第22話 姉の親友と、三者面談をする。

 あの出来事から3日が経った。


 俺と詩織さんの生活に特に変化はなく、今までどおりの日々を過ごしている。


「今日のコーヒー。豆の淹れ方を変えてみたんだけど、どうかな?」

「香りが違う、のかな……? すいません、よくわからないです」

「ええーっ? だいぶ違うと思うけどなぁ。ハルくんの舌には合わなかったかぁ」


 今朝もそんな他愛のない会話をした後、詩織さんに見送られて、学校へ向かった。


 なにも問題はない。

 いつもどおり。


 生徒会の活動も、つつがなく進行できている。


「先輩。オレの分の活動報告書まとまったので、確認おねしゃす!」

「はーい、お疲れー」

「今回はびしっとまとめましたからね! 今度こそ完璧な書類にまとまって――」

「ここ、表記が違う。やり直し」

「うそーん」


 瑛輔の活動報告書のリテイクをしながら、俺も自分の分の活動報告書をまとめる。

生徒会では月に一度、顧問の先生に生徒会の活動報告書を提出することになっている。

 

 よし、自分の分は終わり、

 椅子から立ち上がった時、「千川」と生徒会長の市原が声をかけた。


「大丈夫?」


 心配するような言葉をかけられる。

 しかし、市原に心配されるようなことに心当たりがなく、俺は首を傾げた。


「大丈夫って、なにが?」

「千川、元気なさそうに見えたから」

「俺が? いつも通りだと思うけど」

「そう……」


 市原は腑に落ちなさそうに眉をひそめたが、それ以上は追及しなかった。


「なんでもない。気にしないで。お疲れ」

「うん。お疲れ様」


 生徒会室を出てから、俺は1人、帰路に就く。

 

 市原からの指摘は少し焦った。市原はとても目端が利く。

 俺のなにげない態度から、なにかを読み取ったのかもしれない。


 しかしこればかりは相談するわけにはいかなかった。

 ましてや霧山シオンのメイト(=ファン)だという市原には尚更だ。


 大丈夫なはずだ。

 間違いなんて犯していない。


 詩織さんの望みに付き添うと決めたのだから。

 その気持ちは最後まで貫かないといけない。


 俺が詩織さんにできることなんて、それしかないのだから。


 最寄りの駅に着き、家へと向かう。


「そこのおにいさーん。ちょいといいかなー?」

 

 背中から間延びした声が聴こえてくる。

 誰かを呼び止めているのかなと思いながら、気にせず歩き続けた。


「ちょっと、ちょっと。ムシはひどいよぉ」


 声の主が今度は慌てたような口調になっている。

 というか、明らかに声は俺の背中に向けられていた。


 もしかして、呼び止められているのは俺?

 訝しく思いながら、後ろを振り返る。


「やぁっと、こっち向いてくれたぁ。おにいさん、耳が聴こえないのかと思ったよぉ」


 そこにいたのは、へらっと笑う女性だった。

 ずいぶんと背が低い。中学生かと思ったが、スーツを着ている。

 眠たげな眼が印象的だった。女性の手にはバッグと菓子折りの袋が握られている。


「……なんですか?」

「ちょいとね、道を教えてもらいたくて。訪ねたい家があるんだけど、迷っちゃってさぁ」

「ああ、なるほど」


 単に耳を聞きたかっただけらしい。

 たしかにこの辺りは道が入り組んでおり、迷いやすくなっている。

 土地勘がないと、目的の家にたどり着くのは難しいだろう。


「ちなみに、どこの家なんですか?」

「うん。この住所なんだけどね」

 

 女性はスマートフォンを取り出し、俺に見せてくる。

 地図アプリには目的地となる地点にピンマークが差されていた。


【千川さんの家】とメモが記載されている。

 表示されている住所も間違いない。

 

「……俺ん家?」

「あ、じゃあ、キミが噂のハルくん?」


 女性の顔がぱぁっと明るくなる。

 俺は息を呑んだ。

 

 この人、俺の家と名前を知ってる?

 なんで?


「よかったぁ、やっと会えたよぉ! うちのシオンがお世話になってます」

「うちのシオン……?」


 しかも、詩織さんがうちにいることを知ってる???


 俺の脳裏にある言葉が浮かんだ。


 文〇砲。

 まさか、週刊誌がうちを嗅ぎつけたんじゃ……!?


 俺が警戒心をあらわにする中、急に女性の表情が変わる。

 かしこまった態度で名刺を取り出すと、こちらに頭を下げた。


「ご挨拶が遅れました。わたし、『リンクエコー』の行本万智です」

「リンクエコー?」

「声優プロダクションです。霧山シオンも在籍してます」

「ということは……」


 ようやく俺はこの人、行本さんが何者なのか合点がいった。


「はーい。霧山シオンのマネージャーですよぉ」


◇◆◇


「詩織さん、ただいまぁ……」

「お帰り、ハルくん! 今日は早かったんだね――」


 玄関先まで出てきた詩織さんは俺の隣にいる人を見て、固まった。

 そんな詩織さんの反応に構わず、行本さんは「やっほぉ」と手を振る。


「おひさだねぇ、シオン。なんだいなんだい、元気そうじゃーん」

「万智さん、なんで……」

「あれ? 朝子さんから聞いてない? 訪問するって伝えておいたんだけど」

「アサちゃんに?」


 詩織さんは困ったように俺のほうを見た。


「ちなみに姉にLINEを送ったところ、こういう返事はきました」


  姉:伝えるの忘れてた!


