくさんあったけど。がむしゃらにいろいろやらせてもらったよ。『プリンセス・メア』みたいな変な仕事もあったけど……手を抜いたことは一度もない。どの仕事も愛着はあるし、いまの自分を形作ってくれたと言い切れる」


 本当に、声優の仕事が好きなんですね。


「うん。好き。大好き。死ぬまでこの仕事をやりたいと思ってる」


「………………」


 ……詩織さん、無理しなくていいですよ。


「ううん、お願い。しゃべらせて。ここを話さないと、全部だめになる」


「……私ね、本当はわかってるんだ。自分がこうなっちゃった原因」


「ちょっと前にね、母親に会ったの」


「会ったのは10年ぶり。向こうから連絡が来てね」


 ……どうしてお母さんは詩織さんに連絡を?


「お金」


「ビックリした顔してるね。ハルくんには想像つかないか。娘を金づるにする親が実在するなんて」


「いろいろと生活が行き詰まったみたいでね。売れてる娘にたかりたかったみたい」


「私もね、連絡を受けた時、断ればよかったんだよ。どうせろくでもない話だってわかってるんだから」


「でも断れなかった。会うことにしちゃった」


「まだ親子の情が残ってるんじゃないか。謝ってもらえるんじゃないか。そんなことを期待してたのかな。いまとなってはわからないけど。とにかく会うことにしたの」


「3カ月前かな。あの人とはファミレスで落ち合ったの」


「10年ぶりに会ったあの人は全然昔の面影がなかった。知らないおばさんみたいだった」


「でね、その人はね、知らない女の子も一緒に連れ来てたの」


「あの人は、連れてきた子に私をこう紹介したの」


「ほら。この人よ。この人が、あなたのお姉さんよ、って」

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