「アサちゃんって、そういうところあるよね……」

「すいません、すいません」

「いやぁ、ゴメンねぇ。抜き打ち訪問みたいになっちゃったねぇ」


 行本さんはタハハハ、と締まりのない笑いを浮かべる。

 妙に緊張感に欠ける人だが、意外にも詩織さんはずっと神妙な顔をしている。


「ひとまずリビングにあがってください。いまお茶を出しますから」

「いえいえ、お構いなく。失礼しまーす」

 

 行本さんはソファに座りながら、リビングを見回す。

 へぇ、と感心した声を漏らした。


「立派なおうちですね。家具の趣味もいいな。ご両親の趣味ですか?」

「いえ、だいたい母が選んでます。父は技術屋 なので、インテリアには全然詳しくないです」

「お姉さんから聞きました。いまはアフリカでインフラ開発事業に携わられているんですよね。お母さまも同行されたって、すごいですね」

「海外赴任する父が心配になったみたいで。よく決断したなぁとは思います」

「で、悠生さんが家の留守を守っていると。ご家族みなさん、それぞれ信頼しあってるんですね。素敵なご家庭です」

「そんな大層なものじゃないですよ……」


 信頼し合ってるというより、両親も姉も我が道を進んでいるだけな気がする。

 とはいえ家族のことを褒められるのは悪い気はしなかった。


 行本さんにお茶を出し、ついでに渡された菓子折りの箱も開ける。

 箱の中にはフィナンシェとマドレーヌが詰め込まれていた。


「わっ、Jeanneの菓子折りセット……。私も食べたことない……」

「え? 有名なお店なんですか?」

「遠慮なく召し上がってください。うちのシオンがお世話になっているんですから」


 詩織さんが目を見開いて驚いている。

 あとで検索しようかと思うが、値段を調べるのが恐ろしい。


「……それで、万智さん。今日はいったいどうしてここに?」

「なにって、挨拶だよ、挨拶。うちのタレントがお世話になってるお宅に挨拶に向かうのは礼儀ってもんでしょ?」

「……私がここへ引っ越すときは反対してたのに」

「トーゼンでしょ。事務所がサポートするって言ってんのに、全然聞かないんだもの。朝子さんの説得がなかったら、いまも反対してたよぉ」

「姉の説得?」


 俺が首を傾げると、行本さんは困ったように笑いながら答えた。


「そうそう。わざわざ私のもとに連絡してきてね~。『詩織にはそばに誰かが着いてないとだめだ』、『うちの弟なら信頼できる』って言ってたよぉ」

「姉がそんなことを……?」

「お姉さんに愛されてますねぇ、悠生さんは」


 からかってるとも本気ともつかない調子で、行本さんは言った。

 なんと反応すればいいかわからず戸惑ってしまう。


「めっちゃ顔しかめてるぅー。わかりやすっ」

「万智さん」


 俺の反応を楽しんでいる行本さんに、詩織さんはツッコミを入れた。


「そろそろ本題に入りません?」

「あー、そうそう。本題ね」


 行本さんはお茶を一口飲んでから、なぜか俺の顔をちらっと見る。

 

「悠生さん。シオンとの生活はどうですか?」

「えっ?」


 急に矛先がこちらに向けられた。

 なんだろうと思いながら、普通に答える。


「そうですね。詩織さんにはお世話になってるし、上手くやれてると思いますけど」

「えぇー? でも大変じゃないですか? 男女2人っきりで生活するのは」


 あくまで軽い口調だが、行本さんの目は笑っていない。

 なるほど、そういうことか、と納得する。

 やましいことがないか、探っているのか。


「そこは、お互い気を使いながらやってます。生活しやすいようにルールも決めてますし」

「なるほど。しっかりしてますねぇ」


 行本さんは納得したように頷いてから、「でも」と付け加えた。


「こないだの発作のときは、大変だったんじゃないですか?」


 俺はすぐに答えられなかった。

 先日の件、詩織さんが発作を起こしたことは、姉からマネージャーさんにも伝わっている。

 あのとき姉が言っていたマネージャーさんというのが、行本さんなのだろう。


 行本さんはあくまで物腰が柔らかく、口調にも棘がない。

 それなのに妙な緊張感を感じる。

 嘘やごまかしは許さない、という緊張感だ。


「万智さん、ハルくんは……、悠生くんは丁寧に対応してくれたよ」


 横から詩織さんが庇う。


「迷惑をかけたのは私だから。悠生くんはよくやってくれた」

「わかってる。むしろ申し訳なく思ってますよ。まだ未成年の学生さんに、弊社の所属タレントの面倒を見てもらってるのがさ」


 行本さんは言った。


「家の様子を見てもわかる。ちゃんとした家だし、シオンの顔色もいい。こうやって話していても、悠生さんの真面目な人柄はよく伝わってきますよ」


 お世辞なのはわかっているが、こそばゆい気持ちになる。

 少なくとも、こちらに悪い印象を持ってはいないようだ。


 だとしたら、この緊張はなんだろう。

 行本さんはなにを探ろうとしているのだろう。


「だからこそ、心配なんですよ。シオンとの同棲生活が悠生さんのご負担になってしまうことが」

「……どういう意味です?」


 俺の質問に対し、行本さんはすぐに答えない。

 今度は詩織さんのほうを見て、「提案があるんだけど」と言った。


「シオン。ここを出て、わたしと一緒に住む気はない?」

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